「削る」スライディングを懐かしの野球カード8枚で検証~併殺崩しの危険スライディングが禁止に
併殺崩しを狙う危険なスライディングが禁止される運びとなった。2017年1月11日の野球規則委員会で決まった。かねてから問題視されていたが2016年にまたも、川島慶三が田中賢介の餌食になる悲劇が発生。これがダメ押しになったと見る向きは多い。
2016年からのコリジョンルール適用に関してはプロ野球経験者でも「野球の醍醐味の一つが失われる」的なコメントがあった。黒柴スポーツ新聞も同じ立ち位置。ぶつかって選手生命が断たれる事態はあってはならないが最高峰のブロックとそれをかいくぐる走者のハイレベルなせめぎ合いが大好きなため導入には反対だった。
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本塁突入に比べ併殺阻止のスライディングは不必要ほど脚を伸ばしたり手を上げるなどあからさまな印象が強い。そのためか併殺阻止のスライディング禁止を報じるヤフーニュースの下のコメントを見ても賛成のコメントがずらりと並んでいた。
黒柴スポーツ新聞も同じような論調。ただし一つだけ残念なことがある。それは塁上の攻防を切り取った野球カードがなくなってしまいかねないことだ。あれはあれで躍動感があるので構図としては絵になるのだ。
今回はそんな絶滅危惧種の「塁上攻防」野球カードを紹介しよう。恐らくすべてが併殺崩し狙いのプレーではないだろうが「これはこんなプレーの時かな?」とか「走り込んできた選手は誰だ?」と検証しながら見ていただきたい。(走者名が分かった方はぜひコメントしてくださいね)
まずはハドラー。ハドラーで覚えておく小ネタは最低2つ。ミミズを食べたこと。そして1993年5月19日の広島戦で延長14回にサヨナラ打を放ち17-16として勝利に貢献したことだ。上のカードはその1993年日本シリーズカードセットの1枚。スライディングを軽くジャンプでかわしている。
お次は水上善雄。このカードの頃はまだえり足が長くない。水上善雄と言えばあの10.19で3塁線を襲った新井宏昌の打球に食らいつき素早く起き上がって1塁に送球し間一髪アウトにした人。「ディスイズプロ野球!」と実況されニュースステーション久米宏が「ディスイズニュースステーション」と中継を引き取ったくだりまで含めてプロ野球の歴史に残る名場面である。さてこの日本ハム走者は誰? 水上善雄は馬跳びするがごとくきれいにかわしている。
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続いて立浪和義。こちらは空中でかなり態勢を崩している。走者は足を上げているからこのようなプレーはアウトになるかもしれない。走者は誰か分かりますね。後方のパリーグ審判のブレザーがいい感じ。立浪和義はセカンドでもショートでもゴールデングラブ賞を受賞している。
続いては岡本伊三美。南海「100万ドルの内野陣」の一角である。黒柴スポーツ新聞編集局長の少年時代は近鉄の監督だった。このカードの写真ではすさまじいスライディングを「避けていない」。ガッツがすごい。歯を食いしばり送球しようという方向を見る表情がカッコいい。グラブが結構大きめに見える。
続いて石渡茂。1月11日の記事に続いての登場。2日続けて石渡茂が出てくるブログはそうそうあるまい。どうしてもあの江夏の21球でスクイズを外されたイメージが強いのだが1979年と1980年の近鉄優勝メンバーであることは覚えておいてほしい。1977年には130試合に出場しヒットを145本打っている。このカードに出てくるロッテの走者はあの素晴らしい外国人選手ですね。
次は走り込んでくる側にフォーカスして松本匡史。こっちは削る方である。吹っ飛んでいる広島の選手は愛読者の方から以前「木下富雄。ひげが見える」と回答があったがひげ、見えますか? 青い稲妻、松本匡史。巨人ではオレンジ色の手袋で一世を風靡した鈴木尚広が2016年シーズンをもって引退。早速独自の走塁論をネット上で展開しているがオレみたいにはできないよ的な考えはいったん脇に置いてぜひ後進を育ててほしい。
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そろそろシメに入ろう。
海の向こうから、オマー・ビスケル。スライディングを受ける前のシーンだが走者は左手を高々と上げている。勢いを付けて滑り込む手前だからだけかもしれないが投げ方によっては左手に送球が当たりそうだ。黒柴スポーツ新聞編集局長はメジャーの知識は人並みだがウィキペディアでさっと見たらゴールドグラブ賞を11回も取っていた。この頃は危険なスライディングもありだっただろうから上手にかわしていたのだろう。そのへんも含めて守備の名手だったのだ。
最後はジーター。送球態勢になっていないから2盗のシーンかもしれない。ジータークラスになると避ける様すら絵になる。やはりスターは身のこなしが別格だ。
こうして見てくるとハドラーを除いて割と名の知れた選手が多い。併殺は名手の腕の見せ所なのだ。だからこそ悪意のあるスライディングは厳禁。乱暴なスライディングが一つでも減り野球少年に夢を与える華麗なフィールディングが一つでも増えることを願う。
2017年センバツ行進曲が星野源「恋」になって甲子園で起きることが楽しみな件
2017年センバツの行進曲が星野源の「恋」と発表された。早速だが危惧する。あの厳格な行進風景に異変が起きないかと。
そう、こっそり恋ダンスをやらかさないかな、と。
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選手がやればきっとネットは大騒ぎだ。そして高野連は問題視するだろう。でも球児はすかさず言えばいい。
「見逃してくれい~」
この際提案する。もうあの軍隊チックな行進はやめないか? せめて腕を振る時の手はパーだな。グーだとモロだもん。
規律が乱れるとか、若者らしくないとか言われそう。でもオリンピックの行進はそれなりに各国整然と入ってくる。別にだらだらしているふうにも見えない。笑顔で手を振る場面があってもよさそうなものだが。
それにプラカードもなぜ「女子」なのか。女子は補助的という印象はこういう小さいところから変えていかないと世の中が変わらない。だいぶ改善されてはきたが基本ニュースキャスターも男性アナが主、女性アナが脇のイメージはまだまだある。かなりの人が見るNHKのニュースからその流れを作ってほしい。
2017年センバツで振り逃げをしたら民放アナは叫びかねない。
「ああっと、振り逃げ、振り逃げ! 逃げるは恥だが役に立つぅ!」
それにしても甲子園を見ていて毎回思う。日本の高校のブラバンのレベルは何と高いのか。ヒット曲をすぐさま応援用にアレンジしてしまう。「あまちゃん」の音楽もすっかり甲子園になじんでしまった。
センバツ出場の可能性がある高校の吹奏楽部は今からしこたま星野源の「恋」を練習することだろう。ちなみに前回センバツ入場曲は西野カナの「もしも運命の人がいるのなら」だったが「恋」はそもそもドラマで振り付きだったゆえ振り付きの応援が見込める。つまりチアや応援団がいかにアレンジするかが腕の見せ所であり見る側の楽しみでもある。
そういえば「打力」「投手力」「守備力」「機動力」の評価のグラフ? 最近見ないなあ。あのアナログ感。画面の下3分の1くらいでやる住友グループのワイプCMも子供の時よく見た。ちょっとしたお楽しみだった。さるかに合戦でカニがカキを打ち返すやつが一番好きだ。
2017年センバツは1月27日に出場32校が決定。3月19日に開幕する。
きょうの1枚は山田喜久夫。センバツでは東邦のエースとしてチームを1988年準優勝、1989年優勝に導いた。下の記事によれば引退後和菓子屋さんをしているそうだ。あの1994年10.8決戦にも登板した山田喜久夫の作った和菓子なら、いつか食べてみたい。
甲子園を沸かせた男が今は和菓子店主。閉店後は小中学生に野球を教えているという。そういう生き方もかっこいい。
甲子園応援風景記事(そう言えば書いてたな)はこちら。
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大松尚逸は第2の森岡良介、坂口智隆になれるか~ヤクルト得意の戦力外選手獲得作戦に期待
ヤクルトはまたも買い物上手になるのか。ロッテを戦力外になった大松尚逸の獲得を視野に入れている。
またも、と書いたのは2015年シーズンオフに坂口智隆を獲得したからだ。坂口智隆は2016年シーズン、141試合に出場し3割には惜しくも届かなかったが2割9分5厘と輝きを取り戻した。オフに契約を更改し年俸は4000万円アップの7000万円まで回復した。
坂口智隆の安打数は2015年わずか28本だったが2016年は155本とV字回復。ヤクルトの編成担当はウハウハだったに違いない。それもこれもヤクルトが温かい手を差し伸べたから起きた出来事である。
ほぼ忘れられているが坂口智隆は絶滅寸前の元近鉄戦士である。黒柴スポーツ新聞編集局長が知っている現役選手はほかに岩隈久志しかいない。こちらの記事にはもっと詳しく書いてあるので興味がある方はぜひ。
下の記事を読んでうれしかった。坂口智隆はヤクルトに対して感謝の気持ちを抱き、恩返ししたいからFAを考えなかったというのだ。人の心とはシンプルだ。オリックスと坂口智隆の間に何があったかは知らない。しかし打てば響く坂口智隆なのにオリックス退団を選んだからには何かがあったに違いない。
坂口智隆を奮い立たせたもの。それはオリックスを見返してやるという思いだったのか、拾ってくれたヤクルトのためにやるぞという気持ちだったのか。
いずれにせよ燃えるものを持っている人は強い。
ヤクルトは坂口智隆の前にも森岡良介という好プレーヤーを獲得している。森岡良介はドラフト1位で入団した中日を2008年シーズンをもって戦力外に。トライアウト後にヤクルトの一員となった。再生、というよりは森岡良介の良さをヤクルトという環境が引き出したという方が近いだろう。まだの方はぜひご一読ください。
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戦力外通告を受けた選手が拾われた球団の選手会長になりリーグ優勝のビールかけをするという奇跡が起きたのは森岡良介とヤクルトという取り合わせだったからである。いったいヤクルトという球団はどれだけ懐が深いんだか。
だから、だからである。大松尚逸は第2の森岡良介や坂口智隆になれるのか、いや、なってほしいと期待してしまう。
大松尚逸のキャリアを見れば2008年からの3年間がピーク。戦力外通告という、ロッテの下した決断が非人道的とも思わない。だが夢を見てしまう。2008年のホームランは実に24本。これは魅力がある。満塁ホームランも通算6本打っている。
思えば2010年ロッテが下剋上日本一を果たした日本シリーズ第1戦で大松尚逸は先制打を放ちがながらも負傷して二度とそのシリーズには出られなかった。新人だった清田育宏が完全に戦力として定着したのとあまりに対照的だった。
森岡良介はどこでも守れる器用さを、坂口智隆はヒットメーカーであることをヤクルトで発揮した。もし大松尚逸がヤクルト入りしたらどのような起用法だろうか。長打力を生かしてとっておきの代打だろうか。戦力外を告げられた男が他球団で代打を告げられチームを勝利に導く。いい。見たい。果たして大松尚逸は2017年、リストラ組の星になれるだろうか。
久々になってしまったがきょうの1枚は2016年の頑張りに敬意を表して坂口智隆。野球カードを整理していたら探していた近鉄時代のカードが出てきた。ルーキーカードである。若いころからイケメン。同僚記者がこの頃近鉄2軍を取材していたが「坂口いいッス」と言っていたのは間違いではなかった。確かこのころの近鉄2軍監督は石渡茂だったような。ここまで読んできて最後の最後の石渡茂に食いつかないように…。
※2017年5月9日追記。
確執、意地、挑戦…大事なのはモチベーション~中村俊輔らベテランたちが移籍した2017年Jリーグが楽しみ
根っからのサッカーファンでもないのに2017年シーズン、楽しみなカードがある。横浜M-磐田。そう、2017年1月8日、中村俊輔の磐田移籍が両クラブから発表されたのだ。
中村俊輔は神奈川の桐光学園から1997年に横浜M入り。スコットランドのセルティックなど海外でプレーした時期もあったが国内では横浜M一筋だった。
それだけによっぽど我慢ならなかったのだな、と思う。資本提携しているイギリスのシティー・フットボール・グループ(CFG)の影響が強まったチームに対して、だ。
中村俊輔が偉いな、と思うのはチームメイトやスタッフへの心遣いをしている点。長年チームを支えたスタッフが次々に契約満了通告される。退団選手へのねぎらいがない。こういうことがいちいち我慢ならないのだ。
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横浜Mが提示した年俸は1億2000万円。しかし8000万円を提示した磐田を選んだ。「お金じゃない」。純粋にサッカーと向き合いたかった。
このあたりは米球界残留よりカープ復帰を選んだ黒田博樹をほうふつさせる。ただ1点強調しておきたいのだがよく20億円とも言われる条件を蹴ってカープ復帰を選んだことをもって「男気」と形容されるが黒田博樹もお金の問題ではなかった。カープファンの前でもう一度投げる。それこそが自分を高める道だったからだ。
「カープでプレーしたならきっと、ファンが大きな声援を送ってくれる。そうすれば、自分の心の中でワンランク上のモチベーションが発見できるんじゃないか。自分の内面から湧き出てくるパワーといえばいいのか、いろいろな力が出てきて、プラスアルファの力が発揮できるのではないか。そうすることで、選手として成長できるのではないか、と思ったのだ」(黒田博樹著「決めて断つ ぶれないために大切なこと」文庫本252ページより)
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きっと中村俊輔にとっても横浜Mサポーターの前でプレーすることは大きなモチベーションになるはずだ。しかし残念ながら今この状況ではよいパフォーマンスができない。現役生活の残り時間を考えた時、サッカーに集中できる環境を求めたいという中村俊輔の考えは第三者でも痛いほどわかる。ましてや横浜Mサポーターならなおさらだろう。
それでも横浜Mサポーターの心中を思うとやりきれない。中村俊輔ファンなら磐田移籍後も俊輔を応援すればいいが横浜Mファンはチーム全体を応援せねばならない。このゴタゴタをどう受け止めているのだろう。
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移籍を報じる記事の中には「中村だけでなく、さらに斎藤ら主力が退団する可能性がある」と不安要素が書かれている。
主力の移籍は他球団でもある。J2降格となった名古屋は相当の選手が去る。闘莉王は京都入りしたから同じJ2の名古屋戦は因縁の対決となる。
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その名古屋には広島から佐藤寿人が来る。こちらは戦いの場を求めて来た印象だ。
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J1通算得点171点を誇る大久保嘉人は川崎からFC東京へ。新天地で通算得点をどこまで伸ばすことができるだろうか。
www.nikkansports.com
活躍の場を求めて。チームとの確執。新たな挑戦。動機や背景はさまざまだがサッカー界ではプロ野球では考えられないくらい大胆に移籍が行われていると感じる。今回取り上げたのはベテランばかりだがどの選手も実績は十分だしそのままチームに居座ろうと思えばできなくもない。それでもあえて環境を変える決断は応援したくなる。
やはり、大事なのはモチベーションなのだ。自分を高ぶらせるもの、それがなくては前に進めないし、自分らしくもなれない。デキる人ほどそれがよく分かっている。
勇気ある決断をした選手たちを中心に、2017年のサッカー界を見ていこう。因縁の対決、確執を乗り越えて、意地と意地のぶつかり合いが楽しみだ。
目標設定は具体的であれ~秋山清仁カルボナーラを5食連続で食べて第93回箱根駅伝MVP
箱根駅伝にMVPがあることを知らなかった。金栗四三杯のことだという。
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金栗四三の名前は知っていた。1912年ストックホルムオリンピックのマラソン代表として出場するも倒れて途中棄権。その後式典に招かれゴールインしマラソン史上最長記録54年8カ月6日5時間32分20秒3を作った。
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そして金栗四三の「世界に通用するランナーを育成したい」との思いが箱根駅伝創設につながった。
その金栗四三杯、第93回箱根駅伝では日体大の秋山清仁(4年)が選ばれた。
早稲田大学の監督経験者、渡辺康幸氏によると箱根駅伝の6区「山下り」は前傾姿勢がポイント。恐怖心から普通は重心を残したくなるから後傾姿勢になるそうだ。ついついブレーキをかけてしまうためかかと付近の足の皮がズルむける選手もいる。「Going」の映像で見た。
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だが秋山清仁の姿勢は前傾。スピードに乗っている。前回も58分09秒の区間新、今回も58秒01の区間新だから素晴らしい。ちなみに秋山清仁は足への負担を少なく走れるからかかとの皮はズルむけない。
秋山清仁がさすがだなと思うのが目標設定の仕方。なんと高校生の時すでに「箱根駅伝の6区を走りたい」と思っていた。大概の選手は「箱根駅伝に出たい」ではなかろうか。
そう言えば黒柴スポーツ新聞編集局長が応援しているウィルチェアーラグビー日本代表としてリオデジャネイロパラリンピック銅メダリストの池透暢選手も言っていた。「メダルを首にかけるイメージまでしていました」と。そう、目標は具体的であればあるほどモチベーションが高まるのだ。
もう一つ驚いたのが食事。なんと秋山清仁は本番まで5食連続でカルボナーラを食べた。エネルギーを取るためのメニューで、大事な大会の前には食べるという。
この記事に書いてあったが下りに目覚めたのは高校時代の監督からもらった唯一の褒め言葉。「おまえは下りに向いている」。よき指導者とはこれだというキーワードを与え個性や能力を引き出せる人だと思う。
秋山清仁の今後の目標はマラソン。日体大の6区走者と言えばあの谷口浩美が有名。3年連続の区間賞。山下りのスペシャリストの大先輩だ。谷口浩美はアクシデントでバルセロナオリンピックでメダルを逃したが1991年東京での世界陸上マラソン金メダリスト。秋山清仁は2020年東京五輪でぜひ谷口浩美の果たせなかったメダルの夢をかなえてほしい。
山下り育ちの「金」…谷口浩美 : 特集 : 箱根駅伝2014 : 箱根駅伝 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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箱根駅伝OBも出場!ニューイヤー駅伝記事もぜひご覧ください。
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女子駅伝ネタはこちら。
入団3年目までにポルシェに乗る夢をかなえた山﨑康晃と多摩川で鍛えられていた中畑清
2017年1月7日放送の「ジョブチューン」を見た。プロ野球選手が出ていたからだ。
出演者はこちら。
秋吉 亮(東京ヤクルトスワローズ)
石川 歩・鈴木大地 (千葉ロッテマリーンズ)
金子千尋(オリックス・バファローズ)
見終わって数時間後に気が付いた。
「巨人の選手出てなかったな」
ソフトバンクも出てないし巨人至上主義でもない。ただしもう巨人の選手ばっかり出る時代は確実に終わったなと実感した。
巨人が2位になったものの、セ・リーグのクライマックス第2ステージはは広島と横浜の戦い。パ・リーグも北海道対福岡。それぞれ地域密着をうたうチーム同士がペナントレースで好結果を示した。
特に横浜DeNAは観客動員が過去最高と好調。地道な球団経営が実を結んでいることとチームの成績がいいタイミングで合った。
この日のジョブチューンではトークの場面でも井納翔一と山﨑康晃が引っ張り笑いを取っていた。井納翔一は前に出演した時「小島瑠璃子がタイプ」と告白。今回もそのネタでいじられたり、ファンレターが年間10通(送り主は実質2~3人)だったと明かしたり、盗塁阻止へ捕手が2塁に向かって投げた送球が背中に当たる珍プレーが放送されたりといい感じだった。
山﨑康晃もプロ野球の世界で活躍して高級な腕時計や車を買うんだという夢をかなえましたと爽やかに語っていた。まだ実働2年。とはいえすでに70セーブ。年俸も8000万円と1億円が射程圏内である。
山﨑康晃は1年目も2年目も堂々たるピッチングだしもう117試合も出ているピッチャーだからその頑張りには球団が目いっぱい報いていると分かる。だがストッパー山﨑康晃の生みの親である中畑清の時代とはずいぶん違うな、とも思う。
中畑清が1軍に定着したのは3年目以降。それこそ1年目、2年目は多摩川でしこたましごかれたに違いない。後年主軸になり高級時計も高級車も買えるくらいになっただろうが山﨑康晃とはあまりに対照的な船出である。
山﨑康晃についての過去記事はこちら。
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さっきも書いたが山﨑康晃は正当な評価を受けているので異議は唱えない。ただただ時代が変わったなあと思う。同じく出演者のロッテ・石川歩は1年目から3年目まで3年連続2けた勝利の結果1億3000万円。2けた勝利できる人材への評価が上がっているからこれが相場なのだろうが入団数年で1億超えとはやっぱり時代が変わったなあと思う。
今更巨人が球界の盟主と言う人もおるまい。大谷翔平の大活躍、ソフトバンクや日本ハムとパ・リーグチームが相次いで日本一になっていることもありテレビの露出もパ・リーグ勢がずいぶん増えた。黒柴スポーツ新聞編集局長の少年時代には考えられなかった。少年時代はもっぱら「人気のセ、実力のパ」だったが今や「人気のパ、実力もパ」かもしれない。パ・リーグの野球を認知させたプロ野球ニュースおよびその流れをくむ「すぽると」が同じ時期に地上波からなくなったのは皮肉な話だ。
この流れが続けばドラフトでも有望選手が軒並みパ・リーグを希望することもあり得る。「巨人だったらプロ入り拒否」なんてことが珍しくなくなるのかもしれない。そうなったらその時黒柴スポーツ新聞で「時代は変わったな」とまた書くのだろう。
きょうの1枚は中畑清。実働13年というのは意外に短かったなと思うがそれだけ存在感があったのだろう。通算1294安打。知らなかったが1982年から88年まで連続でゴールデングラブ賞をとっている。それは多摩川での下積みが生きたことの何よりの証明だ。
ホークス、スワローズ、イーグルスは酉年シーズンにはばたけたのか~国鉄民営化30年なのでスワローズを中心に
今年、2017年は酉年。プロ野球にも鳥にまつわるチーム名がある。ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズ、そして楽天ゴールデンイーグルス。それぞれ酉年の成績はどうだったのか調べてみた。
【ホークス】カッコ内は監督、以下同じ。
1945 戦時中
1957 2位(山本一人)
1969 6位(飯田徳治)
1981 5位(ブレイザー)
1993 6位(根本陸夫)
2005 2位(王貞治)
【スワローズ】
1957 4位(宇野光雄)
1969 5位(別所毅彦)
1981 4位(武上四郎)
1993 1位(野村克也)
2005 4位(若松勉)
【イーグルス】
2005 6位(田尾安志)
なかなかのBクラスぞろいである。楽天は初年度とあって同情的な面もある。意外だったのはホークス。戦後鶴岡一人(山本一人)による長期政権中は安定してAクラスだったので優勝もあるのかと思いきや、酉年は鶴岡一人監督就任前の1945年で戦争の影響から野球が行われず。1957年は2位。1969年は鶴岡一人から飯田徳治にバトンタッチしてすぐのシーズンで最下位に沈んだ。
スワローズは最下位こそないものの4位だったり5位だったり。ただし鳥系球団唯一の酉年優勝を1993年に達成している。日本シリーズも4勝3敗で西武を下し見事日本一に輝いた。
かつて国鉄がプロ野球チームを持っていた(厳密に言えば外郭団体が運営)ことを知る人も少しずつ減っている。しかし今年は国鉄民営化30年の節目。野球ファンならあえて国鉄スワローズに目を向けてみよう。というわけでおすすめの1冊。
国鉄スワローズ1950‐1964―400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団 (交通新聞社新書)
- 作者: 堤哲
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堤哲さん著「国鉄スワローズ1950-1964」。チーム創設から球団「消滅」まで、そして万年Bクラスの球団を支えた不滅の大投手・金田正一にまつわる話が書き込まれている。
この本が「交通新聞社新書」ということも推しておきたい。当然国鉄についても詳しく書いてあるから鉄道ファン目線でも楽しめると思う。鉄道ファンであり野球ファンなら2倍楽しめる。
本によると、下山事件で有名な下山定則・国鉄総裁の後を引き継いだ加賀山之雄総裁が野球好きだったことがチーム誕生の契機だったそうだ。後に初代スワローズ監督になる西垣徳雄と加賀山之雄は西垣が法政大学卒業後、東京鉄道局に採用された時の人事担当者だった。
1946年11月、東西対抗野球最終第3戦後で審判を務めた西垣徳雄は帰京のため列車に乗った。そこで加賀山之雄にばったり会う。
西垣 「総裁、どうでしょう、国鉄には管理局ごとに野球チームはありますが、全国職員の士気高揚のために、プロ野球チームをお持ちになったらいかがでしょうか」
加賀山 「それは面白いなあ」
もちろんそれだけで球団が出来てしまうほど簡単な話ではないが、国鉄球団創設のきっかけが列車内の会話、というだけでも面白い。
なおチームの愛称は国鉄50万職員から募集。8315通も来たと言う。特急つばめのイメージ。速い、スピード感がある。つば九郎はまるっこくてちょっと違うような…。
1964年には東海道新幹線が開業するも、国鉄は赤字に転落。球団経営が苦しくなり1965年からはサンケイスワローズに。その後アトムズという名前になったりもしたが、1974年からは再びスワローズの名前が引き継がれている。
国鉄民営化30年で、酉年。果たしてスワローズはよい成績を修めることができるのだろうか。
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関東学生連合の選手に区間賞は不要~学生連合を率いて箱根駅伝上位に食い込んだのはあの名将
2017年1月2~3日に行われた第93回箱根駅伝で10区の照井明人(東京国際大4年=関東学生連合の一員として出場)が区間1位のタイムながら区間賞扱いにならなかったことに対し異論があると知った。区間賞は2位タイムだった順天堂大の作田直也が獲得した。
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【幻の区間賞異論の理由1】
1位になったのに区間賞にならないのはおかしい。
【異論の理由2】
繰り上げで区間賞になる人もうれしくない。
ごもっとも。
しかし黒柴スポーツ新聞は幻の区間賞扱いでよいと思っている。ベストではないがベターではある。照井明人選手の頑張りはものすごく感動した上でもそう思う。
大前提として、関東学生連合の選手は自校成績によって出場資格を得た訳ではない。だからそもそも走る資格がない。
じゃあ関東学生連合なんていらねえじゃん、最初っから走らせんなよ!というツッコミもあろう。
ごもっとも。
だが関東学生連合というチームは存在意義がある。これがあるから出場校以外の学校の選手にも門戸が開かれる。各校からの選手は母校の誇りを胸に東京ー箱根間を走ってその自信や成果や反省を持ち帰る。そうした「お土産」をどう生かすかは各校次第なのだが箱根を目指す学校だったら自然と生かすに決まっている。学生陸上界のレベルアップに貢献しているのだ。
照井明人のゴールシーン、見ましたか? 胸の「東京国際大」を指でつまんでアピール。東京国際大魂を全国に見せたのだ。十分かっこよかった。写真は日刊スポーツのHPでぜひ見てください。
例えば。都道府県単位で死闘が繰り広げられる夏の甲子園地方大会。49代表が決まるわけだが出場権を逃した学校から優秀な選手が選ばれて高校生選抜チームが結成されたとする。この「50番目のチーム」が仮にも優勝してしまったらどう思うかという話。物議を醸すのは間違いない。それに選手自身も母校の仲間と目指すからこその甲子園。たとえ優勝しちゃってもうれしくはないだろう。
というわけで区間賞は本来の出場権がある学生によって争われる現行スタイルでよいと考える。ただしタイムが残らないのはやりすぎだから学生連合チームの選手の個人記録は残してあげてほしい。もし2位選手の繰り上げ区間賞が意味ないものだと言うならいっそ「該当なし」で誰にもあげないでいい。本戦出場を逃した人による区間賞阻止。それだけでも立派な勲章だ。
ちなみに。かつて学連選抜と言われた「寄せ集め軍団」が4位になったことがあると知った。第84回のことだ。その時の監督は…もしや…まさか、ねえ……
ウワーオ、出た! そう、青山学院大学の原晋監督である。
ここまで来ると笑うしかない。自分の学校の学生だけでもこの戦国時代、シード権をとれるかも怪しいのにバラバラの学校の選手を束ねて4位なんだからやっぱりこの人は只者ではない。というかこの時点ですでに片鱗が見えていたのだ。
第84回東京箱根間往復大学駅伝競走|取材レポート|関東学連選抜に注目!!
上記記事をぜひ見てほしい。
・合宿の目的は「心を一つにする」
・チーム名は「J・K・H SMART」
・目標は3位
原カラー全開である。
合宿の目的は読んで字のごとく。次のチーム名だが各選手の出身校のアルファベット(Jは上武、Mは明治、Rは立教など)を上手に並べたものだ。それだけでなく「K(関東)・H(箱根)からJ(Japan日本)を目指すかっこいい(smart)ランナーになろう」という意味もあるそうだ。
総合3位という目標も何と大胆。挑発的ですらあるが原晋監督のことだ。本気で狙っていたに違いない。
正直言うと第93回箱根駅伝では青山学院大に勝ってほしくなかった。別に青学が嫌だなんてことではなく他大学にも頑張ってもらってまた青学がそれを超えてと切磋琢磨してほしいという気持ちからだった。
だが青学3連覇の後、ネット記事で原晋監督の手記などを見るとやっぱりこの人を応援したくなる。東洋経済オンライン記事では観察することの大切さが説かれていた。
五つの提言はどれもうんうんとうなずかされる。
1.ランキング制の導入
2.情報共有
3.ニューイヤー駅伝、日本選手権のショーアップ
4.実業団の移籍自由化
5.ゼッケン広告の拡大
青山学院大が箱根駅伝3連覇を決めた瞬間。それはゴールではなく、原晋ワールドのさらなる拡大を知らせる号砲だったのだ。
箱根駅伝関連記事はこちら。まだの方はぜひご覧ください。
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第96回箱根駅伝記事はこちら。
元阪急スペンサーの訃報に思う外国人選手の小物化~ブレイザーとスペンサーの野球殿堂入りを願う
名前しか知らないけれど、元阪急の強打者・スペンサーが2017年1月2日に死去した。
というわけで「ざっくりスペンサー」。
・頭脳プレーが持ち味で野球博士という異名を持っていた。
・サイクル安打を日本球界に認知させた。
対戦相手の癖を盗む、というと聞こえは悪いが特徴をつかむことをスペンサーは実践していた。その影響を受けた一人が同じく阪急にいた高井保弘。代打本塁打27本の世界記録保持者だ。スペンサーが投手の癖をメモする姿にならっていたという。プロ野球ファンなら思うだろう。もしも高井保弘がスペンサーに出会っていなかったら…と。どこでどういう出会いがあるか分からない。だからこそ毎日を漫然と生きてはいけない。
1965年、スペンサーは野村克也と激しいタイトル争いを繰り広げた。打率ではかなわないと見たのか本塁打の量産態勢に入った。だがここで日本球界はやってはいけないことをした。四球攻撃である。
まさかの8打席連続敬遠。精密機械と称された小山正明ですら四球を献上したのだからスペンサーも頭に来ただろう。敬遠に対する抗議では長嶋茂雄のバットを持たずに打席に入るシーンが有名。スペンサーも日本にいる間の敬遠シーンでは四球までをはしょって1塁に行こうとしたりバットを逆さまに持ったりといろいろな抗議をした。
それにしても野村克也との本塁打王争いが、スペンサーの交通事故で事実上幕切れになったというのは何とも気の毒。どれくらいの傷、どんな状況での事故だったのかすごく気になる。いま同じことが起きたらヤフートピックスで絶対扱われる。
プロ野球記録大鑑のサイクル安打の項に書いてあったが、スペンサーは1965年にサイクル安打を記録。しかし当時の日本ではこの記録に注目が集まらず報道陣からの反応がなかった。この時スペンサーがWhyジャパニーズピーポー!と厚切りジェイソンばりに吠えたわけではなかろうが、「なぜ注目しないんだ」ということになり日本球界でもサイクル安打が洗い直されたそうだ。
というわけで特にサイクル安打を2回ずつ記録した4人(藤村富美男、松永浩美、横浜にいた方のローズ、福留孝介)はスペンサーさまさま。阪急の後輩である松永浩美と現役の福留孝介は香典くらい包んでもよいのだ。
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スペンサーについて書いてある本を急きょ探したが黒柴スポーツ新聞の書庫では2冊がやっと。共に文春文庫の「豪打列伝」と「暴れん坊列伝」だ。
豪打列伝はともかく暴れん坊列伝って…。表紙が東尾修というだけでわが黒柴スポーツ新聞読者はよだれを垂らしていることだろう。
ただし暴れん坊列伝では当時阪急監督の西本幸雄氏がスペンサーの頭脳を褒めている。同じく阪急コーチだった青田昇氏も器用さとスケールの大きさに舌を巻いている。単なる暴れん坊ではないのだ。
だがやっぱり書いてあった。1966年6月の東京戦。ピッチャー鈴木隆から死球をくらった次の打席でフェンスに届く長打。明らかに2塁打なのに3塁まで走った挙句3塁で山崎(恐らく山崎裕之)に体当たりしたそうだ。やられたらやり返す。半沢直樹が誕生する前に倍返ししていた。これもいまならヤフトピに出るレベルだ。ていうか倍返しなら鈴木隆にやらないと。山崎裕之かわいそう…。
こうして見てくると最近の外国人選手が小物に見えてくる。第一訃報が日本にまで届くかも怪しい。スペンサーは日本で実働7年。近年はここまで長く契約もされないので単純に印象に残らない。打ち上げ花火のようにドカンとその時は話題になるがそれでおしまい。日本球界に足跡を残すとしたら記録を打ち立てるなり優勝の立役者になるしかない。日本球界に影響を与えたブレイザーやスペンサーの存在の方が稀有なのだ。
そういう意味では最初に紹介した二宮清純氏の記事に書いてあるようにブレイザーとスペンサーは殿堂入りの価値がある。黒柴スポーツ新聞も殿堂入りに一票。スペンサーの死去をきっかけに彼らの活躍や生き方にもう一度注目が集まることを願う。
きょうの1枚はスペンサー、といきたいところだが持っていないので同じく阪急のバルボン。このカード裏のメモによればシーズン打席歴代2位の671、シーズン打数歴代10位の590、シーズン三塁打歴代5位の13という記録が残っている。3年連続盗塁王だそうだが「練達の日本語で相撲解説も得意」だったそうだ。バルボン…。
第93回箱根駅伝は青学大3連覇&3冠、親子鷹対決も幻の区間賞も!~沿道の声援も含め皆さんお疲れさまでした
2017年1月2~3日に行われた第93回箱根駅伝は青山学院大学が3年連続総合優勝を果たした。同じ年に出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝を制する「3冠」と箱根3連覇の同時達成は史上初の快挙となった。
今年は往路終わって2位の早稲田大が青山学院大に33秒差。復路、いやいきなり6区で逆転劇があってもおかしくなかった。青山学院大の原晋監督は「差を1分まで広げられたら」と思っていたそうだが6区の小野田勇次(2年)が1分どころか2分8秒差にまで突き放すことに成功。早稲田大が往路で追い詰めていただけに逆に突き放すカウンターパンチとなった。
一難去ってまた一難。今度は7区で田村和希(4年)が脱水症状になるアクシデント。早稲田大がまたも差を詰めたが8区で下田裕太(3年)が区間賞の快走。6区に続く2度目のカウンターパンチがヒットして早稲田大との差は5分32秒にまでなった。
振り返れば往路でも2区のエース一色恭志が(4年)が伸び悩む苦しい展開。しかし3区の秋山雄飛(4年)がこれを挽回する激走。見事トップに押し上げた。つまりピンチの後即挽回した結果が3連覇につながった。
これぞ駅伝、これぞチームプレー。だからこそ青山学院大は強かったなとうならされた。今年のテーマは「個の色 合わせて 緑となれ」だったそうだがまさにそれを体現した。
今年印象に残った出来事を二つ書く。一つは親子鷹対決が5区であった。大東文化大学の奈良修監督の息子、奈良凌平。山梨学院大の上田誠仁監督の息子、上田健太。山の神というフレーズが定着するずっと前、共に父は5区を走った。そこでジュニアたちがしのぎを削る。長年箱根を見てきたファンにはたまらなかっただろう。残念ながら上位争いに絡むレースではなかったが上田健太は3年、奈良凌平に至ってはまだ1年だ。奈良凌平は母親を30代で亡くしているだけに来年以降活躍している姿を天国のお母さんに見せてあげてほしい。
もう一つは幻の区間賞。10区を走った東京国際大の照井明人(4年・関東学生連合)が1時間10分58秒と、区間賞の順天堂大・作田直也(4年)の1時間11分00秒を2秒上回ったが関東学生連合はオープン参加(参考記録扱い)なので幻の区間賞となった。オープン参加だとこういう扱いになるとは知らなかった。
だがスポーツファンはこういう小ネタが大好きだ。心底箱根駅伝が好きな人はずっと照井明人という名前を覚えておくだろう。照井明人という名前自体が照明を思わせて何だか光り輝いている。「オレ、幻の区間賞男ッス」と逆においしいと思って学生時代の努力を今後に生かしていってほしい。
年を取るごとに選手だけでなくボランティアや監督コーチ、控え選手、警備員、白バイ、日本テレビのよどみない放送技術、沿道の声援といった「周辺部」に目が行き出す。箱根駅伝の何がいいって生放送一発勝負のドラマであるところ。選手の体調異変にヤキモキ。繰り上げスタートまで何秒かにハラハラ。大学関係者でもないのに目が離せないのはこの勝負事が「走ってみないと分からない」からだ。
当日のエントリー変更だけ見てもドラマがある。自分だったら「明日走るんだな」と心の準備をして入れ込んでいてもし「やっぱりやめ」と言われたら収拾付くのかな?と思ってしまう。でも各大学はすさまじい走り込みをしていく中で自然と絆が出来上がっていくから案外自分が走れなくても応援できてしまうものかもと思ったりも。実際のところはどうなのだろうか?
ともかく青山学院大は「山の神」がいなくてその5区が区間8位であっても負けなかった。不安材料があっても勝つ、いや、負けなかったというところが本当の強さに思えた。原晋監督は今後の抱負を聞かれ「青学軍団から一人でも東京五輪へ」と話していたが青山学院大だけでなく若い力が切磋琢磨して、ぜひ箱根駅伝OBが東京五輪で活躍してほしい。
フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉
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箱根駅伝関連記事もぜひご覧ください! 関東学生連合の選手にも区間賞を与えるべき? 与えなくていい? どちら派ですか?
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旭化成ニューイヤー駅伝18年ぶり優勝はカープをほうふつさせる復活劇~村山兄弟、市田兄弟が「ツインズ旋風」
胸に大きく「旭化成」の文字。少年時代、旭化成陸上部のユニフォームはまぶしく見えた。いつしか旭化成の文字は小さくなっていた。ニューイヤー駅伝での低迷期と重なり、実物以上に小さく見えていたのかもしれない。
2017年元日。ニューイヤー駅伝で旭化成は実に18年ぶりの優勝を遂げた。それでも優勝回数は最多22回。まさに古豪復活である。
1区は村山紘太が11秒差の13位と出遅れた。しかし4区市田孝、5区村山謙太、6区市田宏と3区間連続区間賞。そう、旭化成には村山兄弟、市田兄弟という双子が2組もいたのだった。
旭化成で双子と言えば宗茂、宗猛の「宗兄弟」。1980年代の名ランナーである。日本が不参加だった1980年のモスクワオリンピックではともに日本代表であった。宗茂は日本人で初めてマラソン2時間10分を切った人でもある。
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宗体制でチームが強化されたのは1988年から。ニューイヤー駅伝で旭化成は1990年代、1位9回、2位1回というから育成も本番も実にうまくいったことになる。
じゃあなぜ18年も優勝できなかったのかと思いたくなる。最初に言われるのが外国人選手を起用しなかったことだ。ニューイヤー駅伝では2区で外国人選手を投入できる。箱根駅伝でも、高校駅伝でも外国人選手の起用がレースのポイントになることは素人でも分かる。
ただし黒柴スポーツ新聞は外国人選手起用に批判的ではない。むしろ応援している。たまにテレビで各陸上部を紹介するが大概の外国人選手は日本語でしゃべってくれる。それも日本から遠く離れたアフリカ勢がだ。言葉も文化も習慣も別世界の日本で生活していくだけでも大変。プラス陸上生活を頑張るのだから日本人選手もいい影響をもらえるに決まっている。だから全区間外国人選手なんてことがないかぎり外国人選手が参加することは賛成なのだ。
しかしこれと歩調を合わせなかったのが旭化成。宗茂は「旭化成の運動部」という本の中でこう語っている。
「私たちは、正直なところ、日本人の選手を強くしたいんです。なぜかといえば、日本人選手がエースでやっていかないと、チーム全体が育たないというか、強くならないんです」(62ページ)
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この「旭化成の運動部」という本の著者は大野誠治さん。日刊工業新聞や日本工業新聞にいたそうだ。本が出たのは2000年。本の帯には「シドニー五輪マラソン代表・川島伸次、佐藤信之、柔道代表・篠原信一、中村行成・兼三兄弟。旭化成はなぜこんなに強いのか」とある。そう、そのあたりが書いてある。まさにそれが知りたくて編集局長も購入したのだった。
ざっくり言えば旭化成の運動部の精神が「第一に『よき社会人たれ』、第二に『よき企業人たれ』、第三に『オリンピックの勝者たれ』」だからである。ただスポーツで強いというだけではだめなのだそうだ。
その代わり、というわけでもなかろうが選手は正社員なのだそうだ。引退してもそのまま社業をやる、と書いてある。もっともこれは本が出た時点での話で今のシステムは分からない。ただ外国人選手を起用していないあたりをみても基本姿勢は変わってなさそうだ。
とはいえ、とはいえだ。言うは易し、行うは難し。実際にはニューイヤー駅伝で旭化成は17年間も勝てなかった。競技は違うがこのあたり、自前の戦力の強化を選び低迷期を味わった広島東洋カープをほうふつさせる。黄金期を知らない村山兄弟、市田兄弟の加入、活躍はさしずめ優勝を知らない世代のタナキクマルや鈴木誠也の躍進とダブるところがある。
そしてあえて寝た子を起こしてみる。旭化成建材は2015年、くい打ち工事で虚偽データを使うという不祥事を起こした。会見には旭化成の社長が出ていたからグループとしてのおわびということになる。企業スポーツにとって親会社の不祥事のダメージは計り知れない。下手したら活動自粛もあり得る。優勝から遠ざかっていた時期だけに旭化成陸上部も大変だったことだろう。
不祥事が発覚する前の入社ではあったが、村山兄弟はあえて優勝から遠ざかっている旭化成を選んだのだとしたら男気があるなと思う。今現在強いチームに行く、調子のいいチームに行くというのは選択肢として当然。村山兄弟といえば箱根駅伝でも名をはせた。そういう人にはさまざまな選択肢があるはずだ。箱根駅伝で活躍することは就職先を決めることと言ってもいい。有力選手はあちこちの著名チームに進んでいるのだ。
【コニカミノルタ】
【Honda】
【日清食品】
【富士通】
【トヨタ自動車九州】
以上、ぱっと目についた人だけ書いたが箱根駅伝ファンが見たらもっといっぱい事例があるだろう。箱根駅伝はまさに「走る就職活動」である。でもずるいとも思わない。頑張った人にはそれ相応のご褒美があってしかるべきである。
村山兄弟は村山謙太が兄、村山紘太が弟。面白いのは別々の大学に行ったことだ(謙太=駒大、紘太=城西大)。ウィキペディアによれば弟の紘太が「兄のまねだけしていては勝てない」と考えてのことだという。世の中的に双子は服まで一緒のイメージがあるが双子でもライバル、競争相手だという思考は大好きだ。
そのかいあってか村山紘太は10000メートルであの高岡寿成の記録を破り27分29秒69の日本記録を樹立。オリンピックにも出場した。
なおこの記事中で「謙太、頑張るぞ」と「弟」に呼び掛けていたとあるが「兄」の間違いではないか?
そういう意味では村山兄弟の地元、宮城の河北新報記事はさすが手厚い。信頼感、安心感。やっぱり地元の情報はなんだかんだで地元紙が一番だ。応援したい気持ちがこもっているから読み手も応援したくなる。ぜひ下の記事もチェックしていただきたい。
何となく、だが村山兄弟が旭化成を選んだ理由が分かる気がする。そして地道にこつこつやる旭化成運動部に合っているように思える。このあたりが旭化成復活の理由と黒柴スポーツ新聞は見た。村山兄弟にもレジェンド宗兄弟ばりの活躍を期待している。
1月3日追記。ニューイヤー駅伝に今後出るかもしれない若者たちによる箱根駅伝記事もぜひご覧ください。
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1月8日追記。関東学生連合で出場した照井明人選手の記事も書いてみました。幻の区間賞だったけれどカッコよかったです!
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40年前の1977年プロ野球選手は年賀状に何を誓ったのか~一年の計は元旦にあり
今から40年前、プロ野球のスターたちはどんな年賀状を出していたのだろうか? その答えは週刊ベースボール1977年1月3・10日合併号に載っている。
「プロ野球スター選手年頭ごあいさつ集」と銘打った見開きのページ。この号はパ・リーグの巻として合計10枚の年賀状が紹介されている。
【右ページ】
・福本豊(阪急)
・江夏豊(南海)
・三井雅晴(ロッテ)
【左ページ】
・加藤秀司(阪急)
・佐藤道郎(南海)
・弘田澄男(ロッテ)
・大田卓司(クラウンライター)
40年前はこうした顔ぶれが各チームの主力だったのだ。目が異常に肥えた黒柴スポーツ新聞の読者であればこれらのネタだけでご飯を3杯くらいおかわりできるはずである。
面白いのは上記メンバー、主力でありながらも移籍組が多い。その後どうなったか。
・高橋直樹(広島、西武、巨人)
・佐藤道郎(大洋)
実に10人中7人がチームを変えている。40年も前はFA制度なんてものはない。まさに自らの商品価値をもってしてチームを変わっているのだ。そう、ずっと前から仕事ができる人はどこでも仕事ができるのだ。
40年前と違うこともある。ずばり個人情報に対する意識。実は載っている年賀状によっては番地や部屋番号までばっちり見える。今なら住所が特定されて配慮がない、ということになるがこの時代はOKだったのだ。うっすら記憶しているが1980年代の選手名鑑にも住所が載っていたような。
年賀状を見ると人柄がうかがえる。
江夏豊と高橋直樹は既製品というか印刷のみで、メッセージはなし。
写真を使っているのは3人。福本豊は日本シリーズの表彰のものか、花束を持って高々と両手を上げているシーン。「今年もV3をめざして頑張ります」というメッセージ。太田幸司は力強い投球フォームの写真にサインをかぶせている。佐藤道郎はきりっとした背広姿で娘さんを抱っこ。「巳年にあやかり執念をもやして頑張ります」と決意表明している。
写真はないが目標を書いている人はほかにも。加藤秀司は「目指す V3 3冠王」。三井康晴は「十五勝を目標にして頑張りますからよろしく御願いします」。弘田澄男は「今年こそは優勝めざして頑張ります」。
代筆をしていない前提だが最も達筆だったのは弘田澄男。大田卓司もなかなかであった。
このベースボールマガジンは宝物だ。実は巻末にあるグラビア(もちろん野球選手のです)の一人が福本豊。この時点で7年連続盗塁王と脂の乗り切ったスターだ。2000年代になってからまさかのご本人に出合うチャンスがあった。思い切ってサインをお願いしたら快く書いていただけた。それがこれだ。
大スターに会えるチャンスはどこに転がっているか分からない。
思えば2016年の元日に思い立って黒柴スポーツ新聞をスタートして1年。一年の計は元旦にありという。元旦、ではなかったけれど元日にブログを始めたからこそかなえられた出会いがあり学びもあった。2017年も引き続き小ネタを送り続けますので応援よろしくお願い致します。
ちなみに編集局長の2017年個人テーマは「人のために」。元々自分大好き、自分優先でやってきた。もちろん常識的に他人を立てることはしてきたけれど。しかしこれからは作業の先にいる人、成果の先にいる人、例えばブログで言えば自分の楽しみで書く作業の先にいる「読んでくださっている方」を今以上に意識しようという気持ちでいる。きっとそれが書く作業でも原動力になるはず。あ、やっぱり自分優先?
なお今から40年前、1977年ペナントレースはどうなったか覚えていますか?
【セ・リーグ】
1巨人
2ヤクルト
3中日
4阪神
5広島
6大洋
【パ・リーグ】
1阪急
2南海
3ロッテ
4近鉄
5日本ハム
6クラウン
【日本シリーズ】
阪急4-1巨人
MVPは山田久志でした。
それでは2017年もよろしくお願い致します。
黒柴スポーツ新聞創刊1年目を振り返る~支持をいただいた記事を紹介しながら
きょうは12月30日。2016年も残り1日です。1年間、黒柴スポーツ新聞のご愛読ありがとうございました(特に初期からの読者向けですが)。
振り返れば2016年1月1日に思い立って急きょ創刊(ブログ開設)。新聞のコンセプトもそこそこにスタートし、得意の野球ネタも2月1日のキャンプインまでいきなりネタ枯れの危険すらありましたがその後も何とか食いつなぎました。
結果的に記事数は330本。毎日更新を目指していましたが中途半端なものをお見せするよりは素直にギブアップしようという方針になり休刊日が続発しました。初年度としてはまあまあかなと思っています。
大河ドラマにならいまして、黒柴スポーツ新聞2016年の総集編。特にシェアしていただいた記事を貼り付けます。
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まずは森岡良介の記事。ヤクルトファンでもないのですが甲子園観戦を通じて明徳義塾時代を知る者として森岡良介引退にはぐっとくるものがありました。記事はトライアウトを経て入ったヤクルトのファンの方、および森岡良介個人のファンの方を中心に支持していただきました。
うれしかったのは森岡ファンと思しき方からツイッターで「何この記事? 超絶いい」的な反応があったこと。確かにヤクルトファンでもないのにアツく書いてしまいました。そう、選手を思う心があればこういう記事を世に出せて、温かい反応を得られる。とても勉強になる出来事でした。
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続いてはかねてから応援していたウィルチェアーラグビー日本代表キャプテン、池透暢選手にリオデジャネイロパラリンピックの銅メダルを触らせてもらった日のことを書いた記事。今年の夏は夜勤職場への応援に行っており、帰宅後もテレビを見たりブログを書いて朝方寝るという昼夜逆転生活。いろんな意味でくたくたになりましたが特にウィルチェアーラグビー日本の快進撃に触発され今まで書いたことのないウィルチェアーラグビー記事を連日書きました。
2020年には東京でパラリンピックがあります。黒柴スポーツ新聞編集局長は2年間障害者スポーツ記事を書いた時期がありましたが、それでもすべての競技を見たわけではありません。だから言えます。今からでも十分各競技に親しむ時間はあります! あとは皆さんの気持ち次第。おすすめはまず「お気に入りの選手」をつくること! ぶっちゃけ「かっこいい」「かわいい」「素敵」という印象スタートでいいんです。追ってるうちにかっこいい訳、かわいい訳、素敵な訳が分かります。もっと知りたいからルールも頭に入るという流れ。団体競技なら連係プレーがありますからチームメイトの名前も徐々に覚えられます。いまどきSNSを利用すれば選手とつながれることも! ただし選手は競技第一、家族第一という方ばかりです。ファンとしてのエチケット、マナーは守りましょう。
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最後は野球解説者、鬼嶋一司さんが甲子園解説勇退を明言された直後に投稿した記事。編集局長自身がテレビを見ていて「勇退!!!!」と絶句しただけに「こういう時こそすぐ投稿だ」と早速執筆したのが奏功。ぐんぐんアクセスを伸ばしたのでした。この一件で「旬のネタほどのタイムリーに」という鉄則を身をもって学べました。え、新聞記者ならそれくらい常識だろと思われるでしょうが、まだまだ締め切りが日にち単位の古い考えがあるのも事実です。即投稿、即シェア、即拡散。速さだけが一番でもありませんがこれはと思う時は迅速に動く。2017年も熱いものは冷めないうちに召し上がっていただけるよう心がけます。
シェアはそれほどではありませんでしたがテレビと連動してアクセスがうなぎ上りだったのが黒田博樹投手の座右の銘を紹介したこの記事。いまどきテレビを見ながら検索、というのは当たり前の行動なのかもしれませんね。異常なほどの反響。検索するとこの記事が上位に表示されていました。
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たびたび訪れている読者の方は、上記の記事すべてチェックしていただいていたでしょうか? 1日平均120人くらいの方しか訪れない弱小メディアですがよくもまあ黒柴スポーツ新聞にたどり着くよなと逆にあきれます。皆さんマニアックな検索好きですねえ。「筒香 帽子」とか(笑)
ちなみにほぼ9割が「一見さん」です。ということでこの1年間のアクセスが約5万なので4万5千人とご縁をいただいたことになります。しかも大多数の方が検索によってお越しになった方たち。すごい出会いです。ブログを始めなければ出会えなかった方たちです。一本の記事を読むのに1分、数分でしょうか。貴重な時間をいただいているだけに、何かしら残像が残れば幸いです。これからも黒柴スポーツ新聞への応援をよろしくお願いいたします。
地獄の伊東キャンプで18人はなぜ一人も脱落しなかったのか?~篠塚和典が明かした長嶋茂雄氏のゲキ
12月30日午前8時30分から、長嶋茂雄氏、王貞治氏、高橋由伸が出てくる対談をテレビで見た。司会は中居正広。この豪華メンバー、回せるのは中居クンくらいである。
対談の模様を後日、スタジオで振り返る形式。スタジオには徳光和夫や篠塚和典らがいた。
篠塚和典は発言が少なかったが長嶋さんに関しては次の一言が印象に残った。語り草になっている1979年秋の伊東キャンプでのひとこまだ。
「ここにいるおまえたちがこれから10年、15年のジャイアンツを支えるんだ」
ミスターはそうキャンプ参加の若手にハッパをかけたと言う。このゲキが心にぐっと来た若手は20日間のキャンプ中、だれもけがしなかったという。
半ば伝説化した猛特訓。中畑清、松本匡史、江川卓、西本聖…。18人がなぜ「地獄の」キャンプを耐えられたのか。脱落者が出なかったのか? その答えが上記のミスターのゲキだ、と黒柴スポーツ新聞編集局長は見ている。
つまり目的の明確化だ。やみくもに投げ込み、振り込み、走り込みを命じられたのではたまらない。おまえたちがこれからのチームを背負って立つのだ。土台になるのだ。基礎が揺らいでは話にならないぞ。そういう期待が込められているから、そういう期待を感じられたからこそ脱落者が出なかった。
最近、人は感情で生きる動物だなあと感じることがあった。だからこそ思う。人はスイッチさえ入ればできる。だから能力を上手に引き出すにはいかにタイミング良くスイッチを押すかが大切だ。
もちろんそのスイッチは自分で押す必要がある時もあるし、周りに押してもらう時もある。伊東キャンプの時はミスターなりコーチが「強制的に」押したのだが。それでも本人がやらねばならないと感じたのであればそれは強制ではないと思う。
大事なのはスイッチを押す人と押される人の気持ちが通じているかどうか。自分でスイッチを押す場合でも、押す自分と押される自分の波長があっていなければきっとうまくいかない。
併せて読みたい巨人ネタはこちら。気になった記事はぜひシェアお願いします!
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素晴らしき球団バッジの世界~広島25年ぶり優勝おめでとうございました編
球団バッジなるものをご存じでしょうか? 球団のロゴなりチーム名をかたどったバッジで正式な名前も分からないのですが、とりあえずネット上でこれらを紹介している方に敬意を表して球団バッジと表記させていただきます。
こんなやつです。雰囲気が出るようにベースボールマガジンの広島ユニフォーム解説紙面を敷いてみました。
ネットでの予習によればバッジは野球帽にそもそも付いているとか、駄菓子屋で買えたそうです。あとは少年たちがいかに「トレード」して戦力を整えるかにかかっていたのでしょう。
黒柴スポーツ新聞編集局長の少年時代には見たことがありませんでした。じゃあ何で持ってるかと言えば雑貨屋で見つけた時まとめ買いしておいたのです。そういう意味では邪道なのですがレトロなものがお好きな方、あるいはリアルタイムでこれ集めてたなあという方、あるいは若いプロ野球ファンにも楽しんでいただければと紹介してみます。
素材としては金属が王道でしょう。プラスチックのものもありますが明らかに金属に似せたものがありますので。金属のものは全く重みが違います。残念ながらプラスチックは安っぽさが否めません。ただしプラスチックは色を付けられる利点があります。
若干分かりにくいですが写真は銀色、金色、赤のプラスチックバッジです。キャラクターの顔が何とも間抜けというか脱力感満載です。
やっぱり金属だよな、という方のためにもう1枚。
一番上は七宝焼きでしょうか。ブローチっぽいです。カープ坊やのクオリティもそこそこ。裏面にはきちんとマルシーマークで「広島東洋カープ」と表示されています。
真ん中のものは打者の左そで口に小さく「8」が。つまり彼は山本浩二でしょう。CARPの文字も華やかさがあります。
一番下のものはCARPのみですがCのマークがボールの中にあるタイプ。金属バッジなのにきちんと縫い目まで再現されている芸の細かさにうならされます。
残念ながら日本シリーズで敗れたものの、25年ぶりのセ・リーグ制覇で日本中を感動させた広島東洋カープに敬意を表してトップバッターで紹介させていただきました。楽天を除き奇跡的に12球団分の球団バッジがありますので、続編をお楽しみに。