黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るワンシーンやプレーヤーについて綴ります。

ソフトバンク22点の大勝から1985年夏の甲子園PL対東海大山形にタイムスリップ

5月24日21時の速報で、ソフトバンクオリックス相手に20点も取っていた。最初ラジオで16点という途中経過が流れた時は聞き間違いかと思った。この記事が仕上がるころにはいったい何点取ってるんだか。恐るべしホークス打線。

 

プロ野球の1試合での最多得点は何点なのか。早速いつものプロ野球記録大鑑(1992年まで)を見たら、1940年4月6日に阪急が南海相手に32点取っていた(スコアは32ー2)。本によれば、南海は後の名監督・鶴岡一人ら主力が兵役に出ており弱体化。阪急は戦力アップを図っており両者の間には力量差があったという。にしても32点なんてなかなか取れるものではない。

 

打たれた南海は先発の劉瀬章が4安打され1回持たず4失点。継いだ平野正太郎は11失点。3番手の深尾文彦は被安打13の12四死球で17点取られた。4+11+17=32。さぞや時間が掛かっただろうと思いきや1時間56分という2時間切り。目が回りそうだ。

 

もっとも最高のオチは翌日阪急が2安打の0-2で負けたこと。大勝の翌日は得てしてこんなもんかもしれない。

 

じゃあ甲子園の1試合最多得点はもしやあの人たちの…と思ったら合っていた。1985年PL学園東海大山形相手に記録した29点。あの人もマウンドに立ったんじゃなかったっけ? 

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この大敗を取り上げた傑作がある。横尾弘一氏の「四番、ピッチャー、背番号1」に出てくる藤原安弘(東海大山形エース)の章「BARBAR SHOP ACEのリベンジ」。タイトルは藤原さんのお店の名前にちなんでいる。誰もが強いPL目線でこの歴史的なスコアを記憶する中で横尾氏は相手のエースのその後を取材した。こういう優しい目線が大好き。だからといって憐みを出すわけでもない。むしろ敬意がにじみ出る文章だ。

 

実際、東海大山形が宿敵・日大山形と演じた山形大会決勝は名勝負であり、そのことを知れるだけでもこの作品を読んだ価値があった。だが山形での体の酷使が歴史的大敗につながっていた。作中、試合前にコンディションをたずねられ「30点くらい取られるんとちゃいますか」と答えている。まさかそれが本当に起きるとは…。

 

それにしても各地方大会の決勝は他人事なのに見ているとたまらなくなる。善人ヅラするつもりはないが、両校甲子園に行ってもらいたくなるがそれができないからこそ甲子園の価値はある。だがいつも準優勝校のうなだれる姿に目が行ってしまう。

 

「甲子園の大敗を引きずるな。前を向いて頑張れ」。社会人時代の先輩、岡本透が藤原に贈った言葉が素晴らしい。藤原のその後に胸を熱くしたい方はぜひ横尾弘一氏の本を手に取っていただきたい。黒柴スポーツ新聞の愛読者なら大満足間違いなしの名作です。

四番、ピッチャー、背番号1

四番、ピッチャー、背番号1

 

 

きれいにまとまったのに肝心のソフトバンク戦が終わらない…(NHKニュースウォッチ9のスポーツコーナーで見たら8回裏で22点だった)。

 

きょうの1枚は吉田修司。1988年度の巨人ドラフト1位だが、ウィキペディアによると巨人時代に1イニング10失点の滅多打ちにあう。これは中継で見ていたが「あ、この人終わったな」と思ってしまうような見放され方だった。代えずにさらしものにしたベンチはどういう判断だったのだろうか。しかし吉田はトレードされたホークスで生きる道を見つけた。最初は結果が残せなかったものの中継ぎとしての地位を確立。1998年から2003年までの6年連続で50試合以上登板した。通算533登板。屈辱に耐えた男への勲章だ。「終わったな」なんて失礼な見方をしたことを心からお詫びします。が、ホークスでの活躍はちゃんと見てほっとしていたのも事実。しっかりホークス70周年カードでも取り上げられていてよかったし、何よりこういう中継ぎ投手もきちんとカードにしてくれるチームに行けて本当によかったと思う。吉田もまたあの大量失点を引きずらず、前を向いて頑張ったのだ。あ、ホークス戦終わりました。22-6。応援団の皆さんもお疲れさまでした。あの阪急みたいにならないよう、明日が肝心ですぞ!

 

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