黒柴スポーツ新聞

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バックスクリーン3連発と完全試合とプロ初先発初完封の槙原寛己~人生はいいことも悪いこともある

購読している新聞に載っていた。きょう4月17日は槙原寛己が「バックスクリーン3連発」を打たれた日だそうだ。ただし見出しは「センター越え3連発」。そう、野球ファンは知っている。阪神タイガースの主軸が放った3発すべてがバックスクリーンに入ったのではないことを。そしてその差異がどうでもいいということも。黒柴スポーツ新聞編集局長は巨人ファンではあるけれど、この記事ではあえてバックスクリーン3連発で押し通す。

4連キーホルダー伝説のバックスクリーン3連発

4連キーホルダー伝説のバックスクリーン3連発

 

 バックスクリーン3連発単体で見ると槙原寛己は被害者だ。打たれたのは1985年。プロ生活4年目のことだ。まだまだ若さあふれる直球主体のピッチングだった印象で、それがあだになったようにも見える。7回表、2死1、2塁。巨人が3-1とリードしていた。

 

一発出れば逆転という局面で3番バースなら慎重に攻めないといけない。バースはここまで打率1割3分3厘。しかもこの日のチャンスで、槙原寛己が初めて投げたというシュートを引っ掛け併殺打に倒れていた。

 

槙原寛己自身、これが伏線と認めている。7回のバースの打席ではキャッチャー佐野元国のストレート(で外す)のサインに逆らい勝手にシュートを投じた。一方のバースは併殺打に倒れた反省を生かし、次もシュートを投げてくると読み切って振り抜きバックスクリーンに叩き込んだ。

 たった1球でリードを失った槙原寛己。野球も人生もこういう残酷なことが起きる。槙原寛己とバースの対決からは「反省」の大切さと「悦に入る」危うさを学ぶことができる。

 

槙原寛己の失敗は続く掛布雅之の打席でも。バースに対しストレート勝負を挑まなかったことを「後悔」し今度はストレートを選択。アツくなってしまったのだ。掛布雅之は差し込まれたが左手を冷静に押し込むことでスタンドまで持っていった。槙原寛己はまだまだ若くここで冷静になれというのは無理な話かもしれない。

 一方の掛布雅之はさすが。バースの派手な逆転弾でお祭り騒ぎとなった甲子園にちょっと「間」を作るべく、初球は打つ気なし。2球目も見送って「掛布雅之VS槙原寛己」の場面を作ろうとした、とインタビューで説明していた。やはり「間」を意識できる人は強い。

 

3発目の岡田彰布は自身がそのシーズン、まだホームランを打てていない焦りがあったという。だが前のバース、掛布雅之への投球内容を見て「ストレートはない」と分析。スライダーに合わせると打球は再びバックスクリーンに吸い込まれていった。掛布雅之いわくバックスクリーン3連発で最もいい内容の1発だそうだ。確かに巨人ファンから見ても美しい。 巨人バッテリーはもうなすすべがなくなっていた。

 バックスクリーン3連発の映像はYouTubeでもいろいろある。「こーれもいくのか、こーれもいくのか」「クロマティーはーーーー、追わない!」などなど植草貞夫アナウンサーの名実況も併せてお楽しみください。黒柴スポーツ新聞編集局長的には「平田(勝男)は自分が打ったわけじゃないのに一人で喜んでいますね」が秀逸だと思う。

 

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 さて。これだけだと槙原寛己が凡庸な投手になってしまう。ご存知のように槙原寛己は日本プロ野球で15人しかいない完全試合達成者である。

完全試合達成者】

藤本英雄(巨人)

武智文雄近鉄

宮地惟友国鉄

金田正一国鉄

西村貞朗西鉄

島田源太郎(大洋)

森滝義己(国鉄

佐々木吉郎(大洋)

田中勉西鉄

外木場義郎(広島)

佐々木宏一郎(近鉄

高橋善正(東映

八木沢壮六(ロッテ)

今井雄太郎(阪急)

槙原寛己(巨人)

 

黒柴スポーツ新聞編集局長が大好きな本「完全試合」(北原遼三郎著)の出番である。

完全試合―15人の試合と人生

完全試合―15人の試合と人生

 

 これによると完全試合(1994年5月18日)の9回表、槙原寛己村田真一は先頭バッターへの入り方をこう相談していた。

 

村田「変化球でどうだ」

槙原「まっすぐでいきたい」

 

変化球で打たれたら悔いが残るから、だった。ストレートにも自信があった。もしかしてのもしかして、だが、バックスクリーン3連発の1発目、バースに直球を投じなかったこともうっすらと影響しているかもしれない。後悔だけはしたくないものだ、と。

 

槙原寛己村田真一は同期。当初槙原寛己の背番号は54。村田真一は56。駒田徳広の50、吉村禎章の55ともども50番台カルテット(世間一般的には50番トリオ)であったが村田真一は最も遅咲きであった。だが同期はいいものだ。ともすれば自分勝手にも見える槙原寛己村田真一はこう答えた。

「わかった。好きにせいや」

 槙原寛己完全試合の舞台裏で何があったのか。どうして完全試合ができたのか。興味がある方はぜひ「完全試合」(北原遼三郎著)をご覧ください。

 

先日、広島の新人、加藤拓也が初登板初先発ノーヒットノーランなるかという快投を見せた。槙原寛己は初登板初先発初完封をしている。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

 槙原寛己の初完封は延長10回だった。果たして現代野球でありえるだろうか。ちなみに投げ合った相手は阪神野村収だった。15年目の大ベテランである。槙原寛己はまだ2年目。

 巨人は10回に待望の先制点。阪神は10回裏2アウトながらランナー1塁。バッターは掛布雅之。最後の最後にしびれる場面だ。そして掛布雅之はセンターに大飛球を放つ。が、センター中井が好捕し試合終了。やれやれという槙原寛己の表情が印象的だった。

 

プロ野球ニュースではこの日掛布雅之が4回空振りしたことを指摘。解説の西本幸雄は「それほど槙原の球は素晴らしいということが言えるのでは」と話していた。

パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

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 槙原寛己がプロ初登板初先発初完封をしたのが1983年4月16日。その2年後の1985年4月17日に同じ阪神からバックスクリーン3連発を喫するのだから人生は分からない。別の視点で見ればこれは掛布雅之のリベンジ劇でもあった。1983年4月16日は最後のバッターだったがその2年後には4番としてバックスクリーン3連発をお見舞いしたのだから。

 

いまさらながら、いい時も悪い時もひっくるめて人生。権藤博人間万事塞翁が馬と言っていた。少々のことは一喜一憂せず前に進んでいこう。

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