黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

人にはそれぞれ役割がある~1979年近鉄初優勝、山口哲治プレーオフ魂の3連投

近鉄初優勝時(1979年プレーオフ第3戦)の胴上げ投手をすぐ思い出せるだろうか。山口哲治。通算16勝12セーブの男が近鉄球団創設30年目、悲願の初優勝のマウンドにいたのはまさに奇跡と呼ぶにふさわしい。山口の活躍を見ると、人にはそれぞれ役割があるのだと再認識させられる。

山口哲治智弁学園の出身。Wikipediaによると甲子園には1977年春、夏と出場している。その年のドラフト2位で近鉄に指名された。1年目の1978年は出場しなかったが、2年目の1979年は36登板して7勝4セーブ。何より148.1イニングを投げて防御率は2.49。最優秀防御率のタイトルに輝いた。79年前期優勝の近鉄西本幸雄監督は山口哲治を阪急(後期優勝)との大事な大事なプレーオフに3連投させた。これがすごい。最優秀防御率という数字による裏付けはあるが、山口はまだ2年目。ようやく20歳の若者に球団創設30年分の悲願を託したのである。

ベースボールマガジン社 発掘!「プロ野球 名勝負」激闘編に、激闘!プレーオフ~1973-1982パ・リーグという章があり、山口哲治はプレーバック「太平洋シリーズ」の熱き記憶(文・岡江昇三郎)に出てくる。それによると山口は3試合とも満塁でリリーフしている。第1戦は8回一死満塁、第2戦は8回一死満塁、第3戦は7回二死満塁。ここまで来ると西本監督の山口への信頼が揺るぎないというか、もうここまで来たら山口哲治しかいないんだという信念に思えてくる。そして山口はそれに全力で応え、結局計6回3分の1を被安打1の無失点という完璧なリリーフ。1勝2セーブでプレーオフMVPに輝いた。

冒頭に山口哲治の通算16勝12セーブを紹介したが、プレーオフはレギュラーシーズンではないから通算成績に入らない。まさに山口の魂の3連投は記録ではなく記憶に残る快投。最後のバッター蓑田を三振にとり万歳して喜びを爆発させた。その瞬間は野球カードにもなっている。優勝後のインタビュー「(ファンレターに)返事は書けないのでグラウンドで返す」は秀逸だった。

山口哲治はその後けがもあり満足な現役生活だったとは言い難い、かもしれない。移籍先の南海で引退した。29歳だった。Wikipediaによれば阪神近鉄で打撃投手を務めた。胴上げ投手が裏方の打撃投手になるのは極めて珍しいのではなかろうか。近鉄でコーチを務めた後、楽天でスカウトに。2017年1月27日のfull-count記事によると、楽天のピッチングコーディネーター兼プロスカウトという肩書きになることが報じられた。現役の栄光は閃光と言ってもよいほど短かったかもしれないが、山口の熱投は確かに近鉄球団史に刻まれた。ファンレターをグラウンドで返した山口は、長きにわたりプロ野球の発展に貢献することで、亡き西本監督に恩返しできたのではなかろうか。人間、いつ大ブレイクするか分からないし、その期間の長短も人それぞれ。山口の熱投を見るたびに思う。人にはそれぞれ役割があるのだ、と。まずは目の前のことに全力で取り組む。満塁のピンチを3連続で乗りきった山口の姿は、その大切さを教えてくれている。

85%は苦しみの日々~張本勲はなぜ3085安打できたのか

5月28日は張本勲が3000安打を達成した日だ。ことあるごとに川崎球場での豪快なその1打の映像が流れる。対戦投手は阪急の山口高志。山口対張本ならそりゃあのくらい飛ぶわなというくらい、高々と打球は飛んでいった。そして張本勲はヘルメットも高々と放り投げて、ふさふさの髪を揺らすように、うれしそうにダイヤモンドを1周したのだった。

最強打撃力 バットマンは数字で人格が決まる (ベースボール・マガジン社新書)という本を以前買ったのだが、どうもタイトルが気に食わず、読んでいなかった。ただ、5月28日が張本勲の記念日だと知り読んでみた。出だしは打撃論なのでそこはカット。その後の張本の生涯の方が格段に面白かった。韓国から日本に来たご両親の間に生まれるも、お父さんをすぐ亡くした。お母さんは相当苦労されただろう。お姉さんは原爆で亡くなった。張本自身、被爆している。4歳の時には事故でたき火に突っ込み、やけど。一部の指同士が癒着した不自由な手で、張本は日本通算最多の3085安打を放ったのである。タクシー運転手のお兄さんが給料から学費や下宿代を捻出して広島から浪華商業高校に進むくだりは泣けてくる。張本の才能を見いだした指導者や家族の支えがなければ張本勲の今日はない。

今年、新型コロナウイルスの影響で甲子園が中止になったが張本勲は球児の気持ちがよく分かる。張本は不祥事に巻き込まれ休部扱いにされ、甲子園への挑戦を断たれた経験があるのだ。コロナと同じではないし、今回の方が大規模なのだが、夢に向かってひたすら努力したのは昔も今も変わらない。張本の場合は高校時代からすでに注目され、何と水原茂に「巨人に来なさい」と言われている。実際には巨人が獲得レースから手を引き、残ったのは東映と中日。張本は東京(東映)行きを選んだ。最初は岩本義行監督だったが、のちに水原茂が監督に就任するのだから不思議な縁だ。縁と言えば東映松木謙二郎コーチと出会ったことも張本の人生を決定付けた。まさに二人三脚で理想の中距離バッターを目指していった。

東映フライヤーズ あゝ駒沢の暴れん坊 (追憶の球団)

東映フライヤーズ あゝ駒沢の暴れん坊 (追憶の球団)

  • 作者:越智 正典
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

実に3割以上を16回。首位打者7回。ホームランは504本。そりゃバットマンは数字で人格が決まるというタイトルの本を書くわなと思う実績だ。しかし黒柴スポーツ新聞編集局長としては張本の偉大さを認めつつも数字と人格を結びつける考えは肯定できない。どの業界にも言えることだが、結果さえ残せば偉そうな態度をとってもいいかと言えばそれは違う。張本は記録がぶっちぎりすぎてご意見番にならざるを得ないのだろうが日曜朝ごとに苦言を呈していちいちネットニュースに書かれるという流れはそろそろ終わりにしてもらいたい。レジェンドなのに自ら格を下げている。いちいちネットニュースにする方もする方だが。前は放送を見たりネットニュースを拾っていたが最近はほとんど見ていない。

「最強打撃力 バットマンは数字で人格が決まる」でどのくだりがよかったかというと、「85%は苦しみの日々」。3000本以上ヒットが打てたら、また、毎年のように3割打てたらそりゃ楽しかっただろうなと思っていたがタイトルや優勝の喜びをかき集めても15%にしかならないという。不安や苦しさとの戦い。その連続だったから、引退を決めた時はホッとしたらしい。実は3085安打とは、どうなるか分からない明日に備えて、今を懸命に生きた証だったのだ。成功者の裏側とは、案外こんなものかもしれない。

ソフトバンクは開幕投手を見直すのか~時おり顔出す工藤監督「非情の決断」

ソフトバンク工藤公康監督が、開幕投手再考(いったん白紙)に言及した。確かに開幕日が揺れ動きようやく6月19日に落ち着いたこの流れではやむを得ない気はする。しかし内定していた東浜巨はどう思うかなと想像してしまった。やっぱり信頼感はまだまだ足りないよなと深読みしてしまうのではないか、と。

一度決まったことを変える人をどう思うだろうか。臨機応変か、優柔不断か、それとも人の心をもてあそんだ人か……工藤監督はそんな悪い人ではなかろうが、情よりもその時々で最善手を打つことがある。例えば2019年クライマックスシリーズでの松田宣浩スタメン落ち。レギュラーシーズンは全試合出場した松田だが、クライマックスシリーズでスタメンを外された時はどんな気持ちだっただろう。(元ネタはzakzak記事、松田スタメン落ち、内川に代打… 鷹・工藤監督の“大ばくち采配”に西武・辻監督「俺にはできない」)。記事では楽天とのファーストステージでホームランを打っていた内川聖一に代打・長谷川勇也を送った采配も紹介している。

スタメン落ちした松田宣浩はその後西武とのファイナルステージで活躍して「リベンジ」。内川への代打に関しては長谷川がタイムリーを放ったため工藤采配は実を結んだことになる。しかしそれは松田が奮起したからであり、また、長谷川がタイムリーを打てたからである。果たして今回、仮にも東浜が初の開幕投手から外れてしまった場合、うまく心を整理できるかちょっと心配になってしまった。東浜はいかにも繊細そうに見えるからだ。

プロ野球の場合、監督はどっしり構えていないとチームを束ねられないからいちいち起用法について、その決断の過程は当事者に伝えないのかもしれない。であれば東浜はどうすればいいのか。それは工藤監督はそういう采配をすることがある、と理解することだ。別に東浜だけそういう扱いをしているわけではないと理解した方がよいと思う。工藤監督はこの状況での体調管理を含めて、ただただ最善手を選択したいだけ。東浜とて万全の準備をするだろうが、それを上回る状態の選手がいればその人を開幕投手にしようという考えなのだろう。

個人的には東浜にはぜひ予定通り開幕投手の大役を果たしてもらいたい。そして自信をつけてほしい。2017年に最多勝に輝きながら、何かまだ殻を破りきれていないように見える東浜。この2シーズンは7勝、2勝にとどまっており、エース千賀との距離はどんどん広がってしまっていないか。開幕投手はただその1試合の先発という意味合いなのではなく、このピッチャーを軸に1シーズン闘うぞとの指揮官の意思表明でもある。特にこのコロナウイルス対策で移動時のリスク軽減のため6連戦が組まれる話もある。開幕投手を務めたピッチャーはことごとくキーになる試合に先発することだろう。東浜は5月26日の紅白戦でも3回1安打無失点。これなら開幕投手をいったん白紙にする必要もなさそうなのになと思ってしまうが……。開幕投手が誰になっても応援はするが、できれば予定通り東浜に務めてもらい、一皮むける契機にしてもらいたいと思う。

バレンティンを熱男にするソフトバンク~年俸5億円の効果は現れるのか

5億円の保険が機能するかもしれない。ソフトバンクバレンティンのことだ。昨シーズンオフ、バレンティンがヤクルトを離れることになりソフトバンクが手を挙げた。ソフトバンクにはデスパイネやグラシアルという実績ある外国人選手がいるので、5億円も出して獲得しなくてもいいのでは?と思った人もいただろう。黒柴スポーツ新聞編集局長もそう思った。だがとにかく2019年のソフトバンクは離脱者が多くハラハラドキドキしっぱなしだった。ゆえに保険と言っては失礼かもしれないが、バレンティンを獲得できるならまさしく保険的な安心にはつながるように思っていた。その保険が機能する事態になっている。デスパイネもグラシアルもこのコロナ禍でキューバを出国できないのだ。

これについてはサンスポが「ソフトバンク・森ヘッド、デスパイネとグラシアルの開幕絶望を明かす」と記事にしていた。日本に来られてもすぐ合流できないし、開幕時には戦力と考えてないよというものだ。状況からしてやむをえまい。しかしさほど悲壮感を感じられなかったのは戦力的に間に合っているからではなかろうか。柳田悠岐もいるし、長谷川もいる。そしてバレンティン。工藤監督はバレンティンにレフトを守らせる考えのようだ。

デスパイネはDHまたはレフト。グラシアルもレフトを守れる。バレンティンも守るならレフト。そろいもそろってレフトだが、デスパイネとグラシアルが合流できたなら3人のうち二人をレフトとDHで使えるということなのかもしれない。

ほら、こういうこともあるから獲れる戦力は獲っておいた方がいいよというのも正解だし、それは結果論であって、あまりに高い額で選手を獲得しなくていいよというのも一理ある。ただ今回言いたいのは保険が効きそうだということだ。保険は当たり前だが掛けた人に恩恵が生まれる。バレンティンとて不発に終わる可能性もあるが大技あり小技ありのソフトバンク打線に名を連ねることで作戦に幅は出そうだ。

個人的に楽しみなのはバレンティンも「熱男」になるのかという点だ。ヤクルト時代はかの宮本慎也に全力疾走や守備の大切さを説かれたというバレンティン。その教えは言葉なり「背中」だったと思うがソフトバンクでは言葉よりもチームの雰囲気、明るいノリなんじゃないかと思う。すでにオープン戦ではいくつかの激走を見せておりバレンティンの変化の萌芽が見られる。どうせアイツはと言わず乗せて走らせてしまうことができたとしたら、ますますソフトバンクはいいチームだなあと思うことだろう。「みんながいいように環境を作るのがチームメートだから」。バレンティンとの縁を紹介する、full-count記事に載っていた川島慶三のコメントだ。環境づくりは、本当に大事である。

甲子園中止という機会損失~やりたいことはやれるうちに思い切りやろう

機会損失
読み方:きかいそんしつ
【英】:opportunity cost

意思決定にあたって2つ以上の案があった場合, そのうちの1つを採用し, 他を不採用にした場合に, 得ることができなかった収益または利益の最大のものをいう. また, より広い意味では, ある事態が発生した場合(例えば機械の故障など), その事態が発生しなければ得られたであろう利益をいうこともある. 機会費用ともいう
(Weblio辞書より)

藪から棒に何だと思われたかもしれないが、夏の甲子園中止から、夢の舞台がなくなることの喪失感について考えている。機会逸失という言葉があったよなと調べてみたら機会損失という言葉に行き着いた。上記の説明に甲子園中止を当てはめてみる。開催されていればそこで脚光を浴び、スターなりプロ野球選手になった人もいたはず……その人にしてみたら甲子園中止は機会損失と言えるのではなかろうか。

輝け甲子園の星 2020年 03 月号 [雑誌]

輝け甲子園の星 2020年 03 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 雑誌
 

 

5月24日放送のGoing!Sports&Newsで江川卓が高校生球児の心中を慮っていた。甲子園中止の判断は、高校生の健康を考えれば妥当だが、甲子園は夢の舞台。そこに挑戦する権利はみんなあったのだからその証を何らかの形で球児らに贈れないかと話していた。また、作新学院のチームメイトに大橋康延という選手がおり、彼は甲子園(センバツ)で注目され高卒でドラフト2位で大洋に指名されたと紹介していた。大橋とて江川がいなければエースを張れた逸材だったらしいが、ともかく甲子園でわずか2イニングとはいえ投げられたわけで、見る人が見たらいいピッチャーだなあと評価もされる。もともと評価されていた人がだめ押しで評価されることだってあろう。作新学院が甲子園に出ていなければ、大橋は「江川の控えピッチャー」として少なくとも高校時代は終わっていたかもしれない。

江川卓が怪物になった日 (竹書房文庫)

江川卓が怪物になった日 (竹書房文庫)

 

 

Going!では最近の例として金足農業日本ハムの吉田輝星も取り上げていた。確かに黒柴スポーツ新聞編集局長も甲子園で吉田の存在を知りのめり込んだ。あの糸を引くような美しいストレート。仲間たちと楽しそうに勝ち進む快進撃には惚れ惚れした。金足農業が甲子園に出ていなければ吉田輝星は秋田のローカルヒーローのままだっただろうし、黒柴スポーツ新聞編集局長が金足農業にハマることもなかった。あの夏はブログ執筆も楽しんだから、甲子園が開催されていなかったらすさまじい機会損失をしていたことになる。

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人生長いから次があるさ。年長者は高校球児をそう励ますかもしれない。それは優しさなのだろうが機会損失としては大きすぎる。特に3年の夏、最後の夏はもう二度と訪れない。代わりはないのだ。野球ではないが、やりたいことがどうしてもできなかった経験はある。次があるさというのは、はっきり言って気休めにしかすぎない。だから黒柴スポーツ新聞編集局長はただただ球児と一緒に凹もうと思う。そして沖縄や佐賀で計画されている代替大会なんかがあれば応援する。形は全然違うけれど球児のためにそれを用意しようとしてくれた人たちにも感謝しようと思う。残念ながら人生において機会損失というのは確実にある。だからこそやりたいことがあったらやれる時に全力で取り組む方がいいし、好きな人がいたら想いを伝えたらいいし、食べたいものは食べられる時に食べたらいいし、見たい番組や試合は見られる時に見ておいた方がいいと思う。とにかく健康に過ごすことに気を付けながら、これからも数々の貴重な機会を損失しないよう心がけよう。

じゃない方の人は、いる~オールスター8連続奪三振を江川と成し遂げた中尾孝義

Full-count記事、「10連続三振を狙っていた」 女房役が明かす江川卓のオールスター8連続三振、を読んで、人生は残酷だなぁと思った。何が残酷なのか。この記事に出てくる「女房役」が誰なのか、すぐに分かるのはほんの一握り(の野球通)ではなかろうか。9連続奪三振という江夏の偉業に迫った江川の快投がまぶしすぎて、あの時のキャッチャーが誰だったのか忘れている。というか知らなかった。中日にいた中尾孝義だった。偉業や好投は一人ではできないはずなのに、評価される人と「じゃない方の人」がいる。それが残酷だなぁと思ったわけだ。

キャッチャーはそうなりやすいポジションかもしれない。勝てばピッチャーがクローズアップされ、打たれたらキャッチャーが責任を問われる。そんな話をすると同じ中日の中村武志が思い浮かぶ。星野監督にめっちゃ怒られてそう……。

監督に怒られていたかは分からないが西鉄ライオンズのキャッチャー和田博実もクローズアップされていない。鉄腕・稲尾和久はあまりにも有名だが、Wikipediaによると和田は2度の完全試合(1958年・西村貞朗、1966年・田中勉)と2度のノーヒットノーラン(1964年・井上善夫、1966年・清俊彦)を達成している。稲尾は確かにシーズン42勝だの日本シリーズサヨナラホームランを打つだの印象的な活躍をしたが、和田も西鉄黄金期のキャッチャーなのだから、もう少しフォーカスしてあげてほしい。やはり「じゃない方の人」というのは存在するのだ。

 

あまり良くない表現だが「アピる」という言葉がある。そういうのする人いるよな、上手だよな~と覚めた目で見てしまうが私は持って生まれた性格から、そういうことが自然にはできない。一生懸命やるってことはできるから、その延長線上で見てもらうしかない。だからスター選手が活躍するのもいいけれど、シブい選手が活躍するとさらにうれしい。とにかく、きょう書きたかったのは「じゃない方の人」というのは確かにいるのだということだ。アメトークの「じゃない方芸人」を集めた回を見て、確かに目立たない人はいるよなと思ったわけだが、そういうキャラもあっていいよなと思う。例えば、みんながハキハキしてなくていいし、内向的でもいいよなとか……。何でか見切れてしまう人はいるのだが、それは決してその人が頑張っていないというわけではないのだ。この黒柴スポーツ新聞ではみんなが知っているスター選手のネタで盛り上がることもあるだろうが、シブい選手、苦労人などなど「じゃない方の人」にもしっかり光を当てていこうと思う。

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重宝されると出番が増える~ソフトバンク嘉弥真4年連続50試合登板に意欲

スポニチ記事、ソフトB・嘉弥真 4年連続50試合登板へ決意新た「どんどん投げていきたい」、を見て驚いた。嘉弥真新也はそんなに投げていたんだ。主に対左の、ワンポイントが多い嘉弥真。それで直近3シーズン連続で50試合以上登板なんて素晴らしい。嘉弥真がいかに重宝されているかがよく分かる。必要とされるうれしさ。嘉弥真はしっかり感じているに違いない。

連続50試合登板を目指す嘉弥真には二つの敵がある。一つがこのコロナ禍による試合減少。これを書いている5月17日現在、まだ開幕日は決まっていない。6月中の開幕が模索されているが、全部で何試合できるのか。いずれにせよ、かなりのペースで投げないと4年連続50試合登板は難しい。

もう一つはルール改正。日本ではまだだがメジャーではワンポイント禁止というか、そのイニングは投げきるようルールが変わった。嘉弥真とて必ずしも特定の選手だけ抑えて交代ではなく、そのイニング任せたよという起用もあったから、仮に日本でも導入された場合、もろに影響があるわけでもない。ただし投げきるような起用が前提であれば例えば相手チームは左バッターをわざわざ並べず上手に右バッターを挟んでくる可能性もある。では、嘉弥真は右バッターに弱いのか。「野球結果」さんのサイトを参考にさせていただくと、対左の被打率が.229だったのに対して、対右は.346。あくまでも2019年だけのデータではあるが、嘉弥真が選手生命を永らえるためにも右バッター対策はしていかなければならない。

同じ左投げでも球威のあるモイネロとは違う。コーナーを丁寧に突き無失点で切り抜ける。これが嘉弥真の真骨頂だ。ホークス中継ぎメンバーには松田遼馬、椎野、高橋純平ら右ピッチャーは豊富だが左ピッチャーとなると手薄か。田浦は経験が少ないし、押し込んでいく川原と嘉弥真はタイプが違う。やはり嘉弥真にはまだまだ第一線で活躍してもらわないといけない。嘉弥真は30歳。肩は「消耗品」であるだけに、いつまで投げられるか分からないが、その個性を生かして最後の最後までしぶとく貢献してもらいたい。

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人生を左右するコンバート~ホークス投手陣を支えるブルペン捕手・内之倉隆志

内之倉隆志。懐かしい名前だなと思った。甲子園で有名になりダイエーホークスに入った。しかしバリバリ活躍したかというと……期待の方が多かった、のかもしれない。通算出場は118試合だったという。内之倉のことは西日本スポーツ記事、異色の経歴、元新聞記者のプロ野球2軍監督が今語る 「甲子園のスター」信じ続けたコンバート秘話、で読んだ。ダイエーで2軍監督を務めた経験がある有本義明さん(スポーツニッポン新聞社特別編集委員)を紹介するものだったが、有本監督がコンバートをしたのが内之倉隆志だった。

コンバート。配置転換のことをそう呼ぶ。忘れがちだが野球にはポジションが九つある。たった九つ……試合に出るためにはまずそこで一番にならないといけない。内之倉は三塁手だったが脚力がマイナス。逆に強肩はある。打力を生かす観点からキャッチャーへのコンバートを打診した。しかし内之倉はこれを拒否。三塁手に愛着があったのか、キャッチャーが大変だと思ったのか……いずれにしても、プロ野球選手が「変化」をするのは大きな決断だ。曲がりなりにもそのスタイルで結果を出したからこそプロ野球選手になれた。それを変えることはリスキーである。ある意味、賭け。
 「悪いけれど、君の脚力では選手(レギュラー)にはなれない。君は選手になりたいんだろ? いや、甲子園のスターなんだから選手になってくれないと。そのスターがプロで全然(駄目)では、君自身が一番寂しいはずだ」(西日本スポーツ記事より)
有本さんはそう内之倉に説いた。そして内之倉はキャッチャーになった。

プロ野球三国志

プロ野球三国志

 

 

記事にも書いてあるが、すぐに城島健司という有能なキャッチャーが入ってしまったこともあり、内之倉が結果を出したかといえばそうではない。じゃああのコンバートは失敗だったのか、というとそれは違う。今回初めて知ったのだが、内之倉はいま1軍ブルペン捕手。今なお野球の現場にいる。立場は裏方に変わりはしたが。

最初は嫌いなポジションだった。でも、やり始めたら、いかに大変でブルペンという職場がプロの世界に不可欠なのか分かった
西日本スポーツ記事には、内之倉がそう語っていたことを有本さんが振り返るくだりがあった。嫌いなポジション……嫌いというのもあっただろうが恐らく大変だ、というのが本音ではなかろうか。球場によってはグラウンドに面する形でブルペンが設置されているところもあろうが基本的には陰の職場。光が当たることはまずない。しかしそこで必死に投げ込んだり調整したピッチャーが試合で結果を出す。内之倉が言うようになくてはならない場所だ。ブルペンキャッチャーはその意味合いから「壁」とも呼ばれたりするがその「壁」にも工夫がある。調子がいいぞと声を掛けたり、乾いた捕球音を響かせることでピッチャーをその気にさせたり……この辺りはピッチャーって面倒だなと思わなくもないが、ともかくそれも含めて壁のお仕事らしい。かつて高校球界で名をはせた内之倉はそういうブルペンスタッフを束ねてソフトバンクの誇る鉄壁の投手陣を支えている。

タラレバを言い出したらきりがない。果たして有本監督がコンバートを打診していなければ、また、内之倉が断り通していたらどうなっていただろう。尻に火がついて三塁手として成功したかもしれないが、その後球団に残れたかは分からない。通算出場が118試合だからキャッチャーとして成功したとも言えない。しかし内之倉の野球人生が不幸かというとそれも違う。特に近年のプロ野球は投手の分業がかなり定着しておりピッチングスタッフの整備はペナントレースにかなり影響する。光は当たりにくいがブルペンスタッフの責任はかなり重く、またその分やりがいもあるのではないか。そして密かな密かなプライドも……。プロ野球が開幕していない今だからこそ、有本さんの記事が出たように思うが、西日本スポーツ記事のおかげで懐かしい内之倉を思いだし、また彼が強力なホークス投手陣を支えていることを知りうれしくなった。1日も早くプロ野球が開幕し、内之倉が支えているピッチャーたちがバリバリ投げることを願っている。

やりたいことができなくなったら~第1回ドラフト1位→打撃投手・豊永隆盛(中日)

中日の名選手、西沢道夫について調べようと1978年のベースボールマガジン5月号を開いた。その中の一つの記事に目が止まった。「プレーボール前のエースたち」。中日ドラゴンズの豊永敬章(改名前・豊永隆盛)ら打撃投手を取り上げたものだった。目に止まった理由は豊永が第1回ドラフト会議(1965年)の中日1位指名だったこと。そして記事の中にあった「これも野球人生でしょうね」「これがボクの仕事だから」にグッときたからだ。

豊永のノルマは「試合前に30分から1時間近く」と書いてあった。「本拠地はもとより、ロードにも全部チームと行動をともにする」ともあり、スコアラーの仕事もしていた。スコアラー兼バッティング投手。球団職員なのだった。豊永は熊本県の八代第一高校出身。Wikipediaを見て驚いたのだが高校では130試合で120勝8敗2引き分けだった。甲子園には行ってないようなのでその8敗が致命的だったとも思うのだが……ともかく豊永は記念すべき第1回ドラフト会議で中日に指名されたのだった。右投げの本格派投手。ベースボールマガジンには1年目の松山キャンプで豊永のピッチングを初めて見た西沢道夫監督のコメントが紹介されている。「ウーン、いいフォームをしてるな。これで体が完調になれば、きっと凄いスピードボールを投げるはずだ」

その豊永はどんな成績を残したのか。プロ野球記録大鑑には豊永隆盛の名前で載っていた。実働1シーズン。通算登板1、1回と3分の1を投げ、被安打3、四球1。2失点で防御率は18.00だった。右ひじに欠陥があったという。傷めたのは入団の前なのか、後なのか。西沢監督が「体が完調になれば」と言っていたので入団した時にはすでに傷めていたのかもしれない。豊永は以後登板することなく、5年目ごろから毎日1軍の打撃練習で投げ続けた。1973年限りで選手登録を外れ、74年から専門の打撃投手となった。

もう一つ、Wikipediaを見て驚いた。豊永の中日退団は2008年。もしこの間に退団していなければ、42年も在籍していたことになる。プロで1勝もできなかった男が実力主義プロ野球の世界で……すごいなと思う。その背景には彼の人となりがあったのではないか。ベースボールマガジンの豊永の記事はこう始まっている。

「中日の選手や関係者は、豊永の怒った顔をまだ一度も見たことがない。このチームの一員となってから、もう13年目にもなるというのに……」

そんな豊永とて、もちろん1軍のマウンドでバリバリ投げたかったと言っている。しかしそれができない現実。ドラフト1位という高評価を、けがとはいえ裏切った。それに苦しんだこともあっただろう。それでも豊永は第2のマウンドを見つけ、そこに立ち続けた。それを支えたのは制球力だった。やはり自分を助けられるのは自分しかいないのだ。

豊永はスコアラー兼バッティング投手の仕事を「少しもつらくはありません」と話していたが、どうやって折り合いを付けたのか、付けられてはいなかったのか。記事の結びは秀逸だった。

「昨年から『隆盛』から『敬章』と改名した。30歳を迎えて、自分の人生に一つの区切りをつけて、再出発しようという気持ちがそうさせたのだろう。現在一児のパパ。この彼をサラリーマンと表現していいのだろうか」

誰しもやりたいことをやって生きていけるわけではない。また、華がある世界を見た人はそことのギャップにも苦しむだろう。ドラフト1位だったおれがなぜ打撃投手なのだと思っても不思議ではない。現役の選手たちを羨むかもしれない。それはそれで、無理に消化しなくていいと思う。豊永は折り合いを付けたのかもしれないけれど、やりたいことがあるのならばやり続けたり、やれる方法を模索したらよいと思う。豊永がどんな球団職員人生だったか詳しくは分からないが、どんな思いで球団に残り続けたのか、機会があったらぜひ聞いてみたい。

打撃投手については澤宮優さんの「打撃投手」を読んで勉強させていただいたことがあります。興味がありましたらぜひご覧ください。また、黒柴スポーツ新聞を気に入ってくださった方はぜひフォローをお願いいたします!

打撃投手

打撃投手

 

 

トータルでまとめればいい~桑田真澄の理想の投球数とは

一つミスをしたら引きずる方だ。大事なのはその次、なのに。一つ一つ丁寧に作業をするのは長所だとは思うが……。そんな自覚があっただけに、偶然見かけた桑田真澄のインタビュー記事(「逆風を楽しむ野球人生だった。-桑田真澄」文・石田雄太さん、Number PLUS September 2009 完全復刻版 桑田真澄に収録)は、なるほどなと腑に落ちた。ピッチャーにとっての理想は全員三振の81球か、全員打ち取っての27球なのか。桑田真澄の答えは「130球」だった。

Number PLUS 桑田真澄 完全復刻版 (Sports graphic Number plus)

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  • 発売日: 2009/08/07
  • メディア: ムック
 

 

理想のピッチングは130球。桑田はこう解説していた。
だから、方法は一つじゃないということです。たとえば、三振が取れる日は三振を多く取ればいいし、コントロールが冴えている日は、コーナーを突いて打たせて取ればいい。その日、その日によって、自分のピッチングスタイルを変えていく。もちろん、完璧な130球を投げることはできませんけど、ミスを次の1球でカバーしながら、130球で完璧な試合を作ることはできるんです。それは長年の経験から身につけたいくつもの引き出しを自由自在にあけて、こういう配球もある、こういうフォームもある、こういう投球術もあるというふうに、選択肢を持って、ピッチングをしたかったということなんです

心の野球 超効率的努力のススメ (幻冬舎文庫)

心の野球 超効率的努力のススメ (幻冬舎文庫)

  • 作者:桑田 真澄
  • 発売日: 2015/04/10
  • メディア: 文庫
 

 

深い。何球で投げたいか、という問いに対する回答はピッチャーの気質を端的に表しそうだが、この桑田の答えはいかにも、と言いたくなる。無理をせず、合理的。クレバー。桑田真澄のピッチングそのものだ。だがピッチングなんかする機会のない一般人にも当てはまるような考え方だと思った。特に私は冒頭に書いたようにミスを引きずりがちだから、トータルで考えればいいんだ、と割りきれた。「完璧な130球を投げることはできない」と桑田が言っていて救われた。言われてみたらその通り。完璧そうに見える人でも実際ミスをしている。ミスをしていないように見えるのはリカバリーやその後のフォローが上手なのだ。「ミスを次の1球でカバーしながら、130球で完璧な試合を作ることはできる」とはそういうことだ。そう、トータルでうまくやればいいのだ。

桑田真澄 ピッチャーズ バイブル (集英社文庫)

桑田真澄 ピッチャーズ バイブル (集英社文庫)

  • 作者:石田 雄太
  • 発売日: 2007/09/20
  • メディア: 文庫
 

 

アラフォーともなると若いときのような球速は出せなくなるかもしれない。だとしてもアラフォーには経験がある。桑田が言っていた「引き出し」だ。これを桑田が言っていたように「自由自在にあける」ことがポイント。必要な時に必要なケアをする。驚いたのは桑田が「こういうフォームもある」とフォームを変える意識を持っていたことだ。プロ野球のはピッチャーともなればいつどんなときでも自分のフォームを崩さず投げることが理想とばかり思っていた。そう、時には投げ方すら、変えていい。大事なのは結果を出すこと。フォームは手段でしかないのだから。

なるようになる~日本ハム宮西13年連続50試合登板に挑む

今回のネタは新聞記事から。おそらく共同通信配信の「記録に挑戦 2020プロ野球」に日本ハム宮西尚生が取り上げられていた。気になっていた。宮西は12年連続50試合登板中。2020年はプロ野球が開幕ができておらず、できても予定していた試合数の消化は難しい。すなわち、宮西の登板自体も例年通りの数にはならないのではないか……。けが以外に宮西の記録を危うくするものが現れるとは思ってもみなかった。

そんな宮西がこの状況をどうとらえているのか。興味深く記事を読んでみたが「いつ登板するか分からないリリーフみたいなもの。なるようになる」。言われてみればその通り。確かにリリーフ投手は自分で登板のタイミングを選べない。行けと言われた時に投げるからそもそも受け身の立場。それでも、なるようになる、とは、記事にあるように「百戦錬磨の鉄腕らしくどっしり構えている」と思った。

ソフトバンクファンの黒柴スポーツ新聞編集局長としては、宮西が出てくると楽しくはない。抑えられかねないからだ。しかし左バッターとの駆け引きはたまらない。例えばバッターが中村晃だったら。もうボール1個分あるかないか、外角で出し入れする宮西。それを見極めたりファウルにする中村晃。これを試合の分岐点でやるのだからたまらない。マニアック、渋すぎる。珍味を食するような楽しみかもしれないが、野球バカにはたまらない勝負だ。そんなことを宮西はずっとやっている。常にギリギリの勝負をしてきたからこそ「なるようになる」という境地になれるのだろう。だとしても見習いたい。宮西みたいになるのであれば、やはり厳しい場面の場数を踏まなければならない。

試合数が例年通りにいかないわけで、宮西もいけるなら無理してでも……と記録にチャレンジするためにフル回転で飛ばしたいようだ。しかし「万が一、達成できなかったとしてもそれはそれで仕方ない」と達観しているという。これは口ではそう言ってもなかなか割りきれない。ライバルチームのピッチャーではあるけれど、宮西は素晴らしいなと思う。以前筒香の回でも書いたが、やはり一流プレーヤーは考え方、ピンチの受け止め方も一流だ。

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リリーフ投手は常に準備が求められるし、常に結果が求められる。どんなにそれ以前に抑えていてもその日打たれたら厳しい評価が待っている。先発投手の勝ちを消してしまうことさえある。やって当たり前の職種の人は本当に大変だなと思う。じゃあそういう職務の人はどうやって仕事に向き合っているのかと興味深いが、宮西の記事を参考にすれば「なるようになる」と思うしかないのではないか。考えても仕方ない。やるしかないし、結果がうまくいかなければそれを受け止めるしかない。シーズン中は嫌でも次の試合がやってくる。大事なのはその次の機会にうまくまとめることなのだ。すぐさま宮西のような境地にはなれないだろうけれど、とにかく一つ一つ、やるべきことを丁寧にやるしかないんだな。記事を見てあらためてそう思った。

よろしければこちらの宮西関連記事もご覧ください。黒柴スポーツ新聞に興味を持ったらフォローもお願いいたします!

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監督のガッツポーズはありなのか~明石商業の狭間監督を野球に戻した妻の言葉

web Sportivaの記事、明石商・狭間監督がマイナスから目指した甲子園「初日で辞めようと思った」(文・沢井史さん)を読んだがなかなか面白かった。正直なところ、狭間監督が甲子園で見せた派手なガッツポーズには違和感があったのだが、記事を読んで見方が変わった。やはり物事は表面だけを見てはいけない。

101年目の高校野球「いまどき世代」の力を引き出す監督たち

101年目の高校野球「いまどき世代」の力を引き出す監督たち

  • 作者:大利実
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

狭間監督が明徳義塾中の指導者として全国制覇などの結果を残されていたことは、実は明石商業が甲子園出場を決めてから知った。狭間監督がどのような経緯で明徳義塾中で指導するようになったのか、どうして明石商業に行ったのか深くは知らなかった。記事によると、狭間監督は日体大卒業後、兵庫県内の高校に講師として赴任。コーチとして指導はしていた。しかし常勤の教員の枠は狭く、一度は一般企業に就職したという。ここが最初の分かれ道。だいたいは折り合いをつけざるを得ず、そのまま希望を断念する人が多いと思う。結婚後、明徳での指導役という選択肢が浮上した時、背中を押したのが妻の言葉だった。
『ネクタイ姿よりユニフォーム姿のほうがいいんじゃない。私は行ってもいいよ』って言われて決心したんです」(記事より)

ネクタイ姿よりユニフォーム姿のほうがいいんじゃない。これを言われた時、狭間監督は心底うれしかったのではなかろうか。自分の良さ、自分の思いを分かってくれる人がいる。たった一人でもそんな人がいれば救われる。勇気が出る。こうして狭間監督は明徳中に行ったのだった。

高校野球界の監督がここまで明かす! 野球技術の極意

高校野球界の監督がここまで明かす! 野球技術の極意

  • 作者:大利実
  • 発売日: 2018/06/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

詳細は沢井史さんの記事を読んでいただくとして、これだけ野球に心血を注ぐ監督だから、あんなガッツポーズが出てしまうのだな、と見方が変わったというわけだ。そしたらあらためて、狭間監督の采配を振り返った。甲子園、宇部鴻城と2-2で迎えた10回裏、明石商業は1死満塁からスクイズを敢行した。「狭間監督はこういう場面でもスクイズをやってくる」と解説者も話しており、宇部鴻城バッテリーもそこは警戒していたはずだ。その中でバッターはきっちりやや三塁側にスクイズし、三塁ランナーは素早くホームを踏んだ。ここが素晴らしい。得てしてスクイズはホームに滑り込む場面が多いが、ホースアウトになるのを防ぐためにはいち早くホームを駆け抜けねばならない。スクイズの方向、走り方。狭間監督が細やかな指導をしていることがうかがえた。監督が前に出すぎることは賛否あると思う。しかし生徒と一体になっているのであれば、熱くなるのはありではないか。一人の生き方さえ変えてしまう甲子園。現状では開催が難しいかもしれないが、できればこんな熱い場面を今年の夏も見れたらな、と願う。

感謝の気持ちを持つ~家事をするソフトバンク今宮健太と和田毅

コロナウイルス感染対策により、これまでの日常とは変わってしまった。その中でも前向きに生きる人はいる。私も見習いたい。先日はこのような記事が目に留まった。時事通信の記事「自主練習で気付くありがたみ 練習環境や家族の支え―プロ野球ソフトバンク」だ。今宮健太和田毅が紹介されている。自主トレでは裏方さんの存在に感謝。家事をすることで家族のありがたみを感じているそうだ。

今宮健太は皿洗いやおむつ交換をしているという。普段ならば三遊間の深いところから打者走者をアウトにする今宮の肩、腕が家事に活用されている。もともと犠打が多いプレーヤーでもあるが(2019シーズン終了時で通算299個、歴代7位)、おむつ換えなどまさに奥さまへのさりげない送りバント的な優しさ。もっとも、育児は両親の仕事。今宮とてシーズン中だからなかなか育児に関われなかっただけで、今のように時間が許せば手分けして育児をやっていたことだろう。

和田毅は料理に挑戦。「自分はずっと外で野球をして、家に帰ったら食事など当たり前のものがある光景を見てきた。妻も大変なことをこなしていると感じたし、自然と感謝の気持ちが芽生えた」(時事通信記事より)。あの甘いマスクでこの優しいコメント。奥さまもうれしいのではなかろうか。あのクールなサウスポーが包丁を握ったら、どんな料理が出来上がるのだろうか。

だから僕は練習する 天才たちに近づくための挑戦

だから僕は練習する 天才たちに近づくための挑戦

  • 作者:和田 毅
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

かくいう私も朝、余裕があれば家事をしてから出勤している。料理はめっぽう弱いが皿洗いはできる。まだまだ手伝い程度だから書くほどのことはないが、手伝ったからこそ今宮や和田の気持ちが少しは分かる。普段から家事をしてくれる家族への感謝の気持ちが自然とわき起こるのだ(いつまでも手伝いレベルじゃダメですね)。コロナウイルス感染のいち早い終息を願いつつ、混乱が落ち着いてもこの感謝の気持ちは持ち続けようと思う。

人を引き付ける野茂英雄のひたむきさ~小松成美「遠すぎた甲子園」を読んで

2020年5月2日で、野茂英雄がメジャーデビューしてから25年だという。新聞記事で見た。野茂英雄のメジャー初勝利やノーヒットノーランのニュース、苦労の末たどり着いた日米200勝などなど、その都度胸踊らせたなと思う一方、こうも思う。やはり一番似合っていたのは近鉄バファローズのユニホームではなかったか、と。しかしさらにその前のアマチュア時代が名実共に野茂の原点だったことを、「遠すぎた甲子園」(小松成美、Number臨時増刊「甲子園・熱球の詩」掲載)で知った。

完全保存版野茂英雄1990-2008

完全保存版野茂英雄1990-2008

  • 発売日: 2008/12/05
  • メディア: ムック
 

 

この作品はNumber PLUS January 2009で見つけた。野茂英雄特集であるため、古本屋で買っていた。小松成美作品を読むのは初めてだったが、読みやすく分かりやすい。入団2年目の1991年に野茂本人や成城工高関係者、新日鉄堺関係者に取材したものだが、証言自体がまず面白い。それをうまく小松成美さんが構成していると感じた。具材そのものがおいしく、それを引き立てるパン生地。極上のサンドイッチを食べるような感覚である。野茂に関してドラフト会議からしか知らなかった黒柴スポーツ新聞編集局長としては、野茂英雄が成城工2年の夏、大阪府大会2回戦で完全試合をしていたことを知らなかった。しかもその前の1回戦では先輩投手の後5点リードでマウンドに立つも、乱調で危うく同点にされかかったほどだったというから驚いた。

野茂に1回戦翌日「2回戦、先発で投げてみるか」と監督が言ったのは直感というからこれまた驚き。ただ監督には自信があったという。また野茂にとってありがたかったのはチーム全員が「次は絶対に大丈夫や、いいピッチングができるに決まってる」と励ましてくれたこと。野茂の学年は仲が良かったそうだが、もう一つのポイントは野茂が信頼に値する子だったからと思う。高校時代の練習は厳しく、特にピッチャーは走り込みを課されたが野茂は泣き言を言わずひたすら走ったという。例えば800メートルの外周10周に80メートルダッシュ30本などなど。朝練にいくため野茂は始発に乗り通学していたという。「やめたろう、行かんとこう」と思いながら3年生になるまで過ごしたというが、ひたむきに頑張る姿勢が評価されていたのだと思う。

「派手な投球シーンではなく、汗を滴らせ、ときには両手に小さなバーベルを持って黙々と走り続ける野茂の姿は、誰の目にもしっかりと焼きついているのだ。その無心な横顔は、彼の人間的な魅力のひとつとして、人々の心を引き付けていく」(「遠すぎた甲子園」より)

 

もう一つ印象に残ったくだりは、野茂の最後の夏。4回戦は土壇場で同点に追い付き、野茂は延長戦で力投。最後は味方のサヨナラ二塁打で勝った。殊勲の代打、大手茂は控えの選手だった。打った大手も、手を差し伸べた野茂も泣いていた。
「あの試合のことは、一生忘れられません。僕たちの学年は、みんな仲が良くてね。大手君の活躍が自分のことのように嬉しかったんですよ。大手君はレギュラーじゃなかった。チームの怒られ役というか、監督によう怒鳴られていました。そんな彼が、ヒーローになったんやから、感激でしたよ。ベンチでは全員が泣いていましたね」(「遠すぎた甲子園」より)

八月のトルネード

八月のトルネード

  • 作者:阿部 珠樹
  • 発売日: 2009/05/16
  • メディア: 単行本
 

 

「流されず、自分をしっかり持て」と言ってくれた新日鉄堺の先輩。共に高校野球に打ち込んだ仲間たち。その後大リーグを身近なものに感じさせる「パイオニア」になった野茂英雄の原点はまさに高校時代にあったことがよく分かる作品だった。ネタバレになるので書かないが、新日鉄堺入りした野茂が、さらに飛躍するきっかけになった登板が描かれて「遠すぎた甲子園」は終わる。成功者も、というか、成功者になるには一定の挫折が必要なのかと最近は思う。

僕のトルネード戦記 (集英社文庫)

僕のトルネード戦記 (集英社文庫)

  • 作者:野茂 英雄
  • 発売日: 1997/07/18
  • メディア: 文庫
 

 

「遠すぎた甲子園」を読むと余計に甲子園開催を願いたくなる。まずはコロナウイルス感染症がこれ以上拡大しないことが絶対条件だ。高校最後の舞台は野球に限らない。そして、スポーツ選手のためだけではないけれど、一人一人が努力の積み重ねの成果を発揮できるよう、社会全体で今一度感染症対策に努められればと願う。

心の隙間は誰にもある~北原遼三郎「完全試合」黒い霧事件・田中勉の章を読んで

ここのところ黒い霧事件に関わった元プロ野球選手について書いてきた。前回は池永正明が出てくる高山文彦「怪物の終わらない夜」(単行本「運命」に収録)を取り上げた。その中で混乱してしまった。池永に八百長依頼の現金を渡した元西鉄投手の田中勉の処分について、「怪物の終わらない夜」では厳重戒告処分と書いてあるが、Wikipediaの「黒い霧事件」では「なし(事実上の永久追放)」と書いてある。田中勉は前年の1969年をもって、当時所属していた中日を自由契約になっていたからだ。このため1970年の関係者処分では田中勉は対象にならなかった、と北原遼三郎「完全試合」(東京書籍)にも書いてあった。私は知っていた。田中勉完全試合達成者だった。日本で15人しかいない大記録達成者の一人、田中勉はなぜ池永正明に現金を渡しにいってしまったのか。「完全試合」を読み返してみた。

完全試合―15人の試合と人生

完全試合―15人の試合と人生

 

 

田中勉は1966年、南海戦で完全試合を記録した。三池工業高校からノンプロの東洋高圧大牟田に進み、都市対抗野球で活躍。1961年、西鉄ライオンズに入団した。以後7年間で84勝。1963年は17勝8敗で最高勝率に輝き西鉄5度目の優勝に貢献。完全試合を成し遂げたのは入団6年目のことだった(「完全試合」では入団5年目と書いてあるが誤りと思われる)。この1966年は23勝12敗。「完全試合」にも書いてあるが、「この年が、結果的に彼の野球人生の絶頂期だった」。Wikipedia田中勉の年度別勝利を見てみたが9シーズン中で6年連続6度の二桁勝利。当時は20勝くらいしないと評価されなかったかもしれないが、チームに貢献していたと思う。

そんな思いもあっただろうか。田中勉は肘や膝を傷めたり腰痛が再発したりと苦しんでしまう。球が走らないから打たれる。肘が痛むと練習を休む。コーチには怠けていると見なされてしまった。球団からは22%のダウン提示を受けた。田中勉の不満は爆発。トレードを希望したところ、広野功との交換で中日入りした。中日初年度の1968年には11勝だから、まだまだ田中は結果を残せた。しかし翌1969年シーズン前半で8勝を挙げオールスター戦に選ばれるも、肩の痛みに苦しんでしまう。オールスター戦も辞退した。ギャンブルに手を出したのは中日移籍後からだった。オートレースにはまってしまった。「たまたまやり始めた」そうだが負けがこんでしまった。古里の九州を離れた心の隙間をギャンブルが埋めてくれたのだろうか。だとしても心を癒すことにはならなかった。むしろ傷口は広がってしまった。そして有能な後輩の池永正明をも巻き込んでしまった。「完全試合」を読むと、魔の手は池永正明を狙っていたようだ。田中勉は借金の棒引きをにおわされ、池永へのメッセンジャーになってしまった。

 

田中勉完全試合達成の試合、9回に自らのタイムリーでチームに追加点をもたらした。打ったのは南海の名投手・杉浦忠から。野村克也に対しても広瀬叔功に対してもブルームに対しても、田中勉は速球で立ち向かい完全試合を成し遂げた。
西鉄ベンチから『ウォー』という鬨の声が上がった。この瞬間、西鉄ナインが一斉にベンチを飛び出していった」(「完全試合」より)
仲間に祝福された田中勉。この3年後の1969年をもって球界を去り、1970年には池永正明永久失格処分にさせ、自らが西鉄ライオンズ崩壊の一端になろうとは想像もしなかっただろう。田中勉にしてみればまさかそこまでになるとは思わずに池永のもとに向かったのだろうが……。田中自身は八百長を3回頼まれ、八百長に失敗するとその「損失」を返せと要求された。関係を絶ち切ろうと家まで売ったが悪魔に蝕まれてしまっていたのだろう。もしも強気のピッチング同様、勇気をもって最初から断っていたなら……と今更ながら思う。と同時に心の隙間は誰にもあるわけで、絶好調の時期から一転、不遇の時期になった時こそ気を付けたいものだ。移籍や人間関係。黒い霧事件に巻き込まれた人々は数奇な運命によってつながっている。黒い霧事件に限らず事件とはそんなものだろうか。巻き込まれないためにはどうしたらよいのか。時代が令和に変わっても、黒い霧事件から学ぶべき点はある。

 

よろしければこちらの完全試合関連記事もご覧ください。

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