黒柴スポーツ新聞

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ピンチだからこそ顔色を変えない~加藤初の鉄仮面に学ぶ

派手さはないが大崩れもしない。加藤初とはそういうピッチャーだったのではなかろうか。訃報から数日経ってしまったが、コツコツ頑張る人を応援するのが好きな黒柴スポーツ新聞としては最高のテーマ。きょうは満を持して加藤初についてまとめてみる。


早速、きょうの1枚は加藤初。1949年12月20日生まれ、静岡県出身。吉原商~亜細亜大(中退)~大昭和製紙西鉄・太平洋~巨人。実働19年で141勝113敗。

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「ざっくり加藤初」は以下の通り。

・1972年に西鉄入りし「黒い霧事件」で主力が抜けたチームの柱として17勝(新人王)。

・1976年にトレードで巨人入りし、第一次長嶋政権初優勝に貢献(15勝4敗)。

・1976年4月18日の対広島戦でノーヒットノーラン

・ピンチでも動じないことから「鉄仮面」の異名をとる。

・1983年からは右肩の血行障害に苦しむも84年10勝、86年は14勝と復活。


www.sponichi.co.jp


同時代の面々は以下の通り。

西鉄・太平洋】東尾修

【巨人】江川卓西本聖


長嶋茂雄氏、王貞治氏、東尾修による追悼コメントは以下のサンスポ記事をご覧ください。

www.sanspo.com


ネット上の情報をぺたぺた貼るだけでは芸がないので、ここからは黒柴スポーツ新聞流で。ここからが黒柴スポーツ新聞に遊びに来てくれた方の特典です。


1977年の月刊ジャイアンツは3冊しか持っていないが勝負強いことにそのうちの1冊(11月号)に加藤初の投球フォーム分析があった。「ホープ解剖」というコーナーだ。


解説は藤田元司。「からだのわりには大きいボデースイングこそ、球威で勝負する加藤らしい持ち味」という書き出しで始まっている。そう、「ボデースイング」なのです。


写真は全部で6コマ使われている。3コマ目が大きく左足をホームベース側に踏み出している。ちょうど下の野球カードがそれに近いが、ホープ解剖で使われている若いころのフォームはもっとダイナミックというか勢いを感じる。藤田元司の解説によると「左ヒザは割れないでピチッとしまっているから腰もひらかない」「その時点でも右の手はまだゆっくり下にある。これが理想的だ」という。


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そして5コマ目では腕がしなっており「速球投手の典型である」と書いている。


「コントロールよりも球威を重んじる投げ方。少々高めにボールが浮こうが、力でねじふせてやるという気迫がにじみ出ているピッチングだ」と絶賛。コントロールは「球威が落ちてから徐々に転換していけばいい」というのだ。


こういう上司だったらな、と思う。若手はどんどんいけよ。オレが責任とってやるけどその分気迫を、若さを出せよ、生かせよと。


もちろんプロだからある程度の制球力は当然。藤田元司の言わんとするところは「最初からこじんまりするな」ではなかろうか。年齢を重ねれば世間なり業界の常識が身につくもの。しかし「それはそんなもんだ」「そういうものだ」という言い訳が身につく面もある。そういうものに最初からとらわれては大胆な提案もできない。


ホープ解剖ではシメの言葉が秀逸。


「小さくまとまらないでほしい。ワシが大空に羽ばたくように、堂々と、力強く、雄々しいピッチングを身につけてほしい。それが、たとえどまん中に入っても打たれない球になる」


「小さいフォームにはバッターを圧倒する威圧感もないし、ここ一番のピンチを防ぐことも出来ない」


深い。小さいフォームでは敵を圧倒できない。ここ一番でも踏ん張れない。どまん中に投げるのは禁じ手かと思っていたが、そもそも球威があればどまん中に入っても打たれない。そこを目指せと藤田元司は言っていたのだ。



恥ずかしながら黒柴スポーツ新聞編集局長は胸の内がすぐ顔に出やすい。うれしい時はいいのだが悔しい時、ピンチの時も表情に出るから困る。


個人プレーの時は自己責任だからまだいいがチームプレーの時は困る。不安や緊張は伝播してしまうからだ。


尊敬する先輩たちは堂々としている。もしかしたら内心ドキドキの場面はあるのかもしれないが見ていて全然分からない。


リリーフピッチャーは特に表情に出たら付け込まれるだけ。西武にいた豊田清は登板した時、気持ちを落ち着かせるためだろうが胸に手をやってスーハー深呼吸をしていた。それを江川卓が批判していた。「わざわざ不安そうなそぶりをしなくていい」と。


鉄仮面と言われた加藤初も実は内心ドッキドキ、心臓バクバク大和田獏的な状況のオンパレードだったに違いない。失敗したらそれまでのチームの頑張りがパーになったり先発投手の勝ち星を消してしまうのだ。


だが加藤初は表情を変えなかった。送り出した長嶋茂雄監督には頼もしく見えたに違いない。


ピンチだからこそ顔色を変えてはいけない。弱音を吐けるのは信頼関係があるこそ。ではあるが不安な表情をしても課題が減ったり壁が小さくなるわけではない。なら「やるしかないんだ」と腹をくくるしかあるまい。表情を変えず、黙々とやってみよう。目の前のバッター1人1人を打ち取るのみだ。




ちなみにこの加藤初を軸とする1975年シーズンオフの巨人と太平洋のトレードは以下の通り。
【巨人から】関本四十四玉井信博
【太平洋から】加藤初伊原春樹


そう、伊原春樹が絡んでいるのだ。これを知っているとあの1987年巨人との日本シリーズでの辻発彦神走塁がまた違う意味に見えてくる。加藤初は巨人に貢献したことで球史に名を残した。一方、巨人では戦力になれなかった伊原春樹クロマティの緩慢な返球を見抜いて本塁突入を演出したことで球史に名を残した。本当に人間はどこでどう花開くか分からない。


チームメイトだった加藤初東尾修はその1987年日本シリーズ第1戦で投げ合った。加藤初は先発桑田真澄をリリーフして勝ち投手になったのだった。表情を変えず後輩をリリーフして勝つ。かっこよすぎる。


npb.jp


病気との闘いはきつかったことだろう。そのマウンドから降りた加藤初さん。ご冥福をお祈りします。