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黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るワンシーンやプレーヤーについて綴ります。

背番号91の投手から初打席初ホームランを放った背番号97の男・呂明賜

ホームランを打った選手の背番号で最も大きい番号は何番だろう。育成選手だと200番台にもなろうがいわゆる1軍の試合で言えば99番ではないか。そんな選手おるかなと思ったら中村紀洋がいた。

 

最大背番号記録は塗り替えられてしまったが、きょうは背番号97でホームランを短期間に量産した人の話。せっかくなのできょうの1枚として早々登場してもらおう。

 

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呂明賜。残念ながら97番時代のカードは持っておらずこのカードは背番号12。それでも外国人選手は短期間で帰国する場合がほとんどなので、呂が背番号を変えても4年間巨人にいられてよかった。社会人になってからレトロ商品を扱う雑貨店でこのカードを見つけた時は体に電気が走り即買いした。

 

記憶が確かならば呂の初打席初ホームランはカーラジオで聴いていた。ウィキペディアによれば相手はヤクルトのボブ・ギブソン(後述のスポニチ記事によるとロバート・ギブソン)。彼の背番号は91番だったためひょっとしたら被本塁打投手とホームランを放った打者の背番号の和で最大(91+97=188)ではなかろうか? 確認するにはノリが背番号99時代にホームランを打ったケースを洗い出さねばならないが手間暇かかるので例えば99対99があるよなどとご存じの方はぜひご一報ください。

 

呂は初打席初ホームランの鮮烈デビューもさることながら短期間でガガガっとホームランを打った記憶があった。さきほどのカード裏の解説によると1988年6月のデビューから9試合で7本も打っている。ただし後半息切れして最初のシーズンは16本にとどまった。初対戦相手には通用するが次第にマークされ研究され打てなくなったのだろうか。巨人での4年間ではわずか18発だった。

 

え、それだけだったっけ?と驚いた。デビュー時やその直後の印象が強すぎたのだろう。もっと打ってからしぼんだと記憶していた。人間の記憶と言うのはいかに曖昧かがよく分かる。インコース攻めに苦しんだ記憶もあるがそれも怪しいものだ。

 

Youtubeで見つけられた動画には1988年中日戦での吉村禎章原辰徳、呂の3者連続アーチがあった。懐かしい。いわゆるバックスクリーン3連発とは対照的に(厳密に言えばバックスクリーン近くの打球もあったが)吉村がライト、原がレフト、呂がセンター方向だったので打ち分けられた米村明もがっくりきたことだろう。

 

クローズドスタンスというのか、左足をちょっとホームベース寄りに踏み出し、上背をかがめるような独特の構え。カラーバットで野球を楽しんでいたころ、呂のフォーム真似したなあ。動画で見てもあの97という背番号とその上のローマ字の「RO」がものすごくユニーク。王貞治の「OH」と並んで最少文字だろう。韓国人選手なら「李」という字を現地では「イ」と読むのでそれを採用したら「I(アルファベットのアイ)」という一文字ユニフォームとなるが恐らく李鍾範みたいに「LEE」となるため一文字にはならなそう。オスンファンは「呉」という字を「オ」と読むので「O」に挑戦してほしかったなあ。 背番号と上下に並んだら数字が2個あるみたいで面白かったのに。

 

 スポニチの記事をネットで見つけた。それによると呂はクロマティガリクソンがいたため「第三の男」だった。それが1軍にお呼びがかかるや初打席から快進撃を見せるとは胸のすくような話ではないか。後半失速したもののそれほどプロは甘くないことの証明だ。上田和明の記事でも書いたが人には輝き時というのがあるということだろう。ひっそりと消えていく選手が多いプロ野球において、一瞬でも輝けることは素晴らしい。輝いたからこそ衝撃の初打席から28年も後に黒柴スポーツ新聞に登場できたのだ。根っからのプロ野球ファンはこうした一瞬の輝きほどよく覚えているものである。

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