黒柴スポーツ新聞

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11試合連続完投勝利を記録したのは斎藤さんだぞ~殿堂入りを祝して

7月15日のオールスター前に野球殿堂入りの表彰があった。対象の一人、斎藤雅樹氏にとってその日は記念日だった、と気付いた。11連続試合完投勝利は1989年5月10日から7月15日にかけて記録した、と野球カード裏に書いてあったのだ。

後に2年連続20勝もすることになる斎藤雅樹だが最初の6年間では29勝だった。サイドスローへの転向は藤田元司監督のアドバイスと言われている。結果を出す人にはこういう転機がある。

「情」のリーダー論

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言い換えれば転機や人との出会いをものにできないと結果は出ない。すべての意見を取り入れる必要はないがとりあえず聞く姿勢は持ちたいものだ。


人生の分かれ道は至るところにある。バッティングが良かった斎藤雅樹には遊撃手転向説もあったという。もし実現していたら巨人の歴史は確実に変わっていた。


近藤唯之著「プロ野球新サムライ列伝」には斎藤雅樹がいかにして成功していったかが書かれている。その一つが藤田元司の「すまんな」の一言。継投失敗を皆の前で認めたのだ。斎藤雅樹は巨人に入って良かったと思った、と書かれている。

部下に頭を下げられる上司は男として本当に勇気があると思うと近藤氏は書いているが、上司とはそんなに偉いものなのだろうか。誤り、過ちがあれば謝るのは当然だができない上司がいる。ひどい上司は逃げたりもする。情けないものだ。斎藤雅樹はいい上司に出会えて幸せだった。

斎藤雅樹は通算180勝だが最多勝を5度も取っている。最多はスタルヒンの6度だがスタルヒンは350勝もしており、いかに斎藤雅樹がタイトルに縁があったか分かるが同時代では傑出した成績だったとも言える。

プロ野球新サムライ列伝」には年俸のことが書いてあった。1995年度は斎藤雅樹が1億8000万円。槇原寛己が1億7200万円、桑田真澄が1億4300万円。斎藤が一番稼いでいたが全く異論がない。桑田と槇原は逆でいいと思ったが。今の基準なら斎藤は4億クラスと思う。今の選手はもらいすぎだ。


黒柴スポーツ新聞編集局長が大好きな実況の一つが、斎藤雅樹ノーヒットノーランを逸した直後に逆転サヨナラ弾を落合博満に喫したシーン。実況は東海テレビ吉村功アナウンサーだった。


斎藤の被弾と言えば小早川毅彦に開幕戦雅樹で食らった3ホームランが語り草になっている。こちらはいかに斎藤雅樹がすごかったかの裏返しでもある。あの斎藤雅樹からということプラス野村克也の的確なアドバイスによるホームランなのだ。


打たれることはもちろんあるが、11連続完投勝利が物語るように斎藤雅樹の安定感は抜群だった。エースの条件は勝つこと以上に負けないこと。一人いたら大型連敗はあり得ない。


社会人的にも安定感ある人が一人いたら職場は安泰。あまり頼ると下が育たないデメリットもあるが。エースは失敗が少ないし、しても軽傷で済ませる。ここを特に強調したい。エースだったら降板したとしても3失点(3点差)くらいなものではないか。


その意味ではクオリティースタートという言葉の使われ方に違和感がある。先発が6回まで3失点までにとどめるのがクオリティースタートというが、昨年中日がクオリティースタートを禁句にする動きが東スポの記事になっていたように甘えに思える。書いてあったように中4日のアメリカと中6日の日本では投手に求められる成果が違う。斎藤雅樹は完投能力に長けているからクオリティーフィニッシュ男なのだ。


いつの時代でも計算できる人はカッコいい。巨人では菅野智之が少しずつエースとして足場を固めている。変な根性論ではなく、菅野は才能を生かしての完投をすることで自他共に認めるエースになってほしい。


きょうの1枚は斎藤雅樹。最優秀選手1回、最多勝5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、ベストナイン5回。沢村賞3回にふさわしいエースだった。黒柴スポーツ新聞もおかげさまで200記事到達。うんちくを楽しんで頂けるような安定感ある内容を積み重ね、殿堂入りを目指します。ぜひ明日以降も遊びに来てください。

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