黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

12月2日は沢村栄治の命日~ノーヒットノーラン3度の名投手をしのぶ

新聞でよく見る所の一つが、「きょうは何の日」的なコーナー。たまに野球ネタがある。きょう、12月2日は「名投手・沢村栄治が戦死」と書いてあった。



27歳。3度目の応召だった。場所は台湾沖。沢村栄治が乗った輸送船が撃沈されたのだった。



沢村栄治。京都商を中退し巨人入り。最優秀選手1回、最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振2回。ノーヒットノーランを3回もやった。



名をはせたのは全米チームを相手にした好投。今から80年以上も前、1934年のことだ。3番ベーブ・ルース、4番はルー・ゲーリック。2番のチャーリー・ゲリンジャー、5番のジミー・フォックスも含めた4人は後に殿堂入り。その全員から沢村栄治は連続三振を奪った。



まだ17歳が、である。全米選抜軍相手に堂々のピッチング。0-1で惜しくも敗れたが他の試合のスコアを見てみればそれがいかにすごいかが分かる。「宇佐美徹也の記録巨人軍65年」から引用してみる。

宇佐美徹也の記録 巨人軍65年―栄光の巨人軍65年の歩み

宇佐美徹也の記録 巨人軍65年―栄光の巨人軍65年の歩み




スコアは米国-日本の順。


5-1
5-2
7-0
10-0
14-0
15-6
21-4
1-0※沢村栄治登板
6-5
8-2
15-3
8-1
14-1
23-5
14-5


日本チームは全敗。それだけに沢村栄治が投げた時のすごさが分かるだろう。唯一の失点はゲーリックに浴びたソロホームランだった。



1936年にプロ野球初のノーヒットノーラン達成。戦地でマラリアにかかりその発熱に苦しんだそうだ。球威は衰えたものの1940年には3度目のノーヒットノーラン。巧さで成し遂げたのかもしれないが、もしも平和な時代だったら球威がそこまで衰えずに済んだのではとも考えてしまう。



惜しい。そして戦争を恨む。



沢村栄治の功績を記念してつくられた沢村賞。毎年誰それが受賞した、というばかりでなくほんの時々でいいので名投手のことを折に触れ思い出してもらえたら、と思う。



きょうの1枚は沢村栄治。足を高く上げるフォームだったという。西本聖がそれを真似したのは有名だ。ノーヒットノーラン3回はうち1回を完全試合で達成した外木場義郎も成し遂げている。外木場義郎の背番号も、永久欠番となった沢村栄治と同じ14であった。

f:id:tf-zan96baian-m-stones14:20161202224734j:plain


福岡ソフトバンクホークスランキング