黒柴スポーツ新聞

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最年少20歳で完全試合の佐々木朗希と島田源太郎

ロッテの佐々木朗希が史上最年少(20歳5カ月)で完全試合を達成した。新聞によっては完全試合を報じる紙面に、過去の達成者一覧が載っていたかもしれない。佐々木の前の最年少が誰だったのか。確か似たように若くして完全試合をした人がいたよなぁと、後日、北原遼三郎著「完全試合」を開いた。この本、藤本英雄から槙原寛己までの完全試合を丹念にまとめた傑作である。今回の佐々木朗希完全試合を機に、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。これまでの最年少達成者は大洋の島田源太郎(20歳11カ月)だった。

島田源太郎完全試合を達成したのは1960年。大洋ホエールズ三原脩監督の采配と選手の頑張りにより6年連続最下位からの日本一に輝いた。島田はエース秋山登(21勝)に次ぐ19勝を挙げ優勝に貢献した。そのくらい勝てる投手なら完全試合もできるのかというと、そうとも限らないのだが、少なくともロッテの佐々木朗希のように鳴り物入りで入団したわけではない。「完全試合」によると入団テストに合格したのだった。

佐々木朗希は岩手県出身だが、島田は宮城県気仙沼市出身。気仙沼高校卒業後は盛岡鉄道管理局への就職が決まっていたが家の事情もありプロ野球入りを目指したのだった。島田は就職しなかったが、鉄道管理局出身のプロ野球選手はたくさんいるようだ。元ロッテ監督の西村徳文は鹿児島鉄道管理局。木塚忠助は門司鉄道管理局だった。

佐々木朗希は主にストレートとフォークで完全試合を達成し、また13連続奪三振や1試合19奪三振を成し遂げた。完全試合達成時の島田の持ち球はストレートとカーブだけだったという。2人ともこれで完全試合をやってしまうのだからすごい。

完全試合達成者の中には金田正一の400勝、藤本英雄200勝、槙原寛己159勝など3桁の勝ち星を積み上げた人がいる一方、2桁にとどまった人もいる。森滝義己はわずか16勝だった。通算310勝の別所毅彦も9回2死までパーフェクトだったが、最後の最後に打たれてしまった。やはり運もあろう。

島田は通算70勝なのだが、完全試合達成の後、肩を壊してしまう。それを考えるとその後も大洋に居続けたり、勝ち星をかさねていること自体がすごいと思える。どんな治療法だったのかや、不死鳥のように蘇るあたりはぜひ北原遼三郎著「完全試合」を読んでいただきたい。

完全試合を重荷に感じたことはありません。本人の気持ちの持ちようですから」(「完全試合」より)


何と清々しい島田の言葉だろう。果たして最年少達成者の佐々木朗希は、これからどのようなプロ野球人生を歩むのだろうか。勝ち星がどうなろうと、佐々木朗希が完全燃焼できることを祈っている。


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