黒柴スポーツ新聞

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人生を左右するコンバート~ホークス投手陣を支えるブルペン捕手・内之倉隆志

内之倉隆志。懐かしい名前だなと思った。甲子園で有名になりダイエーホークスに入った。しかしバリバリ活躍したかというと……期待の方が多かった、のかもしれない。通算出場は118試合だったという。内之倉のことは西日本スポーツ記事、異色の経歴、元新聞記者のプロ野球2軍監督が今語る 「甲子園のスター」信じ続けたコンバート秘話、で読んだ。ダイエーで2軍監督を務めた経験がある有本義明さん(スポーツニッポン新聞社特別編集委員)を紹介するものだったが、有本監督がコンバートをしたのが内之倉隆志だった。

コンバート。配置転換のことをそう呼ぶ。忘れがちだが野球にはポジションが九つある。たった九つ……試合に出るためにはまずそこで一番にならないといけない。内之倉は三塁手だったが脚力がマイナス。逆に強肩はある。打力を生かす観点からキャッチャーへのコンバートを打診した。しかし内之倉はこれを拒否。三塁手に愛着があったのか、キャッチャーが大変だと思ったのか……いずれにしても、プロ野球選手が「変化」をするのは大きな決断だ。曲がりなりにもそのスタイルで結果を出したからこそプロ野球選手になれた。それを変えることはリスキーである。ある意味、賭け。
 「悪いけれど、君の脚力では選手(レギュラー)にはなれない。君は選手になりたいんだろ? いや、甲子園のスターなんだから選手になってくれないと。そのスターがプロで全然(駄目)では、君自身が一番寂しいはずだ」(西日本スポーツ記事より)
有本さんはそう内之倉に説いた。そして内之倉はキャッチャーになった。

プロ野球三国志

プロ野球三国志

 

 

記事にも書いてあるが、すぐに城島健司という有能なキャッチャーが入ってしまったこともあり、内之倉が結果を出したかといえばそうではない。じゃああのコンバートは失敗だったのか、というとそれは違う。今回初めて知ったのだが、内之倉はいま1軍ブルペン捕手。今なお野球の現場にいる。立場は裏方に変わりはしたが。

最初は嫌いなポジションだった。でも、やり始めたら、いかに大変でブルペンという職場がプロの世界に不可欠なのか分かった
西日本スポーツ記事には、内之倉がそう語っていたことを有本さんが振り返るくだりがあった。嫌いなポジション……嫌いというのもあっただろうが恐らく大変だ、というのが本音ではなかろうか。球場によってはグラウンドに面する形でブルペンが設置されているところもあろうが基本的には陰の職場。光が当たることはまずない。しかしそこで必死に投げ込んだり調整したピッチャーが試合で結果を出す。内之倉が言うようになくてはならない場所だ。ブルペンキャッチャーはその意味合いから「壁」とも呼ばれたりするがその「壁」にも工夫がある。調子がいいぞと声を掛けたり、乾いた捕球音を響かせることでピッチャーをその気にさせたり……この辺りはピッチャーって面倒だなと思わなくもないが、ともかくそれも含めて壁のお仕事らしい。かつて高校球界で名をはせた内之倉はそういうブルペンスタッフを束ねてソフトバンクの誇る鉄壁の投手陣を支えている。

タラレバを言い出したらきりがない。果たして有本監督がコンバートを打診していなければ、また、内之倉が断り通していたらどうなっていただろう。尻に火がついて三塁手として成功したかもしれないが、その後球団に残れたかは分からない。通算出場が118試合だからキャッチャーとして成功したとも言えない。しかし内之倉の野球人生が不幸かというとそれも違う。特に近年のプロ野球は投手の分業がかなり定着しておりピッチングスタッフの整備はペナントレースにかなり影響する。光は当たりにくいがブルペンスタッフの責任はかなり重く、またその分やりがいもあるのではないか。そして密かな密かなプライドも……。プロ野球が開幕していない今だからこそ、有本さんの記事が出たように思うが、西日本スポーツ記事のおかげで懐かしい内之倉を思いだし、また彼が強力なホークス投手陣を支えていることを知りうれしくなった。1日も早くプロ野球が開幕し、内之倉が支えているピッチャーたちがバリバリ投げることを願っている。


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