黒柴スポーツ新聞

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今宮健太、300犠打が「嬉しくない」理由とは~理想とイメージの間で

少し前のことだが、今宮健太が通算300犠打を記録した(7月3日)。史上7人目だが、20代での到達は史上初という。今宮がいかに若い頃から犠打を積み重ねたかが分かるというものだ。だが私はあることに引っ掛かった。その節目の今宮健太Twitter(7月3日)にはこう書かれていた。
「今日、300犠打決めてきました❗️
嬉しいようで嬉しくないよく分からない気持ちです😂
なにか1つでもチームに貢献できるよう頑張ります❗️
シーズンも始まったばかりこれから
頑張ります❗️」

長いプロ野球の歴史でたった7人しかやっていない300犠打。それをなぜ「嬉しくない」なんて書くのか。謙遜か。成果をひけらかさない控えめな態度ならよいのだが、何か引っ掛かるものを感じていた。その答えがFull-Count記事に書かれていた。

「ただ、本人の胸の内には別の思いがあった。高校時代は通算62本塁打を誇るスラッガー。心のどこかには打ちたい思いがあった」(7月4日、筆者=福谷佑介さん)

打ちたい。そんな単純なわがままではないと思う。得点が期待される長打力があれば送りバントを命じられない。今宮健太はそう考えているのではないか。だからそうなれるよう、バッティングを努力しているのだと思う。ゆえに今宮イコール犠打がうまい、やらせておけ、という単純な流れが嫌なのであって、チームプレーを放棄しているのではない。私はそう想像している。世の中には本人の意思とかけ離れたところで役割を決められる局面がある。当事者すぎて、本人が気が付いていない良さを第三者が客観的に評価するなら意味がある。しかし得てしてこの人はこういうキャラだ、こういう仕事が向いている、などなど周りが勝手に決めつけることもある。枠にはめられた本人は、そういうもんかなと枠に合わせているうちに本来の良さを失う。それは最悪だ。今宮がもしつなぎ専門の2番なり犠打を増やすことが自分の理想ではないのなら、やはり力強い打撃で結果を残す。それしかない。

「理想は打って、走者を進められる打者。記念すべきこの300犠打も、期待される川相氏超えの犠打記録も、今宮自身にとっては目指すべきところではないのだ」

先に紹介した福谷佑介さんの記事はそう締めくくられている。300犠打なんてそうそうできるものではないし、それこそ川相昌弘の世界記録533犠打も夢じゃないと思うのだが、それって結局周りが勝手に今宮の将来を決めつけていることなんだろう。私は今宮が世界記録を目指すなら応援するし、やっぱり自分の理想とする打撃を追求したいから長打力を磨くというならそれを応援する。最近は栗原陵矢という長打力ある若手も台頭してきたし、その栗原が1番に定着したらますます今宮に送りバントを……という展開が増える可能性もある。しかし人に迷惑さえ掛けなければ、人は死ぬまで自分の理想を追ってよいと私は思う。今宮の野球人生の主人公はもちろん今宮自身。引退はまだまだまだまだ先だけれど、今宮らしさを生かしながらチームに貢献し続けてもらいたい。


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