殿堂入りを祝し平松政次の野球カードを6枚紹介しながら足跡をたどる~背番号3に込めた入団時の決意【PC閲覧推奨】
2017年1月16日、新たに野球殿堂入りした人が発表された。元プロ野球選手3人は星野仙一、平松政次、伊東勤。その中から今回は平松政次の野球カードを紹介する。
まずはこれ。
肩にくっきり「まるは」マーク。ユニホームの記事はグレーだ。グラブにもホエールズと刺繍が入っている。いつまでなのか知らないが往年の名選手の野球カードはこのように明らかにポーズをとっているものがある。「すみません、構えて止まって下さい」とでもカメラマンに言われるのだろうか。だがそういう注文が来るのもスターの証しである。
【平松政次の通算成績】
201勝196敗16セーブ
【獲得タイトル】
・最多勝2回(1970年=25勝、1971年=17勝)
・最優秀防御率1回(1979年=2.39)
・沢村賞1回(1970年)
続いてのカードはこちら。
長嶋茂雄のライバル投手を紹介するカードの一つ。長嶋茂雄と100打席以上対決した投手は33人。このうち長嶋茂雄を打率1割台に封じたのは平松政次だけ。これはハッキリ言って自慢できる。
181打数35安打 8本塁打 26打点 犠打飛3 四死球18 打率.193
次はこちらのカード。
レコードメーカーズの1枚。
・連続シーズン2ケタ勝利=12年
・対巨人通算勝利歴代2位=51
・対巨人連続イニング無失点=33(1970年)
とこの2005年版カード裏に書いてあった。
対巨人戦通算勝利1位は金田正一の65勝。
続いてはこちら。
昭和50年代のヒーローたちを紹介するシリーズの1枚。平松政次は岡山東商出身で1965年のセンバツ大会優勝投手だ。39回連続無失点は尋常ではない。1965年秋のドラフトで中日に4位指名を受けるも拒否して日本石油入り。1967年度第2次ドラフトで大洋入りした。平松政次は大洋を源流とする球団で唯一の200勝投手。もしも中日に入っていたらゼロだったわけだ。
次はこちら。
それまでのユニホームも十分カッコいいがこのオレンジも大好き。緑色が映える。キャンプ地・静岡のみかんとお茶をイメージした説は本当なのだろうか? 東海道線をモチーフにした説もある。詳しいことをご存知の方はぜひコメント欄に豆知識を書いていただきたい。
平松政次のように12年連続2ケタ勝利くらいできないと200勝は難しい。4年目でシーズン25勝した時は200勝も難しくないと思っても不思議ではない。しかしラスト4年間は6勝7敗、9勝10敗、8勝8敗、1勝10敗と勝ち越せていない。ここがプロの厳しさだ。25勝もできた人がわずか1勝。人は必ず衰えが来るのだ。
最後の1枚はこれ。
ドラフト物語の1枚。そう言えば入団当時の背番号は3だった。ベースボール・マガジン社新書「カミソリシュート V9巨人に立ち向かったホエールズのエース」によるとシーズン途中に大洋入りを決めた平松政次にとって、残っていた番号は3か13か、60番台だった。
「13は西洋で縁起がよくない数字だし、大きな数字は嫌だった。選んだのは3。長嶋さんと同じ背番号でスタートすることによって、決意を示したかった」(「カミソリシュート」126ページ)
カミソリシュート―V9巨人に立ち向かったホエールズのエース (ベースボール・マガジン社新書)
- 作者: 平松政次
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打倒巨人。星野仙一と同じく巨人入りを望んでいた人が巨人キラーになるのもドラマチック。やはり人の原動力は憧れなり反骨心なり探究心なり向上心といった「ハート」なのだ。
平松政次は見た目もスタイリッシュ。三浦知良ばりに50歳までやっていたらベイスターズのユニホームが着られたわけでそれも似合ってそうだ。この「YOKOHAMA」ユニホームも悪くない。今後平松政次がベイスターズのユニホームを着ることがあるのかどうか。ユニホームに袖を通さない(通せない)のには何か理由があるのか? 衣笠祥雄が広島に呼ばれなかったのと同じく謎である。
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