黒柴スポーツ新聞

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「大活躍翌年に不調」甲斐野はどうなる?~目指せ佐藤道郎の68登板

けがの具合が気になるが、甲斐野央は大丈夫だろうか。ルーキーイヤーの2019年はいきなり65試合に登板。しかし2020年はキャンプから別調整になってしまった。

大車輪の活躍をした翌年、けがや不調に苦しむのは岩嵜翔(72試合で6勝40ホールド→2試合で1勝1ホールド)もそうだったし、加治屋蓮(72試合で4勝31ホールド→30試合で3勝6ホールド)も石川柊太(42試合で13勝→2試合で0勝)もそうだった。果たして甲斐野はどうなのだろうか。そして繰り返される悲劇は属人的なものなのか、チームとしての欠陥なのか。しっかり対策はとってもらいたい。

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セットアッパーなり守護神になると登板数が70試合前後になるのはもはや仕方ないのかもしれないが、このレベルを130試合制の時代にやっていた人がいたと最近知った。佐藤道郎。1969年のドラフト1位で、1974年は68試合。これは130試合制で最多らしい。

元ネタは3月12日のNEWSポストセブン記事「野村克也さんが抜擢、日本球界に革命を起こした初代セーブ王」。初代セーブ王って誰かいなと思ったら佐藤道郎だった。甲斐野の65試合(全143試合)もすごいが佐藤道郎の68試合は130試合制だから、2試合に1回ペースを上回る。これはなかなか過酷だ。

さらに佐藤道郎がすごいのはイニング数だ。
「この頃は抑え投手が2~3イニング投げることは頻繁にあり、佐藤は主にリリーフを務めた7年間で6度も規定投球回数(=試合数)に達している。ただし、そのうち3度は130~136回の間だった」(前述のNEWSポストセブン記事より)。甲斐野は65試合で58.2回。佐藤道郎は68試合で131.2回。甲斐野の2倍以上だ。しかもこの1974年は最優秀防御率(1.91)にも輝いた。本当に素晴らしい。

それだけ投げて、やっぱり甲斐野同様、次の年はけがとか……と思ったが、若干ペースダウンしたものの42試合に登板して9勝。その翌年は再びリーグ最多54試合に登板し16セーブ。2回目のセーブ王に輝いた。結局佐藤は11シーズンで500試合に登板。新人王のほか、最優秀防御率2回、セーブ王2回、最高勝率1回とタイトルもしっかり獲得した。

球は速い。フォークの切れも鋭い。甲斐野のポテンシャルの高さは誰もが認めるところ。佐藤道郎ばりに活躍することは決して高望みではない。それだけに今はしっかりけがを治してバリバリ活躍してもらいたい。コロナウイルスの影響で開幕が大幅にずれ込んだら、例えば交流戦がなくなり130試合制に戻ったりするのかも。その時は体をいたわりつつ、佐藤道郎の68試合登板もぜひ目指してもらいたい。


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