黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

神戸に勇気を与えた1995年オリックス優勝

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17日はいつもより早く目が覚めた。

まだ5時。

しかし、起きていれば気持ちだけでも「参加」できると思い、寝床を出た。

阪神淡路大震災の追悼。

温かい部屋で本当に恐縮だったが、少し手を合わさせてもらった。

 

遠いところのことなのか

どこか遠い場所での出来事と、ずっと思ってきた。

でも、人ごとにしてはいけない。

そんな思いが年を追うごとに増している。

東日本大震災の被災地に足を運んでからは。

 

袖口の「がんばろうKOBE」

オリックスファンには怒られてしまうが、すっかり忘れていた。

震災の起きた1995年、オリックスは優勝したのだった。

きょうはその袖に縫い付けられていた「がんばろうKOBE」の話。

 詳しいいきさつは、ぜひオリックスのHPを見ていただきたい。

この「がんばろう」という言い方が絶妙に思える。

 

これ以上何を頑張れば

以前、頑張ってと言われるのが嫌だ、という人の反応を不思議に思った。

頑張っているのに、これ以上頑張れと言われるのが苦痛。

そういう論理だ。

考えすぎ、と思った。

ところがどうだ。

いつしか自分が同じように感じているではないか。

もう十分頑張っている。

耐えている。

これ以上どうしろというのだ。

せっかく心配して、励ましてくれる声なのに、素直に受け止められない。

そしてまた自己嫌悪に陥る、という悪循環。

そんな時期が、確かにあった。

誰しも似たような経験はあるのではないだろうか。

 

がんばれ、ではなく、がんばろう

だからこそ絶妙に思う。

がんばれ、ではなく、がんばろう。

書いてはいないが、そこには「一緒に」「みんなで」というニュアンスが垣間見える。

最初は、無事だった選手たちが励ます側だっただろう。

それがいつしか、ファンの声援に選手たちが支えられている。

震災のあった年に優勝する。

ドラマのようなことが本当に起きた。

優勝したからといって、神戸は元通りにならない。

でも、傷ついた人たちに勇気を与えたことは間違いない。

 

風化をさせないためには

今なお、後遺症で苦しんだり、借り上げ住宅から退去するよう言われている人たちがいる。

震災の風化も懸念されている。

本紙編集局長の周囲には、阪神淡路大震災で直接被害があった人はいないけれど、東日本大震災の被災地には大切な人たちがいる。

厳密に言えば、「いつしか大切な存在になっていった」人たち。

だから、自分の中では東日本大震災は風化しない。

阪神淡路大震災も、語り部の方たちなどがきっと新しい縁を生む。

理想かもしれないけれど、それが風化を防ぐはずだ。

 

防災は無事に家に帰ること

昨年、ヤフオクドームで野球を見た。

3万人以上のお客さんで埋まっていた。

この人たちには帰る家がある。

観衆を見ながら、なぜかそんなことを考えた。

ゲームが終われば、この人たちはわが家に帰るのだ。

防災とは、言うなれば無事にわが家に帰ること。

被災地に一度行ってからは、外出の際、必ず家族の顔を見るようにしている。

災害は時を選ばない。

最悪の場合、それが家族との最後の会話になるかもしれない。

だから悔いは残さない。

大げさかもしれないけれど、ずっと続いている習慣だ。

 

2016年も、多くの人が大好きな野球を楽しめる1年であってほしい。

今、暖房の効いた部屋で好きな文章を書ける幸せを、かみしめている。

 

※写真は1996年版ベースボールマガジンの野球カードを使わせていただきました。打点王初芝田中幸雄と分け合う)イチローの袖口に「がんばろうKOBE」の文字が見えます。


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