黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

忘れられない人~横浜Fマリノス松田直樹と阪急の西本幸雄監督

サッカーファンでもないのに感動した。15年ぶり優勝の横浜Fマリノス。今季限りで引退の栗原勇蔵がシャーレを掲げた。それだけでもいいなぁ、と思わされたのだが、今度は背番号3のユニホームを着ていた。故・松田直樹の背番号3。そこまで思われる松田直樹はカッコいいし、松田直樹を忘れない後輩たちやサポーターも素敵だな、と思った。感動した。

もうひとつ、ユニホームが披露されるシーン(写真)が心に残った。スポニチ記事、オリ「西本幸雄メモリアルゲーム」来年4・25西武戦で開催 生誕100年、阪急復刻ユニ&背番50、の写真には阪急ブレーブスのユニホームが写っていた。背番号50。故・西本幸雄監督のものだ。生誕100年にちなみ、みんなで同じユニホームを着用するそうだ。発案者は阪急・オリックスOB会長の山田久志西本幸雄を親父のような存在だと慕っていた。

 

阪急ブレーブス 勇者たちの記憶 (単行本)

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死してなお忘れられない人に共通するものはなんだろう。まず思い浮かべるのは情熱。サッカーに詳しくはないのだが、愛着のあるFマリノスを戦力外になった松田が他チームに行ってまで現役にこだわったのはとにかくサッカーが好きだったから。「オレ、マジでサッカー好きなんすよ」は魂の叫びに聞こえた。

 

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

 

 

西本幸雄監督もまた激しかった。鉄拳制裁と言えば近鉄時代に羽田耕一が食らったエピソード(山口高志の高めの速球を見送れと円陣で言ったのに羽田が手を出して怒られる。しかし羽田は回の先頭打者でその指示は聞けていなかった)が知られている。暴力はよくないのだが、そこまでやるかと思わされるエピソードだ。近鉄監督を務める前の阪急時代はとにかく練習させた。猛練習に鉄拳制裁。そこに愛情がなければ慕われることはない。

 

パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

  • 作者:西本 幸雄
  • 出版社/メーカー: ぴあ
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本
 

 

西本監督のことを調べようと、家にあるベースボールマガジン社の刊行物を漁っていたら、発掘!プロ野球名勝負 激闘編が出てきた。その116~117ページにある1968年10月11日の阪急対東京戦を見つけてしびれた。西本阪急はシーズン最終戦であるこの試合にサヨナラ勝ち。同率首位の南海が8分後に敗れて2連覇を果たしたのだった。サヨナラホームランを打ったのは8年目の4番矢野清。実働7年間でわずか8本塁打の男が大ブレイク。27本目が優勝決定弾となった。117ページの写真には矢野清の肩を抱き杯を挙げる、笑顔の西本監督がいた。

その写真と同じ縦じまのブレーブスのユニホームが、2020年の西本監督生誕100年の記念試合で着用される。使われたのは1964~69年。メモリアルでの着用を発案した山田久志は1969年入団だから、最初に着たのがこのモデルだ。西本阪急の初優勝そして3連覇、のちにレジェンドとなる山田久志入団と、まさに栄光のユニホーム。歴史を大切にする意味でも復刻はいい企画だと思う。

 

阪急オリックス80年史―1936-2016 (B・B MOOK 1315)

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マリノスの背番号3も阪急の背番号50も、チームが忘れてはならない番号であり、その主は忘れられない人だ。肉体はこの世になくとも残した情熱は人々に語り継がれる。二つのユニホームを見て、あらためてそう思った。


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