黒柴スポーツ新聞

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門田博光がアキレス腱断裂後に手に入れた覚悟~背番号44が意味するものとは

西岡剛がアキレス腱を傷め戦列を離れた。7月30日の新聞を見たら畠山和洋も傷め今季絶望という。けがは避けられないものなのだろうが残念な限り。共にベテランだから復帰できるかどうかはそのまま選手生命に関わる。しっかりリハビリに取り組んでほしい。


西岡剛はアキレス腱が切れた瞬間、現役は終わったと覚悟したという。経験したことがないが相当痛いのだろう。実はアキレス腱を切ったあの強打者・門田博光も同じセリフを残していた。


1979年、高知の大方球場で行われていた南海キャンプ中にアキレス腱を切った。その後大阪で入院するのだが傷心の門田博光を支えたものの一つが中国の人生訓、菜根譚黒柴スポーツ新聞編集局長も現代語でかみ砕いたものを持っている。人生の指針になりうる言葉がいっぱいある。

野村克也の「菜根譚」

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もう一つはたしなみがあった絵を描くこと。心が鎮まったそうだ。こう考えると読書や趣味はピンチの時助けになりそうだ。本を読まなくてもいい。好きな音楽を聴いたり好きなドラマや映画を見てもいい。特にけがの場合は無理は禁物。復帰のためにも心の面から整えておきたいものだ。


門田博光指名打者としても活躍したが南海のチーム編成上の考えからトレード要員になったことがあるそうだ。これに長嶋茂雄監督が飛び付いたという。門田博光が巨人のユニフォームを着ていたらとワクワクするがセ・リーグ指名打者制はない。長嶋監督はいったいどこを守らせるつもりだっただろうか。


門田博光は1980年に番号を27から44に変えた。スポニチ記事では死を意味する4が二つ並ぶ意味として門田博光の母が44歳で亡くなっていることと、次の門田博光の言葉を紹介している。「一度は死んだ身。いつまたアキレス腱がダメになるか分からない。毎打席“これが最後”という気持ちで打席に入るためにもこの番号を選んだ」

40歳で44本のホームランを打ち3度目の本塁打王門田博光が大打者になったのはあの大けがとその結果手に入れた覚悟があったからに違いない。西岡剛畠山和洋もいいバッターだからこのままけがを引きずって引退していくなんてことはもったいない。早く元気な姿をファンに見せてほしい。その時プレースタイルや価値観が変わっているかどうかを興味深く見たい。


誰だって失敗するのだからそこからいかに盛り返すかで人生に差が付く。編集局長は物事の出来不出来で一喜一憂するくせがあるので少々失敗したとしても成長の糧にするぞくらいの気持ちでやっていこう。それに災害のことを考えれば明日が平穏かどうかなんて結果論。だからこそ一日一日を悔いなく過ごしたいものだ。


門田博光は通算567号(歴代3位)。最優秀選手1回、本塁打王3回、打点王2回、最高出塁率3回、正力賞1回。背番号44のイメージが強いので少し前まで同じホークスの柳田悠岐が44を付けていたのを見てうれしく思っていた。44の時代にオリックス平野将光から9回に決勝ホームランを打ったシーンは鳥肌が立った。当時はまだDHだった。今の背番号9も小久保裕紀の番号だから継承は順当なのだろうが背番号44もすごく似合っていた。現在はバンデンハークがつけているが今後強打者の卵が入団したらぜひ44番を背負ってほしい。