黒柴スポーツ新聞

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仕事のやり方は年齢と立場によって変わってゆく~南海晩年を支えた山内和宏

マエケンは出ていくのが1年早かったね」。鋭い指摘を耳にした。エースとして支えた時は優勝できず、移籍初年度に広島が快進撃とは皮肉なものだ。と言ってもマエケンなら笑顔でおめでとうと言えるだろうけれど。いやいや、まだペナントレースはこれからだ。


以前書いた阿波野秀幸のように在籍した球団すべてで優勝できる人やルーキーでいきなり優勝できる人もいるが、一度もビールかけをせずにやめていく選手もいっぱいいる。工藤公康のように現役で14度優勝、日本一11回、2015年は監督1年目で早速日本一という人と、優勝に縁がない人ではいったい何が違うというのか。


これも考え方次第だが、先輩の頑張りでした優勝と主力として経験する優勝は違うというようなことを2015年に畠山和洋が言っていた。サラリーマン的にも同じ。社内表彰も中心メンバーでもらうのと対象チームの名簿上でもらうのとでは全く意味合いが違う。賞金を山分けしたりお疲れ会をやったりしてもきっとビールの味は違うはずだ。


そういう意味では南海晩年を支えた山内の一人、山内和宏はどういう気分だっただろうか。ホークス在籍は1981年から1990年途中だがチーム順位を並べてみた。カッコ内は山内和宏の個人成績。

81年=5( 5勝 7敗)
82年=6(11勝13敗)
83年=5(18勝10敗)
84年=5(12勝12敗)
85年=6(11勝11敗)
86年=6( 8勝15敗)
87年=4(10勝11敗)
88年=5( 8勝15敗)
89年=4( 9勝 9敗)
90年=6(0勝4敗、中日移籍後に4勝4敗)


見事なまでにBクラス。ウーマンラッシュアワーのネタのバイトリーダーが「生、ウーロン、生、生」と早口で言うかのように5や6が並んでいる。もはや優勝経験うんぬんではない。だが山内和宏山内孝徳はこういう南海晩年を支えたのだった。


山内和宏の成績で特筆すべきは83年の18勝での最多勝。今年で言えば楽天の則本昴大が最多勝を取るようなものだ。7年連続2ケタ敗戦はバックに恵まれなかったことを考えねばならない。それでも山内和宏は投手も四球を出すから野手もエラーは仕方ないと思っていたという。このエピソードは澤宮優氏の「記録より記憶に残る野球狂列伝」で知った。


山内和宏は通算97勝で十分カッコいい成績なのだがこのクラスだと江夏豊らみたいに自伝があるわけではない。だから島本講平の時のように澤宮氏の本は本当にありがたい。大物ばかりがプロ野球選手ではない。澤宮氏はキラリと光った選手のピックアップが得意だからいずれホークスの城所龍磨あたりを書いてほしいなと期待している。


野球狂列伝でいいなと思ったのは山内和宏が語ったこのくだり。「最初の頃は力で押していたんですが、しばらくしてからテクニックじゃないけど、ボールをばらまきながらのピッチングになった。ピッチングは年齢とともに、自分の立場によって変わってゆきます。若いときは少々甘い球でも力があれば、ファウルになります。年をとってくるとそうじゃない。それがわかるのは辞める頃ですね」(難波のエース・山内和宏、42ページより)


ボール球を打たせて打者を料理する投球術になっていった。別にストライクで勝負しなくてもいいのだ。山内和宏は若い時は真ん中の快速球で三振を取ろうと考えていた。だがかなわないと思わされた山田久志東尾修は打者の心理をかぎとることと、ボール球で打ち取る技術に長けていた、と本に書かれていた。

 
サラリーマン的にも若い時は直球勝負一本でも若者らしくていいが、ここは思いきっていけるぞとか、ここは安全策だなどと状況判断がうまくなっていくはずだから、おのずと年齢と経験を重ねれば仕事のやり方も質も変わっていく。山田も東尾も、打者に打ち気がないとみるやピンチでも真ん中に投げ込む度胸があったのだという。ちなみに山内和宏は唯一の最多勝を東尾と分け合った。そりゃ年齢を重ねればスタイルは変わるさと思われそうだが、変われない人もいっぱいいる。そういう人がああしておけばよかったなと気づくのは山内和宏の言うように辞める頃なのだろう。


山内和宏は毎年勝ったけれど同じくらい、またはそれ以上に負けた(通算97勝111敗)。「十なんぼ負けても、それだけ投げさせてくれたということです」。投手は勝ち負けがつくようになって初めて一人前。山内和宏のこの考えに触れた時、自問自答してしまった。勝ち負けがつくような仕事をして一人前。責任を伴わない仕事はただの作業。このあたりは常に意識したいものだ。


今のホークス打線を背負っていたら山内和宏は100勝以上していたに違いない。しかし弱小チームだからおれが何とかせねばと踏ん張ってのホークス通算92勝とも見える。だから優勝経験がないどころか通算12シーズンで11度Bクラス(中日時代の91年に2位。ただし山内和宏は0勝0敗)ではあったけど、山内和宏山内孝徳のダブルエースは今からは想像できないくらい弱かったホークスを懸命に支えてくれたのだと改めて書き記しておきたい。南海ファンだった澤宮氏の本も興味がある方はぜひご一読ください。


きょうの1枚は山内和宏山内孝徳とともにひげがトレードマークだった。ナバーロのつけひげが売り出されているなら山内のひげもホークスの「ダグアウト」で売ってほしい。いつかカレンダーの18、19、20日に大阪でホークス主催ゲームがあったら「山内まつり」として新一氏も含めた山内トリオを背番号順に並べ、日替わりで本人に始球式をやってほしい。ソフトバンク球団にはぜひホークスの伝統と歴史を大切にしながらファンを楽しめる企画をお願いしたい。

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