黒柴スポーツ新聞

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日本シリーズ2日連続完封、元南海のスタンカ死去

南海ホークスのスタンカさんが10月15日亡くなった。昭和30年代~40年に活躍した助っ人ゆえに「誰それ?」的な方も多いかもしれない。筆者とて現役時代を知らないがスタンカはいろんな書物に名前が出てくる。記憶にも記録にも残るプレーヤーだったということだろう。ご冥福を祈りつつ、ざっくりまとめてみた。

熱投スタンカを憶えてますか

熱投スタンカを憶えてますか



日本シリーズで二日連続完封
今やエースでも中4日は避ける時代。CSでは千賀が中4日で西武戦に先発したが、巨人の菅野はまさかの温存でファイナルステージ敗退。そんな姿をスタンカはどう見るだろう。時代が違うとはいえ1964年の日本シリーズでは阪神相手に第6、7戦と二日連続で完封。第1戦でも完封しているから最優秀選手になるのも当然だった。シーズン中でも恐らく、戦後は大洋のエース秋山登しかなし得ていない二日連続完封を日本シリーズでやってしまったスタンカ。今なら年俸は間違いなく億単位だろう。1964年は26勝7敗、.788で最優秀勝率に輝いた。最多勝かとも思ったが小山正明が30勝。昔の野球はすさまじい。

円城寺、あれがボールか、秋の空
1964年の日本シリーズは好成績だったスタンカだが1961年の日本シリーズでは不運に泣いた。巨人との日本シリーズ第4戦9回裏に救援したスタンカ。ツーアウトを取り最後のバッターもファーストフライ……と思いきや一塁手の寺田陽介がグラブに当てながら落球。これで2死一、二塁。続く長嶋茂雄に緩いゴロを打たせるも三塁手の小池兼司がさばききれず満塁。スタンカも踏ん張りツーストライクから渾身のフォークが決まった……と思いきや判定は「ボール」。球審の円城寺満が巨人ファンだったから。セ・リーグにはここまで急激に落ちるフォークを投げる人がおらず審判が見慣れていなかったから。ストライクだと思った野村克也が腰を浮かせるのが早かったから。さまざまな説があるがとにかく南海選手は激怒。今もストライク、ボールの判定にはリクエストの要求はできないが当然判定は覆らず。命拾いした巨人は打者・宮本敏雄(エンディ宮本)が逆転打を放ちサヨナラ勝ちした。この際スタンカはホームベース付近でバックアップすると見せかけて円城寺に体当たりしたという。今回のネタ元、近藤唯之「運命の一球」(新潮文庫)79ページには円城寺が倒れている写真が掲載されている。「円城寺 あれがボールか 秋の空」。オクラホマ州のスタンカ邸にはそんな色紙が飾られていた……そんなエピソードも残っている。
運命の一球 (新潮文庫)

運命の一球 (新潮文庫)



息子さんがガス漏れで亡くなる
スタンカは神戸に住んでいたが、当時中学生の息子、ジョーイ君が風呂のガス漏れで中毒死するといういたましい事故が起きてしまった。南海との契約が残っていたスタンカだが神戸で野球をする気になれず、大洋に移籍した。その際南海ナインはみんなでスタンカを見送りにきたという。南海選手たちの温かさ、スタンカの愛されキャラがうかがえるエピソードである(これもネタ元は「運命の一球」)。息子さんが亡くなる6日前には新監督になった蔭山和夫が急死。もともと蔭山は不眠症睡眠薬をのみ、ヘネシーを飲んだとされるがヘネシーはスタンカが蔭山への好意で送ったものだったという。この1965年はスタンカにはつらい1年であった。

鶴岡一人監督に「とにかく上から投げろ」と指導されて南海で才能を開花させたスタンカ(ネタ元は「豪腕列伝」スポーツグラフィック・ナンバー編、文春文庫)。長身を生かす投球スタイルは今で言えばサファテといったところか。サファテもまたホークスの歴史に名を残す選手である。栄光の歴史に名選手あり。ホークスファンには彼らの活躍を語り継いでいってほしい。そしてホークスにはスタンカの冥福を祈る意味でも2018年はぜひCSを勝ち上がり、スタンカも活躍した日本シリーズで日本一に輝いてもらいたい。