黒柴スポーツ新聞

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可能性を信じて重ねた素振り~高知商業・山中大河選手ついに打席へ

文句なく新聞1面級の素敵な話だと思う。高知商業の山中大河主将が最後の公式戦に出場した(ネタ元はデイリースポーツ記事)。これの何に話題性があるのか。

一つは山中選手の手に先天的な障害があること。右手の指が2本しかなく、投げる時は左手で。あのジム・アボットのように早業でグラブを脇に挟んで左手で送球するという。

奇跡の隻腕―ジム・アボット物語

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投げるにしても打つにしても、野球は手を使うから、このような手のコンディションでは厳しい。まず、その上で野球に取り組んでいることに心を動かされる。そして、恥ずかしくなる。年を重ねるごとに、できない言い訳が上達していることに。限界とは、意識の中にあるのだ。

限界を作らない生き方 2009年、46歳のシーズン (Brown’s Books)

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じゃあ、よくある「障害に負けず頑張りました」がこの記事のポイントかというと、少し違う気もする。ズバリ、試合に出られるか分からない状況で毎日素振りをした事実がすごくないか?


高知商業は甲子園で優勝したこともある学校。近年、高知の代表イコール明徳義塾的な雰囲気すらできてしまったが、いわゆる古豪であり、まずは高知商業でレギュラーをつかむまでに競争がある。残念ながら山中選手はこの夏、甲子園に仲間と出場はできたが、それはプレーヤーではなく三塁コーチとして、あるいはキャプテンとして、だった。

このキャプテン就任の背景には山中選手の人間性があるという。高校野球にはたまに、いる。試合には出ないキャプテンが。プレーで引っ張るキャプテンと、姿勢で引っ張るキャプテン。どちらも素晴らしいけれど、本人にしたら思っているに違いない。「一度は打席に、守備に、ついてみたいなあ」と。

恐らく、その思いしかなかったと思う。その一念でバットを振り続ける。何回振ったら打席に立てるという確約なし。まあ、打席に立てなかったとしても努力に無駄はないよ、なんて言い方は生易しい。打席に立てなかったら、究極、素振りをしなくても同じなのだ。勉強したり、デートしたりと高校生活をエンジョイする方法は野球以外にもある。

それでもバットを振り続けたということに価値を見る。アピールでもなく、ただただ、打席に立てる可能性を信じてバットを振る。素敵な話だと思う。


もちろん、監督さんだって何度も、試合に出してやりたいなと思ったことだろう。しかし目標は甲子園。そして、出たら勝利を目指さねばならない。高知商業はこの夏、打ちまくってベスト16入りしたが、いい試合をしたからこそ、山中選手を打席に立たせることができなかった。

もしかしたら、甲子園16強で山中選手の高校野球生活は終わっていた。ところが、高知商業は国体に選ばれた。それなりの成績を残さねば国体にも出られないのだろうが、勝ち方や、地域性も考慮されたのかもしれない。とにかく、山中選手にはまだ打席に立つ可能性が残された。

そして国体………デイリースポーツ記事によれば、代打で登場した山中選手には大歓声が起きたという。そりゃそうだろう。生で見てたら鳥肌が立ったに違いない。山中選手はフライを打ち上げてしまったが、世界一美しい左飛だと思う。


山中選手が教職を目指していることはすでに報じられているが、恐らく高知の高校野球ファンは待っている。 山中監督が伝統校・高知商業を率いて甲子園で戦う姿を。これが実現した時は確実に、新聞の1面を飾る。