黒柴スポーツ新聞

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輝けるかどうかは自分次第ということを証明した元ロッテ監督・山本功児氏

元ロッテ監督の山本功児氏(以下敬称略)が4月23日亡くなった。現役時代の活躍はリアルタイムで記憶にないがお手本となる一つの生き方に思えてならない。三田学園、法大から本田技研鈴鹿を経て巨人に入団。1975年のドラフト5位だった。同期に篠塚和典中畑清がいる。一塁手だったが当時は世界の王貞治がいた。山本は外野手もしながら試合に出た。社会人としても職場にエースがいた場合は実力でその座を奪うか、このようにしてチャンスを待たねばならない。山本は代打の切り札になったが巨人の第43代四番も務めている。その後ロッテにトレードされ1984年から1988年までプレーし、引退した。

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淡口憲治の回でも書いたが、思い入れのある場所で働くことは意義がある。一方でプロ野球選手は試合に出なければプレーができないことを考えると他球団に行くことも一つの選択肢だ。球団に大手だ中堅だという視点は持ち込みたくないが当時は巨人が絶対的な地位を保っており山本のロッテ行きも都落ち的なムードが少なからずあったことだろう。もちろん現在の明るく楽しいロッテのムードならばそんなこともなかっただろうが。ちなみに淡口も山本も同じ三田学園である。

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山本の訃報を聞き、淡口の回の参考図書である山際淳司著「ダグアウトの25人」を読み返した。山本も登場選手の一人で、山際はロッテのユニフォームに慣れたころの山本を取材していた。「確かに1ケタ違うね」。観客数についてのやりとりで山本はそう答えていた。当時の巨人とロッテの比較では1ケタでは済まなかったかもしれない。じゃあ、山本は腐ったのかと言えば逆だった。プロ入り9年目にして初の規定打席に到達し打率は3割1厘をマーク。この1984年と85年と続けてダイヤモンド(現在はゴールデン)グラブ賞に輝いた。これを見ればどこで働こうが輝けるかどうかはその人次第ということを再認識させられる。

ダグアウトの25人

ダグアウトの25人

 

 

山本はセとパの投手の違いについても述べており、興味深く読んだ。ざっくり言えばセは打者の弱点を元に配球を組み立てるが、パの投手はそこをのんだ上で自分のスタイルを貫いて勝負を挑んでくるとのこと。例に上がっていたのが山田久志鈴木啓示。年々スマートになっていくパリーグだがこれぞプロという愚直なプライドまでは消えないでほしい。 

 

今はましになっただろうが、トレードという言葉にはまだまだ悲哀が感じられる。戦力を補強し合い、かつ当該選手も輝けるのが最も良いトレードなのだが、実質再就職的意味合いの方が強く見えてしまう。しかしのちのちコーチなどで球界にとどまることを希望するならばさまざまな球団に在籍することで経験や実績、人脈を築けるわけだから悪いことではないと思う。実際、新監督就任の際はどういうコーチを配置するか人脈で見てみると面白い。例えば中日には佐伯貴弘がコーチで入っているがあれは横浜時代に谷繁元信と一緒にやっているからかな?などと見ることもできるのだ。ちなみにDeNA坪井智哉が入っているがあれはどのような縁なのだろうか?

 

 

山本の場合はロッテの監督になった。しかも5年という長期政権だった。Bクラスと力が発揮できたとは言い難いが数々の選手を育てている。小林雅英は「今があるのは山本さんのおかげ」と言っていた。福浦和也に関しては投手から打者への転向を促した記事があった。福浦が投手だったことを初めて知ったが2015年までで1912本ヒットを打った本人も偉いが素質を見抜いた山本も素晴らしい。すべてはあのトレードが出発点であったことを考えると、トレードはただ当該選手の人生を変えるだけではないことが良く分かる。

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熱血指導者だった山本だが息子の武白志(むさし)選手の成長を見届けられなかったことは無念だろう。現在DeNA育成選手九州国際大学付属時代は甲子園でホームランも打っている。どうにか1軍にはい上がってお父さんのように輝いてほしい。DeNAGM高田繁というのも縁を感じる。成長してトレードで巨人に来て父親と同じく44番のユニフォームを着るというストーリーが実現したらできすぎだろうか。

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きょうの1枚は山本氏のご冥福を祈りつつセレクト。ちょうど現役時代と監督時代の写真が合わさった1枚だ。熱血野球人の「DeNA」を持つ武白志選手が横浜スタジアムでスターになる日を楽しみに待ちたい。そして危うく書きそびれるところだった。伝説の宇野ヘディング事件を生んだのは山本のショートフライだった。山本は珍プレー好プレーの生みの親でもあったのだ。プロ野球を楽しく見る人が増えたきっかけを作ってくれたことにも感謝したい。

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