黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

いつか神宮球場を思い出してきっと泣いてしまう【1】ペプシマン裏話

 

連続出場をキープするために

今回から約1週間はある事情により、書きためた内容をお届けします。記事は1日1本、なるべく書いて即更新を心がけてきましたが難しい状況です。ある意味連続フルイニング出場は途切れますが、連続試合出場はキープする。そのための工夫です。鉄人・衣笠祥雄死球で連続試合出場が途切れるピンチの時、ただ打席に立つのでは意味がないとフルスイングしたのは有名な話。本紙もその精神で連載1回1回をフルスイングする意気込みで執筆します。楽しんでいただければ幸いです。巨人ファンにしか分からないと思いますがローテーションの谷間のミヤちゃんこと宮本和知を連投させるような心境です。

 

野球を肌で感じたい

じゃあ何を書くかと言えば、学生時代に神宮球場で売り子のアルバイトした1996年シーズンのことです。せっかくなのでこういう時にしか書けない話題にしました。さて、本紙編集局長がなぜ神宮で働きたかったのか。ずばり野球が好きだから。自由になるお金も欲しい。しかも野球を肌で感じながら。すべてを満たすのが「神宮」なのでした。

 

基本給は1500円

あくまでも1996年当時の情報ですが、売り子の報酬について解説します。本紙編集局長は「ペプシコーラ球団」に所属していました。ほかにもキリンビール球団やホットコーヒー球団もありました。ペプシではいわゆるシフト制ではなく、ペナントレースの神宮開催日程に合わせ好きな日に出場できました。出場手当の基本給1500円はその日1杯のコーラ(もしくはウーロン茶、メロンジュース)を売った時点で確定。あとは1杯売るごとに20円ずつがわれわれ売り子・ペプシマンのポケットに入る仕組みでした。

 

 

 

100杯売れたら上等

肌感覚ですが1試合で100杯売れれば上等でした。この出来高払い100×20円=2000円に基本給1500円を足して3500円。試合時間は約3時間ですので1200円足らず。当時の学生の時給としては大満足です。何ならただで野球を見られることを考えればお金がなくてもという有様でしたから、本当にいい条件でした。

 

頑張らないと無理

しかし世の中そうそううまくも行きません。100杯売るためにはかなり頑張って売り歩かねばなりません。当然常にお客さんと向き合うためグラウンドを見つめられる訳もなく、歓声が上がるかその直前に「チラ見」する程度でした。結果的に1シーズンで100杯行ったのは1回だけでした。お客さんが多い巨人戦か阪神戦だったと記憶しています。横浜戦はお客さんが少ないので最初から行きません。天候が雨だと大苦戦でした。

 

次回は販売経験がある方はきっとうなずく(?)売り子のテクニックをご紹介します。