黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

2000年突如オリックスに現れたえびす様・戎信行

 ワンチャンスをものにする。それもプロ野球選手にとって大事なことだ。それが新人の年とは限らない。下積みがあったからこそ開花するものもある。2000年のオリックス・戎信行はまさにワンチャンスをものにした。

f:id:tf-zan96baian-m-stones14:20160215225958j:plain

 

10年目で初勝利

育英高校からドラフト2位でオリックスに入るも、1991年から3年間は1軍登板なし。戎信行の野球カードの裏にある通算成績が始まるのは1994年度からだ。しかし1999年まで勝ちも負けもゼロだった。初勝利を挙げたのが2000年だった。プロ入り10年目のことだ。育英時代の投球がYoutubeにアップされているがなかなか重そうなボールだ。

 

オールスターにも出た

何があったのか。ベースボールマガジンの野球カードには「99年、同僚のイチローマリナーズのキャンプに参加したのが刺激になって」とある。ウィキペディアには2000年春のキャンプで河村英文コーチに「おれについてきたらタイトルをとらせてやる」と言われた(出典は 【球界今昔物語】2000年パ・最優秀防御率投手 オリックス・戎信行 2009年3月5日、産経新聞)とある。どちらかなのか両方だったのかは分からないが2000年は8勝も挙げた。オールスターにも出られた。

 

最優秀防御率までとった

さらに最優秀防御率のタイトルまでとってしまった。本紙が注目したいのがこの防御率3.27。過去にない高さである。それでタイトルをとるのだから勝負強すぎる。あの史上初の完全試合達成者、藤本英雄は生涯通算で1.90。きっと腰を抜かしてしまうだろう。だいたい2点台前半で上等だし、タイトル争いにも絡める数字だ。しかしタイトルをとれるかどうかはそのシーズン全員が必死になってやった結果。イチローだって1995年、80打点でタイトルをとっている。それがシーズンで一番だっただけなのだ。むしろこう思いたい。タイトルは10年くさらず愚直にプレーし続けた男への野球の神様からのプレゼントだったのだと。

f:id:tf-zan96baian-m-stones14:20160215230045j:plain

ラウンドワンで働いているそうです

戎信行はヤクルト、近鉄に移籍し選手生活を終えた。インターネットの情報によると、アミューズメントのラウンドワンで仕事をされているという。ホームページでも紹介されていた(下の添付参照)。現役時代は豪速球投手ではなかったが、ボウリングで言えばここぞというときにきっちりスペアを取ってワンチャンスをものにした野球人生に思える。オリックスも戎を見切らなかったからこそ突如えびす様が来てくれた。あなたの職場にいる未完の大器もいつか大爆発するかもしれない。もしまだあなたが殻を破れていないとしたら、次の戎信行はあなた、かもしれない。

 

www.round1.co.jp

 

併せて読みたい、防御率にまつわる記事はこちら。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

 

 


福岡ソフトバンクホークスランキング