黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

交通事故で失明しかかった翌年胴上げ投手になった金城基泰

ダイナミックなフォーム

1975年、広島初優勝の胴上げ投手は金城基泰だった。アンダースローで、右腕をいったん高々と上げるダイナミックな投球フォームが印象的。さらに心に残るのは前年秋の交通事故から奇跡の復活を遂げたことだった。この事実を知って金城のカードを見ると勇気が沸いてくる。

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木庭教が発掘

金城を見出したのは広島の黄金時代を支えた名スカウト・木庭教(きにわ・さとし)だ。本紙編集局長が大好きなノンフィクション作家・後藤正治さんの名著「スカウト」は有名。この第四章「二人だけのパレード」を読めば金城のプロ入りまでや事故からの復活がよく分かる。

 

 

スカウト (講談社文庫)

スカウト (講談社文庫)

 

 

車が正面衝突

金城は大阪の此花商高の投手だった。知人の紹介で見た金城に木庭はビビビと感じるものがあった。法政大への進学を希望していたが木庭の腕で金城は広島に入団した。1年目から3勝、10勝、20勝と順調にステップアップ。しかしその1974年のオフに骨休めにと球団に送り出された別府で金城は交通事故に遭ってしまう。助手席に座っていたが車同士が正面衝突。金城の顔面はフロントガラスを突き破り、両目が傷ついてしまった。一つの眼球を摘出しなければいけないかもしれなかった。スポーツ選手でなくとも目は大切だ。日常生活に支障が出ることも考えられた。

 

うれしかった復帰後の1勝

手術を経て1975年4月に退院。球場で古葉竹識監督にあいさつすると、投手陣が苦しいのでできるならばだが調整してみてくれと言われた。やる気満々の金城。6月に復帰し8月には勝ち星が付いた。この1勝は特にうれしかったという。「スカウト」には金城が事故について語る言葉がある。味わい深い一言はぜひ読んでいただきたい。

 

金山次郎の名解説

 優勝を決めた試合は外木場義郎が登板した。金城はリリーフで登板し、9回表には自らヒットを打ってチャンスメイク。大下剛史も意表を突くバントで続き、ホプキンスが3ランを放って試合を決めた。あとは金城が締めるだけ。Youtubeにはこの場面のRCC実況がアップされているので聴いたが金山次郎が解説でこう言っている。

【金山】金城がマウンド上にいるとこれもまたジーンときますね。もう再起不能じゃないかと言われたピッチャーがね。

【アナ】本当ですね。

【金山】ここっちゅうときにね、非常にいいリリーフをしてますからね。

【アナ】マウンド上が奇跡のカムバックを果たした金城基泰。広島の方も奇跡につながるミラクルカープですからね。

 

金山氏の解説はカープファンの心をがっちりつかんだという。いつかこの優勝決定戦の全文テープ起こしに挑戦してみたい。今は映像主流の時代だがカーラジオで聴くプロ野球もおつなもの。いまのプレーはこんな感じかと想像をめぐらせる。それを活字で楽しむのもありだと思っている。(物好きな編集者の方がもしこれを読んでくださっていたらぜひご一報ください。喜んで作品化を考えます)

 

マウンドで喜び爆発

午後5時18分、最後のバッター柴田勲をレフトフライに仕留めた金城はマウンド上で跳びはね喜びが爆発。水沼四郎捕手と抱き合い、駆け寄ってきたナインにもみくちゃにされた。1年前、ガラスの破片が突き刺さり目の前が流血で真っ赤になったが、この日目の前にあったのは仲間たちがかぶっていた赤い帽子だった。

 

 

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スカウトを読んでいてよかった

金城は南海に移籍し、1979年、1980年と2年連続で最優秀救援投手に輝いた。1986、1987年は韓国球界でプレーし通算16勝を記録した。本紙編集局長が知っていたのは日本球界ラストイヤーの1985年、巨人でプレーしていた(この年0勝)姿のみだった。後藤正治さんの「スカウト」を読んで本当によかった。努力すれば報われると簡単に言うつもりはない。しかしいつも「もしかしたら」とは思っていたい。自分自身が勇気づけられた小話をこれからも野球カードと共に紹介できたらと考えている。応援よろしくお願い致します。