黒柴スポーツ新聞

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幻の史上最速投手・森安敏明の人生は幸せだったのか~後藤正治「不屈者」を読んで

先月、この黒柴スポーツ新聞がご縁となり、2冊の本が売れた。澤宮優さんの「あぶさん」になった男 酒豪の強打者・永渕洋三伝 (角川書店単行本)と、沢木耕太郎ノンフィクションI 激しく倒れよ(文藝春秋)。いずれも黒柴スポーツ新聞で取り上げさせていただいた作品だ。筆者が素晴らしいから、作品が面白そうだから、今は家で過ごすことが推奨されているから……などなど、本が売れる要素はあるが、よい作品がどなたかと共有、共感できたことがとてもうれしい。今回取り上げる、後藤正治さんの「不屈者」もぜひ面白さを分かち合いたいと思う。

不屈者

不屈者

  • 作者:後藤 正治
  • 発売日: 2005/12/15
  • メディア: 単行本
 

 

「不屈者」は5人の人物のストーリーが一章ずつ並んでいる。最初に出てくる「幻の史上最速投手」の主人公は森安敏明。東映にいたピッチャーである。岡山の関西高校時代から有名で、平松政次(岡山東商高出身、大洋)、松岡弘(倉敷商高出身、ヤクルト)と共に岡山三羽ガラスと言われた。高3の夏は平松と甲子園をかけて東中国地区の決勝で投げ合った(結果は2-1で岡山東商高がサヨナラ勝ち)。だが、平松が200勝を達成したり、松岡がヤクルト時代日本一になるなどの栄光に輝いたのと対象的に、森安はあの事件に巻き込まれたことでダークな印象になってしまっている。いわゆる黒い霧事件のことだ。

 

ざっくり言えば、森安は八百長行為を行った西鉄ライオンズの投手、永易将之から、翌日登板予定のピッチャーに50万円渡してくれと札束をポケットにねじ込まれた。返そうと思っているうちに永易の八百長疑惑が発覚し、森安は返せない金を使ってしまったという。八百長に関しては否定している。
[裁定主文/森安敏明投手に対し、全国プロフェッショナル野球機構のあらゆる職務につく資格を永久に否認する]
「幻の史上最速投手」には1970年7月30日付の裁決文が紹介されている。森安は黒い霧事件最後の追放者であり、永久追放された選手の中には西鉄ライオンズ池永正明もいる(池永は35年を経て2005年に処分解除)。

 

後藤正治さんが森安に関して書いたのは、著作「スカウト」の主人公、木庭教(きにわ・さとし)や「牙」の主人公、江夏豊が口をそろえて、速球投手の名前に森安敏明を挙げたからだった。そしてずばりそうとは書いていないが、いつまでも黒い霧事件の当事者(本人が敗退行為を否定しているにもかかわらず、だ)としてしか語られない森安の本当の姿を書きたかったのだと思う。

スカウト

スカウト

 

 

仲のよかった江夏を筆頭に、高校時代のライバル平松政次、対戦相手の土井正博、恩師、同級生、永久追放後に出会ったスナック経営者、そして森安の奥さん。後藤さんという人はどのくらい時間をかけ、どのくらい丁寧に話を聞いて作品を仕上げているのか。毎回作品を読むたび感心してしまうのだが、「幻の史上最速投手」を読むと読者も一緒に、森安敏明をめぐる旅をしている感覚になる。その中でも、特に印象に残ったのが大村三郎のくだり。元ロッテのサブローだ。サブローは何と小学生時代に2年間、森安から野球の手ほどきを受けていた。
「個人練習が終わると、森安の家に立ち寄る。大村少年はジュースを飲み、男は酒を呑む。ころっと顔つきも変わって、『優しいオジサン』になった」
このくだり最高。森安の指導はシャドーピッチング1時間やら腹筋500回やら、なかなか厳しかったらしいが、サブロー少年には純粋に野球を愛する姿勢が印象に残った。サブローのくだりだけでも、森安が潔白であると確信できる。

「幻の史上最速投手」の中で後藤さんは、ただ単純に、黒い霧事件に巻き込まれた森安をかわいそうな人物としては描かない。森安とゆかりのある人の語りから、少々脇の甘さはあったかもしれないがひたむきに野球に向き合った一人の人物像を浮き上がらせている。後藤さんが森安の生涯をどう結論付けたのか。私は物語の締めくくりを読んでとても救われる思いがしたのだが、ぜひ「幻の史上最速投手」を読んで皆さんにも考えていただければと思う。

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