黒柴スポーツ新聞

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人にはそれぞれ役割がある~1979年近鉄初優勝、山口哲治プレーオフ魂の3連投

近鉄初優勝時(1979年プレーオフ第3戦)の胴上げ投手をすぐ思い出せるだろうか。山口哲治。通算16勝12セーブの男が近鉄球団創設30年目、悲願の初優勝のマウンドにいたのはまさに奇跡と呼ぶにふさわしい。山口の活躍を見ると、人にはそれぞれ役割があるのだと再認識させられる。

山口哲治智弁学園の出身。Wikipediaによると甲子園には1977年春、夏と出場している。その年のドラフト2位で近鉄に指名された。1年目の1978年は出場しなかったが、2年目の1979年は36登板して7勝4セーブ。何より148.1イニングを投げて防御率は2.49。最優秀防御率のタイトルに輝いた。79年前期優勝の近鉄西本幸雄監督は山口哲治を阪急(後期優勝)との大事な大事なプレーオフに3連投させた。これがすごい。最優秀防御率という数字による裏付けはあるが、山口はまだ2年目。ようやく20歳の若者に球団創設30年分の悲願を託したのである。

ベースボールマガジン社 発掘!「プロ野球 名勝負」激闘編に、激闘!プレーオフ~1973-1982パ・リーグという章があり、山口哲治はプレーバック「太平洋シリーズ」の熱き記憶(文・岡江昇三郎)に出てくる。それによると山口は3試合とも満塁でリリーフしている。第1戦は8回一死満塁、第2戦は8回一死満塁、第3戦は7回二死満塁。ここまで来ると西本監督の山口への信頼が揺るぎないというか、もうここまで来たら山口哲治しかいないんだという信念に思えてくる。そして山口はそれに全力で応え、結局計6回3分の1を被安打1の無失点という完璧なリリーフ。1勝2セーブでプレーオフMVPに輝いた。

冒頭に山口哲治の通算16勝12セーブを紹介したが、プレーオフはレギュラーシーズンではないから通算成績に入らない。まさに山口の魂の3連投は記録ではなく記憶に残る快投。最後のバッター蓑田を三振にとり万歳して喜びを爆発させた。その瞬間は野球カードにもなっている。優勝後のインタビュー「(ファンレターに)返事は書けないのでグラウンドで返す」は秀逸だった。

山口哲治はその後けがもあり満足な現役生活だったとは言い難い、かもしれない。移籍先の南海で引退した。29歳だった。Wikipediaによれば阪神近鉄で打撃投手を務めた。胴上げ投手が裏方の打撃投手になるのは極めて珍しいのではなかろうか。近鉄でコーチを務めた後、楽天でスカウトに。2017年1月27日のfull-count記事によると、楽天のピッチングコーディネーター兼プロスカウトという肩書きになることが報じられた。現役の栄光は閃光と言ってもよいほど短かったかもしれないが、山口の熱投は確かに近鉄球団史に刻まれた。ファンレターをグラウンドで返した山口は、長きにわたりプロ野球の発展に貢献することで、亡き西本監督に恩返しできたのではなかろうか。人間、いつ大ブレイクするか分からないし、その期間の長短も人それぞれ。山口の熱投を見るたびに思う。人にはそれぞれ役割があるのだ、と。まずは目の前のことに全力で取り組む。満塁のピンチを3連続で乗りきった山口の姿は、その大切さを教えてくれている。


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