黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

東京パラリンピックでメダル、もいいけれど~障害者スポーツ振興は何のため?

障害者雇用の水増し、聞いてあきれる。意図的なものではないと言うが結局「何のために」が理解されていない。障害者の雇用、もっと言えば働く権利を守ろうという趣旨ではないのか。さらに言えば、一人一人が能力を生かして働ける社会をつくるための施策ではなかったのか?

しかも省や県など旗振り役である行政が水増し(結果的にというケースも含めて)している。結局、数合わせでしかないんじゃないの?と言いたくもなる。

もちろん、障害がある人に何でもおまかせできない面はある。車いすに座りながら高い棚の物を取るのは無理だし、毎日必ずやらねばならない作業のチームだと、不規則にしんどくなる障害の人の欠勤は吸収しづらい。その人が戦力なんだから当たり前だ。

だから、その人のできる範囲で、が大前提。その上で各事業所に一人の戦力として雇用されるのが理想だ。現実を分かってないねと言われるかもしれないが、理想は追っていかないと。

筆者は記者時代から車いすバスケットボールウィルチェアーラグビーの選手と親交があるが、正直なところ、最初は遠慮があった。例えばより重度の障害の人たちがやるツインバスケットボールの取材では、体験してみなよと言われて車いすからゴールを狙った時、わざと入らないように加減した。本当に失礼な話なのだが、その時、相当の遠慮があったのは確かだ。もっとも、学生時代からバスケは苦手だから手加減の必要もなかったのだが。

パラリンピックの楽しみ方: ルールから知られざる歴史まで

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じゃあ今はどうなのかと言うと、長くお付き合いできている選手とは人間対人間という関係が出来上がっている。だからこちらの愚痴を聞いてもらったり、相談に乗ってもらうこともある。彼らの態度や振る舞いが障害を感じさせないのかもしれないが、こちらは障害を感じていない。

きっかけがあったのかと言うと、取り立ててあるわけじゃない。ありきたりだが一緒に過ごす機会を重ねたり、お互いをさらけ出したりしただけだ。自然体でやってきたからこそ、何か今回の障害者雇用に関する問題は頭に来る。数合わせしてりゃいいのかよ、と(珍しく乱暴な言葉遣いをしてしまいますが)。

2020年に東京でオリンピックがあり、パラリンピックもある。それに向けてパラスポーツへの助成があって、世に出る選手がいる。いい流れだし、邪魔する意図はないのだが、パラでメダルを取る(取れるようサポートする)だけで終わってほしくない。それって、今回の障害者の雇用水増しみたいに帳尻合わせにならないかと危惧している。メダルを取るのが目的じゃない。メダルは素晴らしい成果なのだがその先にある、一人一人が輝ける社会を作るプロセスの一つがパラスポーツ選手の活躍だと思っている。筆者が彼らを応援する理由はその辺りのことと、選手のキャラクターが好きなことの両方である。
壁を越える:車いすのラガーマン パラリンピックへの挑戦

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先日NHKで、1964年の東京パラリンピック開催に尽力した中村裕氏を描いたドラマ「太陽を愛したひと」がやっていた。「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」。中村裕氏がイギリスで出合った、後の指針となる言葉だ。
太陽の仲間たちよ (KCデラックス 週刊少年マガジン)

太陽の仲間たちよ (KCデラックス 週刊少年マガジン)

「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」。これって、みんなに当てはまる言葉だよなとつくづく思う。さまざまな理由で不遇の時代を生きる人にも当てはまる。単純に年齢を重ねて、若い頃のようにはいかないなと実感中の人にも。若い頃のようにはいかなくとも知識や経験や人脈はあるわけで。あとはそれをどう生かすかで差がついていく。

「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」

あらためて、胸に響く。皆さんも、やれることをやれるだけ、やってみませんか?


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