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黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るワンシーンやプレーヤーについて綴ります。

私ホームランを打てないんじゃなくて、打たないんですと言ったかどうだか八重樫幸雄苦節20年の100号

不注意で毎日更新がストップしながらもほぼ毎日ペースと開き直ってブログ生活も4カ月目。表示上はブログ日数が100と相成りました。ちなみに元日スタートなので元日から数えればきょうが106日目です。

 

複数回投稿したこともあるので記事の本数で言えば107本。なので100号でも何でもないのだがまさか最速100号を記録したのはあの男か?と期待して調べてみたがあっさり裏切られた。ブライアント(246試合目)だった。その副産物として見つけたが石井琢朗は21年もかかって100号に到達したと知った。ちなみに黒柴スポーツ新聞が大好きな(いったい好きな選手が何人いるのか?)八重樫幸雄は20年で到達していた。

www.sponichi.co.jp

 

 

 一口に20年というがプロ野球の世界で20年戦力で居続けるのは尋常ではない。成績を残すことも大事だが体も丈夫でなければ無理だ。けがもある職場なのだから。選手生命に直結することもある。けがは収入がなくなることにもつながりかねない。そんな中、八重樫はキャッチャーという過酷なポジションで現役を続けた。通算23年。八重樫の野球カードあるあるだが、年数が多すぎて裏面のひとことメモがない(爆笑)。

 

なのでひとことメモをここで書きたい。もしも本紙編集局長と同年代の読者なら一度はやったに違いない八重樫幸雄の打撃フォームのまね。これぞオープンスタンスと言わんばかりに脚をぐいっと開き、腰をくいっくいっとひねる。バットは高々と構えながら…。このフォームは中西太コーチと作り上げたものらしい。

 

調べ物をしたらいくらでも書けるのだろうが面白い記事を見つけてしまった。

www.sponichi.co.jp

 

スポーツ新聞を名乗っていながら言うのも何だがやはりスポーツ新聞の底力はすごい。駅売りならば缶コーヒーが最大のライバルなのだろうが130円ほどで知識が得られる。そう考えればスポーツ新聞はまだまだ生き残れると思うのだが古いだろうか。

 

八重樫は入団15年目でシーズン100試合以上に出場し、規定打席に到達。入団16年目で初の3割をマーク、ベストナインにも輝いた。こつこつやっていればいいことあるなあと思わされる。大卒22歳で社会人になった場合なら22+16=38歳。アラフォーの星である。

 

最初のころは大矢明彦がいた。そして晩年には秦真司がいて、古田敦也もいた。それでも八重樫は生き残っていた。控えとして、正捕手として、代打の切り札として。

 

 

 

23年で積み重ねたヒットは773本。古田は最初の7年で838本を打った。どっちがいいという話でもない。八重樫には八重樫の味があり、古田には古田の実績が残った。ついでに言えば通算2432本のヒットを放った石井琢朗は24年で102号、八重樫は23年で103号。どっちがいいという話ではない。石井と古田と、それから八重樫。みんなちがって、みんないい。

 

きょうの1枚「きょう1」はご本人に登場願おう。初年度の1971年から1993年まで23年プレー。ウィキペディアによれば引退後はすぐ94~2008年までコーチ。ヤクルト一筋38年(その後もスカウトなのでさらに続く)という点でもサラリーマンの星である。

 

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 最後になりましたが熊本を中心に被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。雨が予想されますので引き続き安全確保には十分ご注意ください。