黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

23年経っても色あせない名勝負と松坂大輔のカリスマ性〜1998夏、横浜対明徳義塾

23年も経つのに鳥肌が立つ。そんな試合だった。8月9日、NHKがあの試合をもう一度 スポーツ名場面で、横浜・松坂9回に登場 1998夏「横浜」対「明徳義塾」を放送したのを見た。鳥肌が立ったのは横浜がサヨナラした瞬間ではなく、松坂大輔が9回に救援登板したシーンだった。

Amazon 

語り継がれるPL学園との死闘は前日。延長17回、250球も投げた松坂はさすがに投げられない。準決勝の明徳戦はチームメイトが先発、中継ぎした。試合は序盤から明徳ペース。それでも松坂は5回から投球練習を開始した。だが横浜は得点できない。それどころか中押しダメ押しに近い6点目が入った。さすがの横浜もじわじわ土俵際に追い詰められつつあった8回、打線が明徳のエース寺本四郎をとらえ出した。4点を返して試合は一気に分からなくなった。

Amazon 

試合はまだ負けているというのに、松坂がマウンドに向かうと歓声が上がった。何という松坂のカリスマ性。元々ずば抜けた力を見せてきたが、PL戦での力投でますます松坂への声援は増すばかりであった。投球練習の最中、スタンドからは「まっつざか、まっつざか!」の大歓声。まだ明徳が2点リードしているのに、確実に風向きは変わりつつあった。そして松坂は明徳を三者凡退とし、味方の反撃ムードをきっちりつくった。

Amazon 

9回裏の横浜の攻撃はさすがというしかなかった。まず先頭の9番バッターが右打ちで出塁。次が絶妙のセーフティバントで一塁も生き無死一、二塁。さらに送りバントがキャッチャー前に転がり三塁封殺かと思われたがわずかにそれて無死満塁のビッグチャンスになった。もう押せ押せで、後に西武入りする後藤武敏がセンター前への2点タイムリーを放ち一気に同点。まさに一気呵成だ。明徳義塾は完全に受け身になっていた。ここでうなったのは4番松坂が送りバントを決めたこと。4番が一発で試合を決めるのではなく、1点を奪うのに最善を尽くす。やはり常勝軍団はそつがない。

対する明徳は惜しいプレー、厳しい言い方をすればミスがいくつも重なった。ショートゴロがあと少しで取れなかった。送りバントの処理ができなかった。暴投もあった。やはり勝ちに不思議の勝ちなし、負けに不思議の負けなし(野村克也)である。先制、中押し、ダメ押しと横浜を追い詰めた。試合の流れはこれ以上ない展開だった。松坂相手ではなかったが、打線は好調。ちなみに逆転負けの印象が強くてかすんでしまっているがこの試合で明徳の藤本敏也が史上4人目のサイクル安打を記録していた。恥ずかしながら初めて知った。

明徳は最後の最後にエース寺本四郎を再びマウンドに戻した。押せ押せムードを押し込めるには力しかない。だから寺本の再登板は選択ミスではなかった。横浜のサヨナラヒットは寺本の球威に押されてどん詰まり。セカンドが飛びついて取れるか取れないかくらいの所に飛び、わずかに及ばなかった。それ以上でもそれ以下でもない。寺本は泣き崩れ、しばらく立ち上がることはできなかった。他の明徳ナインもそうだった。PLも横浜を追い詰めたが、明徳も横浜をあと少しの所まで追い詰めた。取れる時に得点し、やりたくない点は絶対にやらない。そんな明徳野球を形成してきたのはこうした悔しさだろう。そういう意味ではこの23年前の敗戦は明徳義塾にとって財産になっている。

Amazon 

NHKがなぜ今このタイミングでこの試合を流したのかは知らないが、松坂が引退するシーズンでもあり、やはり松坂は別格の存在だったなとあらためて感じた。松井秀喜5敬遠、松坂世代で壮絶な逆転負けと、明徳は何かと引き立て役になってしまいがちだが、過去には全国制覇した輝かしい成果もある。甲子園に出場するからにはまた何十年も先に再放送されるような名勝負を繰り広げてもらいたい。


福岡ソフトバンクホークスランキング