黒柴スポーツ新聞

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甲子園切符を手にする人々〜届かなかった高知・森木と大阪・興国高校

「甲子園が全てではない」。明徳義塾との決勝に敗れた高知・森木大智はそう言った。それはこの秋のドラフト指名が見込まれるからこそ言えるセリフのようにも聞こえた。森木とて簡単に割り切ったつもりはあるまい。ゲームセットの瞬間、森木はグラウンドに突っ伏したという。もちろん仲間と甲子園に行きたかったに決まっている。今頃森木のセリフを思い出したのは別の試合のサイド記事を読んだから。大阪府大会の決勝、大阪桐蔭ー興国戦だ。

おさらいしておくと、試合は大阪桐蔭が4ー3でサヨナラ勝ちした。興国としては申告敬遠する手もあったという。しかしやらなかった。元ロッテの喜多監督いわく「引くということはこのチームはやめようと言っていた。攻めていこうという話をしていた。もちろん勝負事を考えれば申告敬遠を2つしてとか、いろんな考えがあったが、最後はこのチームの野球を貫こうと思って勝負するぞという指示を出した」(日刊スポーツ記事、興国・喜多監督「このチームの野球貫こうと」大阪桐蔭に申告敬遠せず/大阪 より)。そう、勝負=甲子園よりもチームカラーを優先させた。バッテリーも同じ気持ちだったから、当事者が納得していたらいいんじゃない?と思う。一方でこうも思うのだ。何が何でも、と思わなければ甲子園には行けないんじゃないか、と。

話は再び高知大会に戻るのだが、なぜ明徳義塾は勝負強いのかという疑問に対し、その答えは甲子園に対する執念だという確信が年々高まっている。高知大会決勝で勝った明徳のエース代木が「高知の山奥まで来た」発言をした。それは別に明徳の野球道場をディスった訳ではなく、自分たちの覚悟を言いたかったのだろう。何かを得たかったら相応の何かを犠牲にしなければならない。それは得たい果実がおいしければおいしいほど、すさまじい犠牲なのだろう。地元親元での生活はできず、ひょっとしたら甘酸っぱい恋愛も? 高校生の特権のアオハルはなかったかもしれないが、代木たちは甲子園行きという願いを叶えた。

そしてこうも思うのだ。在学中に甲子園に行った経験があった代木たちの方が、甲子園未経験の森木よりも甲子園へのこだわり、執念があったんじゃないか、と。もう一度みんなで聖地に行くんだ、と。もしも一度でも森木が甲子園に行っていたら、高知大会決勝はさらに血みどろの激戦になっていたに違いない。「球数を投げさせろ」。馬淵監督は森木攻略へそう指示したという。高校野球が真に爽やかなものであればそんな指示はない。類いまれな才能をいかに潰すか。潰さないで行けるほど甲子園は甘くない…。今年の夏も全国で甲子園行きの切符を手にした学校がある。そこは確実に、その地区で最も甲子園に出場する執念が勝った学校なのだ。


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