有森裕子が求めた走る意味、生きる根拠~後藤正治「ロード」を読んで
昨日、沢木耕太郎の「儀式」を取り上げた。儀式の中では次のくだりが心に残った。
栄光を手にすることは非常に難しい。しかし、失った栄光を忘れ去ることはもっと難しいものなのだ。そして、さらにいえば、失った栄光を再び手にすることの難しさは、それらの比ではない。
表彰、評価の類いから縁遠い黒柴スポーツ新聞編集局長にしてみれば、そんな苦しみは別次元のものに思える。だが、栄光をつかんだ人にしか分からない苦しみはあるんだな、と別の作品を読んで学ぶことができた。昨日も紹介したNumber15周年特別編集 20代のテクスト「スポーツを読む」。に収録されている、後藤正治「有森裕子 『ロード』。」だ。
有森裕子は1992年バルセロナ五輪でマラソン銀メダル、1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した。この「ロード」が収められているNumberは1995年発行。有森裕子はバルセロナで結果を出した後、苦しんでいた。故障もあったが何より、どう生きるかという問いに対して、だった。
それって、ぜいたくな悩みだなと思う人がいるかもしれない。編集局長も同感だ。銀メダル取ったんだから上等じゃない、何を悩むことがあるんですか?と。しかし有森裕子の悩みはもっと深いものだった。「ロード」の中ではこう書かれている。
自分の求めているのは“走る根拠”だった。もっといえば、“生きる根拠”だった。
後藤作品のオーソドックスな手法なのだが、後藤正治さんは関係者を丁寧に描くことで、主人公の輪郭を際立たせる。「ロード」では指導者として金哲彦、小出義雄が出てくる。そして、同時代に活躍したランナーの山下佐知子、森下広一も取り上げている。有森はバルセロナ後、レースから遠ざかる時期があったが、山下も森下も不完全燃焼の時期があったそうだ。二人に迫ることで、後藤さんは有森裕子が向き合った悩みの普遍性にたどり着いた。有森裕子にとって、苦しいことを頑張るのは辛くなかった。辛かったのは頑張れる対象がないことだった。マラソンは走る根拠を問わずにはおれない競技でもあったのだ、と後藤さんは書いている。
「結局、どう生きるかということなんですね」
取材に対して山下佐知子がそう話した。
後藤正治さんはこう解釈した。
「私は、マラソンランナーたちと出会って、彼らがマラソンランナーという存在故に、この問いを放射しつづけていることを感じた。とりわけ有森裕子には濃厚だった。だから彼女に引きつけられたのだと思う。それはマラソンランナーたちだけではなく、私たちの、私自身の、いま現在の問題でもあったからである」
いかがだろう。アスリートに限らず、いかに生きるかは重要だ。迷惑さえ掛けなければ、みんなが生きたいように生きられる社会であってほしいと思う。どの人生だって、主人公は自分自身なのだから。復活のレースで勝った有森裕子はアトランタ五輪で銅メダルに輝く。この復活劇をかみしめると、何だか自分自身も救われる気がする。いつか自分も報われる日がくるんじゃないか、と。