黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

最年少2000安打の榎本喜八は引退後なぜ走り続けたのか~沢木耕太郎「さらば 宝石」を読んで

昨日、西本幸雄元監督生誕100年を勝手にお祝いしてブログを書いた。1960年に大毎オリオンズを率いて出た日本シリーズスクイズを失敗。それがオーナーとの決別につながったことなどを書いた。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

このエピソードが出てくる作品がもう一つある。沢木耕太郎の「さらば宝石」。沢木耕太郎ノンフィクションⅠ(いち)激しく倒れよ(文藝春秋)に収録されている。今回はこれを取り上げる。

沢木耕太郎ノンフィクションI 激しく倒れよ

沢木耕太郎ノンフィクションI 激しく倒れよ

 

 

「さらば 宝石」の主人公はE。屈指の好打者だった。スポーツに強い黒柴スポーツ新聞の読者ならお分かりだと思うので書いてしまうが、Eとは榎本喜八である。2314安打を放ち、かつ、史上最年少での2000安打達成者である。2020年シーズンに巨人の坂本勇人が2000安打を達成した場合、その時期によっては史上最年少記録が更新されたのだが、プロ野球開幕の見通しが立たない今となっては大記録樹立は絶望的だ。そんな中だからこそ、最年少2000安打男ってどんな人なの?と知る意味でも今「さらば 宝石」を読むことは面白いと思う。

作品は一つの噂から始まる。引退したはずのEがいまだにハードトレーニングをしている。どこかのチームが戦力として呼びにくると信じているらしい、というのだ。あり得ない話。とあっさり言えないのが榎本喜八。彼は求道者なのだ。たとえ1日に4安打しても、体(たい)が生きて間(ま)があったものだけがヒットと考える榎本は、納得がいかなければ部屋の中でグリップを握って考え込んでしまう……そんな選手なのだった。沢木耕太郎は作中に「overreach」という単語を用いた。ニューヨーク・タイムズ元記者でノンフィクションライター、ゲイ・タリーズの著作に「The Overreachers」という作品がある。盛りを過ぎた人々をゲイ・タリーズはそう名付けた。overreachには背伸びし過ぎた、行き過ぎたという意味があるが、沢木耕太郎は「行き過ぎた」の語感を重要視した。榎本喜八をもそう見ていた。

沢木耕太郎が、榎本喜八のターニングポイントに挙げた事件こそ、西本幸雄監督によるスクイズ失敗だった。榎本喜八は大毎ミサイル打線の一角を形成していた。田宮謙次郎榎本喜八山内一弘、葛城隆雄と並ぶミサイル打線は超重量級だったが、日本シリーズ第2戦のヤマ場で榎本喜八にバントさせるなどしてたどり着いた満塁のチャンスで西本監督は谷本にスクイズをさせた。しかしキャッチャーゴロになり突っ込んできた三塁走者はタッチアウト。打者走者も一塁でアウトになりチャンスはついえた。その夜西本監督の自宅に永田雅一オーナーから電話が。「あんな消極策をなぜとったのだ」云々。西本はこう応じた。「作戦は監督の直感によって決めるものだ。だからこそ責任もとる。だが、無責任な評論家が事後にいうことによってなにかをいわれるのは心外だ」……。馬鹿野郎→撤回してください→シリーズ後に西本監督辞任の流れは昨日書いた通り。この一件でチームはどんどん崩壊していく。西本は去り毎日新聞が経営から手を引いた。榎本喜八の師匠、荒川博は追い出され、山内と葛城はトレード。田宮は監督とそりがあわず引退。作中の表現通り「一瞬のうちにミサイル打線は崩壊した。そしてEだけが残った」。

打撃の神髄 榎本喜八伝 (講談社+α文庫)

打撃の神髄 榎本喜八伝 (講談社+α文庫)

  • 作者:松井 浩
  • 発売日: 2016/02/19
  • メディア: 文庫
 

 

しかし榎本喜八はバッティングに専念できず彼自身も「壊れて」いく。日米対抗のゲーム前にダグアウトで一時間以上座禅。自宅に猟銃を持って立て籠る。荒川が駆けつけてドアを開けると発砲した(天井へ、だが)。選手としてのピークを過ぎたり、奇行が聞こえてきたりしたら、そりゃどのチームからも声は掛からないだろうと思う。榎本喜八はオリオンズから西鉄ライオンズにトレードされ、引退した。ミスターオリオンズとさえ形容された男にしては寂しい結末だった。

消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

消えた球団 毎日オリオンズ1950~1957

  • 発売日: 2019/06/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

だが榎本喜八は結末と思っていなかった。榎本がハードトレーニングをしているのはそういう意味だった。「ともあれ、Eが『さらば 宝石』といわないかぎり、overreacherとしての彼の物語は完結しない」。沢木耕太郎はそう書いたが、個人的には作品タイトルにもなったこの「さらば 宝石」が分かりにくかった。野球場のダイヤモンドにさらばと言うかどうかというくだりがあるのでダイヤモンドを宝石に置き換えたのだろうが、詩的すぎてリアリティーが感じられなかった。ノンフィクションの名手であり、異を唱えるのはおそれ多いなとも思ったが、いち読者としての率直な感想だ。もう少しスポーツを連想させるタイトルでもよかったんじゃないかと思う。エキスを書いてしまったらネタバレなんじゃないかと思われそうだが、沢木作品はこのくらいではびくともしない。ぜひ「さらば 宝石」本編を通してお読みいただき、榎本喜八がなぜ引退後も走り続けたのか、想像してみてください。

よろしければこちらの榎本喜八関連記事もご覧ください。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com


福岡ソフトバンクホークスランキング