どうにもならないことをどう消化するか~大リーグデビューできない筒香嘉智
どうにもならないことは、あれこれ考えない。そうすべきだよと言われたことがある。頭では分かっているが、心では割りきれない。さて、どうしようか……とずっとモヤモヤしていたが一つ答えをいただいた。それは日経新聞3月26日付のスポーツ面にあった。
篠山正幸さんの「逆風順風」。レイズに移籍した筒香嘉智はこの感染症の影響で開幕が延期されたことについて、「僕たちが左右できない部分」と受け止めているという。篠山さんはそれについて、トップ選手の語る「仕方がない」の裏には単なる諦観や無力感ではない、鍛え抜かれた精神が到達した境地があるように思われる、と書いた。
コラムのこの段落は胸に刺さった。
伸び悩む選手に限って、自分の領域でないことに首を突っ込み、無駄に時間を使っていることがある。してみると、一流選手の割り切りは一朝一夕にできるものではなく、一通りの挫折や失敗を経験してみて得られるもの、とも思われる。
スポーツ選手と一般人は違うけれど、挫折や失敗を経て、というくだりは共感できた。何事も経験に裏打ちされた言葉には重みがある。アスリートは結果がすべて。連勝できる選手もいるが、大抵は負けがつきものだ。スランプだってある。一流選手であるからこそ、切り替えや困難の克服も一流、ということだろう。一般人はそこまでうまくはいかないのだけど、挫折や失敗を多少経験しておくことで、切り替えの必要性は認識できるような気がする。自分でどうにかなることなら全力で環境を変えたらいいが、それが難しいなら雨宿りしながらでも雨がやむのを待つしかない。
きょうはこのコラムの構想を練りながら半時間、雨中散歩した。愛犬の黒柴を連れて。愛犬は雨を嫌うからそんな日はすぐ帰るのだが、きょうは小雨だったからか帰ろうとしなかった。パラパラと傘に当たる雨音は、頭を整理するよいBGMとなった。濡れるから私も雨中の犬の散歩は嫌なのだが、きょうは考えごとをする上で悪くはなかった。天気も人間がどうすることもできないものの一つ。雨が降ったらそれなりに過ごすしかない。それなりに過ごせばいいのだ。
そういう気持ちになれたのはあの日経新聞のコラムと、筒香嘉智のおかげだ。なぜか大リーグは熱心に追わないのだが、筒香のことは応援しようかなと思い始めた。自分ではどうにもならないことをどう消化して、どう結果を残すのか。筒香の生き方を参考にさせてもらおうと思っている。