黒柴スポーツ新聞

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引退・活動休止特盛日、ただただ攝津正の話がしたい~吉田沙保里より西野カナより

夕方になって、レスリングの吉田沙保里引退のニュースが入ってきた。さらには西野カナ活動中止の一報も。サッカーの中澤佑二楢崎正剛も。きょうは編集者泣かせの日だ。だが今夜はただただ攝津正の話がしたい。きょう2019年1月8日、攝津は引退会見を開いた。私の中の鷹のエースは間違いなく攝津正だ。


何せソフトバンクファンになったのが2011年から。攝津はこの年から5年連続2ケタ勝利。これは今どきなかなかできまい。計算できる戦力としてぐんぐん年俸が上がっていった。



ゆえに、攝津は10年という決して長くないプロ野球人生ながら最高年俸は4億円である。10年のうち、7度も億の年俸だ。選手生活晩年は勤続疲労が否めず、期待された数字が伴わなかった感はあるが、攝津は確かにチームの屋台骨を支えていた。

攝津が優れていたのは中継ぎと先発の両方で結果を残せた点。2018年は加治屋蓮が72登板だったが、攝津は新人から2年連続で70試合超え。タフだった。岩嵜翔のように翌年ほとんど投げられなくなることだってある。

攝津正はリタイアどころか3年目から先発へ。2018年は、先発ができる石川柊太や武田翔太が中継ぎ(第2先発)を務めたが、これがよくあるパターン。攝津は逆だったのだが、立派に先発をやりきった。
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特に2012年は17勝。沢村勝にも輝いた。ウィキペディアで見つけたが、最優秀中継ぎと沢村賞をとったことがあるピッチャーは史上初だったそうだ。デキる人はいろんなことができるのだ。やることが変わった上でまたもや結果を出す人はカッコいい。

攝津は2011年日本シリーズの胴上げ投手だ。最後のバッター、和田一浩を空振り三振にしたシーンを覚えているだろうか? 日本一になったら、しかも、三振が取れたらピッチャーは喜びを爆発させるものだ。攝津はガッツポーズこそ取ったが、三歩、四歩とマウンドをゆっくり降りた。史上稀に見る鉄仮面胴上げ投手であった。私もあまり表情が豊かではないから妙に親近感がわく。私には分かる。決してうれしくないわけではない。むしろウハウハ。だが表に出すのが下手なのである。



いま私の手元には、きりっとした表情の攝津の写真をプリントしたクリアファイルがある。実は攝津がピークを過ぎてから買ったものだ。ヤフオクドームのショップ「ダグアウト」で攝津のクリアファイル3枚セットを見つけたが、複雑な気持ちもあった。割引商品だったからだ。たまたまセールだったのか、商品の入れ替え時期だったのか。お気に入りの攝津のグッズが安く手に入るのだからよさそうなものだが、すごく寂しい気持ちになったのを覚えている。

だから、攝津のクリアファイルはビニールに入ったまま、未開封だ。使うに使えなかった。そして攝津正の引退会見の日を迎えた。ソフトバンクが2年連続の日本一になって喜びを爆発させた翌日、攝津が戦力外になった。実力の世界だから仕方がないと分かってはいるが、またクリアファイルを見つけた時のような気持ちになった。 

攝津が好きだから、どこか他球団で現役続行にならないかと淡い期待を抱いたが、それは強い願望だった。今となってはホークスのユニフォームのまま引退してくれてありがとうと言うしかない。やっぱり私にとって鷹のエースは攝津正だから。わざと予告先発見ないでチケット取って、ヤフオクでもマツダでも京セラでも攝津の登板日を引き当てたのは幸運としか言いようがない。
いわゆる引退試合がなかったのは残念だが、最後まで現役の道を模索した結果と受け止めよう。和田毅も望んだように、いつか必ずホークスに戻ってきてほしい。その日を楽しみに待っています。

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