黒柴スポーツ新聞

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森岡良介、栄光と挫折と再起と~戦力外を経てビールかけの音頭をとった男

ヤクルトの森岡良介が引退を表明した。明徳義塾キャプテンとして甲子園優勝。ドラフト1位で中日に入団するも2008年シーズンをもって戦力外に。トライアウトを受けヤクルトが獲得。2014-15年は選手会長を務めリーグ優勝も経験した…というのがたいがいのプロ野球ファンなら書ける森岡の経歴である。

月刊DRAGONS (ドラゴンズ) 2003年1月号 新春特別号

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ネットの世界で有名なのが中日時代の高柳秀樹コーチとの衝突。三振してきた堂上剛裕に対し「死ね」とコーチが発言したのを森岡良介が「それはない」と異議を唱えた。もともとアライバという鉄壁の布陣が森岡良介の出場機会を阻んでいたこともあったが、この事件が決定打となり戦力外通告に至った、という説がある。森岡引退報道とセットで検索ワードに浮上するのが「高柳秀樹」であることは間違いない。

黒柴スポーツ新聞編集局長は明徳ナインを間近で見たことがある。2002年に全国制覇した後、勤務する会社に優勝報告に来てくれたのだ。テレビで見ていた選手たちが、手を伸ばせば触れそうなところまで来た。が、なぜか森岡良介の記憶がない。理由は分かっている。エース・田辺佑介に目が行ってしまったのだ。思ったより小さいなあ…。目がくりくりしていて子熊みたい。甲子園で輝いていたから大きく見えていたのだろう。

森岡良介の名場面はファンならいろいろあるのだろうが、中日ファンでもヤクルトファンでもない編集局長はやっぱり彼が輝いた明徳優勝の瞬間だ。最後のバッターがサードゴロ。ショートを守っていた森岡は顔面をグラブで覆いながら、おばあさんのようなおぼつかない足取りで、仲間が狂喜しているマウンド上に向かったが泣いちゃっているから輪に入れない。そんな背番号6を、輪がほどけた瞬間に田辺が気付いて肩を抱く。画面では分からなかったが、だれかがまだ泣いている森岡良介の頭をポンポーンとたたくシーンもある。青春だなあ。

若さが弾けて飛び上がったり、最近定着した人差し指を天に突き上げるポーズも高校生らしくていい。しかし編集局長はすべてから解放された森岡良介の涙が忘れられない。すべてを懸けて報われた、そういう涙に見えた。

森岡良介が中日入りした時、だれもが立浪和義の後継者像を見ただろう。中日はホームランバッターではなく、センスをとったのだと。じゃあ、と言いたくなる。あらためて森岡良介の中日時代を見返してみたが6年間で39試合しか出ていない。これでセンスが分かるのだろうか。2軍では試合に出たがやっぱり1軍と2軍は別世界だ。森岡良介が立浪になれなかった理由の一つとして、出場機会を挙げたい。立浪は1987年ドラフト1位。88年にはいきなり110試合に出ている。

立浪和義公式写真集

立浪和義公式写真集

野球選手なら出場機会は自分で勝ちとれよと言う人もいるだろう。確かにそうあるべきだが特に高卒1年目などはよっぽど光るものがあるか、首脳陣が「こいつは是が非でも育てたい」と思わなければ試合に出られない。古くは三原脩監督が豊田泰光を起用したし、立浪は星野仙一監督が出し続けた。

森岡良介は最初が山田久志監督で残りは落合博満監督。森岡がいたころの中日はAクラス常連だからチーム運営としては間違っていなかった。アライバがいたから試合に出られなかったというのも仕方ない。かといってドラフト1位だから簡単にトレードもできない。そうこうしているうちに6年が経ってしまったということだろう。

にしてもいきなり戦力外というのは乱暴だった。せめてトレードというのが温情ではなかろうか。だからこそ高柳事件が尾を引くと見る目が減らない。

むしろさすがと思ったのがヤクルト。トライアウトで無安打だった森岡良介に即アプローチ。高田繁監督が目指すチーム像に合致したようだ。ヤクルトの補強は他チームファンから見ても温かみを感じる。いいタイミングで手を差し伸べるのは、オリックスとうまくいかなくなった坂口智隆日本ハムで力を発揮できなかった鵜久森淳志の獲得を見ても分かる。

さらにさすがと思ったのが選手会長への起用。互選なのか前任者による指名なのか知らないが、中途入社組をまとめ役に据える懐の深さ。もっとも中日と同じくらいヤクルトに在籍したからお客さん扱いにはすでになっていなかったのだろう。それでも選手会長はそこそこ力がないと発言力に重みも出ない。森岡良介にはキャラで補う魅力があったと見た。「9年目森岡ですけど、お立ち台、2回目でえーす!」。おどけながらしたヒーローインタビューは秀逸だった。高校時代からこんなキャラだったのだろうか。テレビで見た時はびっくりした。今回引退報道を受けYouTubeを漁ったがヤクルトのファン感謝デーでは乱闘の末に森岡良介が裸で胴上げされたり、森岡が中国語?でポリスストーリーの歌をうたっている映像がある。あの、おえつをこらえながらグラブで顔を覆っていた野球少年の面影は、ない。

もしも前からそんなキャラではなく、優等生を捨てた瞬間があったとしたらそれはトライアウトだったと見た。もうドラフト1位は過去の話。一選手として道を切り開こうと心を決めた。そして一皮むけてヤクルトで花開いた。だからこそヤクルトファンは森岡良介が好きなんだと思う。戦力外を経てビールかけの音頭をとった森岡良介は最高だ。

編集局長は巨人ファンながら、2011年10月31日のCSファーストステージ第3戦で森岡良介が7回裏に貴重な追加点となるタイムリーを打った姿をかっこいいと思う。一度は戦力外になった選手でも努力と運と声援があればまた輝ける。その可能性を森岡良介は示してくれた。

「きーみーがーいた なーつーは とおいーゆーめーのなかーあ そーらーに きえてーえった うちあーげーはーなーびー」
森岡良介がタイムリーを打つ前、神宮ではジッタリンジン(もしくはホワイトベリー)の夏祭りがトランペットで演奏されていた。森岡良介が仲間たちと甲子園を制覇した夏からもう9年が経っていた。

夏祭り

夏祭り

まだまだやれる。そういう声は多そう。だが出場機会が今度こそ本当にない状態と判断したのかもしれない。中日時代と決定的に違うのは、今回が戦力外通告だったのではなく引退表明と報じられたことだ。引き際を自分で選べる人が少ないプロ野球。2016年シーズンが終わればひっそりとユニフォームを脱ぐ人はたくさんいる。森岡良介の今後はどうなるのか気になるが、甲子園優勝と戦力外通告とそこから這い上がった経験はきっと誰かの背中を押してくれそうだ。森岡良介の第二の人生が輝くことを期待したい。


9月29日追記
28日の模様を別記事にまとめました。ぜひ合わせてご覧ください。
tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

12月4日追記
森岡良介の引退の決め手は「イップス」だった! そんなこともあるんですね。しかしそれをそのタイミングで与えた野球の神様なりの配慮があったと思いたいです。コーチとしての成功を応援しています。


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