黒柴スポーツ新聞

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「まずい、もう一杯!」の八名信夫氏(元東映投手)が努力と才能で再びプロのマウンドに立った話

ラジオでヤナさんがどうのこうのと聞こえた。八名信夫のことだった。「おやじの釜めしと編みかけのセーター」という映画を作っているらしい。

 

八名がかつて東映フライヤーズにいたことは知っていた。が、その程度だったのでもう一度調べてみようと思った。

 

手始めにいつもの宇佐美徹也著「プロ野球記録大鑑」を見た。手元にあったものでは1992年度までの公式戦出場全選手名簿が収録されている。「ヤナ、ヤナ」と調べつつも八名とは芸名かもしれない。と思ったら八名信夫とずばりあった。

 

実働3シーズン、出場15試合、5打数1安打。打点1。こういう記録を見るとしびれる。1安打でもプロ野球に足跡を残している。いや1安打のみというのが逆にそそられる。と感心していたらウィキペディアを確認すると八名は投手だった。あわてて選手名簿の投手編を見ると15登板で0勝1敗、28回を投げ13奪三振自責点12、防御率3.86と書いてあった。

 

せめて1勝したかっただろうなあ。しかし1勝していたら俳優・八名信夫は生まれていなかったのかもしれない。悪役商会のホームページにあるプロフィールを見てみた。1935年、岡山市生まれ。明治大学から東映フライヤーズに入団。登板中のけがでプロ生活を断念し、映画俳優となる…と書いてある。

 

yomidr.yomiuri.co.jp

 

なお俳優転向きっかけとなった東映大川博オーナーによる「長嶋茂雄王貞治に打たれるよりも高倉健に撃たれろ」発言だが、ウィキペディアの補足によれば八名は1956、57、58年の現役で王は1959年デビューだから発言は確かなものか分からないそうだ。とはいえ王はすでに高校時代から有名だったのでそう言ったのかもしれない。

 

こんにちは八名信夫です

こんにちは八名信夫です

 

 

プロ野球でヒット1本、0勝1敗の男が自責点12の100倍を超える1200回以上「死んできた」という。第二の人生でも違った形で数字を積み上げることはできたのだ。映画やドラマだと、普通はゾンビのように生き返れないわけだからそれくらいの作品に出たということ。現役生活よりはるかに長い俳優人生を過ごしてきたわけだ。

 

「うーん、まずい。もう一杯!」の青汁CMで一世を風靡したのは上の記事によると1990年。55歳の年のことだ。八名の現役時代の投球はどうだったか知らないが、直球のフレーズはばかうけした。スポンサーのキューサイソフトバンクと契約している関係で八名は2014年に始球式を行っていた。うれしかっただろうな。試合相手が東映を祖とする日本ハムだったのは何かの因縁か。八名が自ら切り開いた道の先にこのマウンドがあった。

www.nikkansports.com

元プロ野球投手・八名信夫 50年ぶりにマウンドへ

 

 東映という映画会社がオーナー会社だったから俳優・八名信夫が誕生したのだろうが、引退選手がそのチームの親会社の関連職種につけるわけではない。八名はきっかけをもらったのかもしれないが、結局は自らの努力と才能で生きてきた。プロ野球選手として大成しない選手は数多くいるが、イコール人生の敗北者ではないことは八名の生き方を見てもよく分かる。だからこそ引退選手の不祥事を苦々しく思う。栄光とのギャップに耐えられないのかもしれないが、引退後のつまずきでどうかせっかく築いた実績まで無にしてくれるな。ファンはそう願っている。

 

 きょうの1枚は東映勢からと思っていたがちょうどいい人がいた。土橋正幸。八名と同じ1935年生まれだ。黒柴スポーツ編集局長の少年時代はヤクルトの監督だったがれっきとした東映の選手。通算162勝もすごいが、1958年の西鉄ライオンズ戦で9連続奪三振を記録した。江夏豊のオールスター9連続奪三振も並みいる強打者相手だからすごいが土橋もシーズン中の真剣勝負だから負けないくらいすごいと思う。もともと軟式投手という経歴も有名な話。八名も土橋も1956年がプロ初出場。その後、映画俳優(悪役)と東映のエース。どっちもかっこいいです。フライヤーズのFが鳥っぽいのもおしゃれです。

 

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