黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

「権藤、権藤、雨、権藤」仕事ができる人に仕事が回るのは50年前から変わらない?

昨日から右手の薬指が痛む。まさかとは思うが指の酷使? 実は仕事でもそこそこパソコン(厳密に言えばキーボード)を使うので帰宅後にいそいそと書いているブログが影響したかと思った。昨年と生活スタイルを変えたのはブログ執筆くらいだからだ。痛みは気のせいかもしれないがまだ怪しい。しかしブログの場合はこれがネタにできる。

 

酷使は宿命なのか

 酷使。プロ野球選手の宿命である。サラリーマンもそうかもしれないが。黒柴スポーツ新聞的視点でこれはという選手を挙げてみる。権藤博。新人の年に69試合登板のうち44試合に先発。投球回数は429回に及んだ。結果、35勝19敗。完投は32試合。完封だけでも12あった。当然のごとく新人王に輝いた。

 

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※2003年版ベースボールマガジンのカードを使わせていただきました。100勝クラスの選手が集うこのシリーズに通算82勝の権藤が入るなんてベースボールマガジンはさすが。

 

もっと投げたくはないか 権藤博からのメッセージ

もっと投げたくはないか 権藤博からのメッセージ

 

 

たった2年で65勝

2年目も61試合登板、39試合先発、23試合完投。投球回数は362回。30勝17敗。この2年で実に65勝も挙げた。初年度と2年目は当然のごとく最多勝に輝いた。このフル回転ぶりを、所属した中日の投手陣はどう思っていたことだろう。「権藤、権藤、雨、権藤」という言葉まで残っている。ちなみに「権藤、権藤、雨、権藤雨、雨、権藤、雨、権藤」だろうか?という人がいたが実際はどうなんでしょう?

明らかなマネジメント不足

しかし体は正直。その後10勝、6勝、1勝。通算わずか5年で投手生命は終わった。30勝できる才能は素晴らしいのに、現代風に言えば明らかにチームのマネジメント不足で短命に終わってしまった。選手は自分で登板間隔を管理できないのだから首脳陣はきっちり計算なりフォローしてあげないと。権藤が投手をしたのはもう50年以上前の1960年代。しかしこのように職場の戦力を発揮しきれない風景は連綿とニッポンに受け継がれていないだろうか。

 

分業を確立し優勝

権藤は5年目、6年目、7年目は野手としてプレーした。8年目は投手に復帰したがそのシーズンをもって現役を引退した。その後は中日、近鉄ダイエー、横浜でコーチに。監督としては横浜で1998年から監督を務め、98年には日本一になった。島田直也五十嵐英樹ら中継ぎ陣、そして大魔神佐々木主浩。権藤自身の酷使体験があったからこその投手陣整備と見るむきは多い。30勝投手としてブイブイ言わせるだけの投手で終わっていたら(それはそれですごいが)横浜38年ぶりの優勝はなかったかもしれない。

勝つ管理 私の流儀―横浜ベイスターズ38年ぶりの日本一!

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理想の上司は逃した

てっきり98年度の理想の上司(産業能率大学)に選ばれていたかと思いきや1位はまさかの長塚京三。1999年度に8位になっていた。ちなみに歴代1位を見てみると2011年度池上彰、12年度橋下徹、13年度イチロー、14年度堺雅人、15年度は松岡修造。イメージだけで言えば、池上さん以外はなんだかんだで下が振り回されそうだ。若干指が痛くなってきたのでこのへんで終了。黒柴スポーツ新聞も分業できないのが悩みの種である。

教えない教え (集英社新書)

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 ※2019年1月15日追記=権藤さんは野球殿堂入りしました。おめでとうございます。


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