黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

ミスは忘れてもらえない~球史に残る「エラー」のビル・バックナーと阪神の池田祥浩

ある見出しに目が止まった。

「球史に残るエラーをした名一塁手が死去」

それはスポーツ報知の記事だった。メジャーリーグの知識はさほどないのだが、ああ、あのエラーのね、と思い出した。選手の名前はビル・バックナー。レッドソックス時代、ワールドシリーズで痛恨のトンネルをし、世界一の座を逃した人だった。

 

訃報記事で知って、なんだかな、と思った。ビル・バックナーは通算2715安打を放ち、首位打者に輝いたこともある。しかし亡くなった時の見出しは「エラー」なのだ。それをあれこれ言うならおまえはどんな見出しを付けるんだ、ということになるのだが、やっぱり私もあのエラーの、と付ける。それも含めての「なんだかな」なのだ。それでもスポーツ報知の見出しは「名一塁手」となっており、彼への敬意がこもっているように感じられた。

 

いいことをしても、失敗の印象が強いと引っ張られる。ましてやプロならばやって当たり前だから、ミスの方が記憶に残りがちだ。プロ野球選手でなくとも、やって当たり前という職種の人たちは結構な数がおり、ほんのたまのミスであれこれ言われてしまう。しかしそれは完璧が求められている裏返しであり、だいたいは完璧にできているからこそたまの失敗がクローズアップされるのだ、と思うしか慰めようがない。

 

ビル・バックナーもアメリカでは相当きつかっただろうが、日本のプロ野球にもそんな人がいた。阪神池田純一(祥浩)。阪神がついに巨人の連覇を阻止できようかという1973年、池田は8月の巨人戦の9回に黒江のセンターフライを捕ろうとして転倒。結果的に逆転三塁打となり阪神には痛い黒星となってしまったのだ。ペナントレースは僅差で巨人が阪神を制したため、池田の転倒は「世紀の落球」として記憶されてしまったのだった。

 

救いであるのは山際淳司の作品「男たちのゲームセット:巨人・阪神激闘記」でもきちんと「落球」ではなく三塁打と解説されており、Wikipediaでもそう紹介されている。山際淳司の作品に至っては転倒につながった芝についても触れている。私が池田ならば救われる思いだろうな、と想像する。

 

近藤唯之の「運命の一球」でも池田の転倒は紹介されている。池田は印象的な打撃成績も残しているのだが、どうしてもミスの方が記憶に残ってしまう。阪神ファンはどうなのだろう。阪神を応援しているがゆえに、あの転倒をなしにはできないかもしれないし、逆に池田を責めたりしないのかもしれない。池田はすでに亡くなっているが、もし生きていたらビル・バックナー訃報には池田のコメントが載っていたことだろう。

 

運命の一球 (新潮文庫)

運命の一球 (新潮文庫)

 

 

 

ミスを糧にする、と言うのは簡単だが挽回するにはミスの倍くらいの成果がないと埋め合わせはできない。精神的にもタフでなければいけない。しつこい人はいつまでたってもミスをうれしそうに取り出してくるから困る。そういう人に限ってしょうもないからますますたちが悪い。そういう野犬みたいな人からはダッシュで逃げ切ろう。池田とビル・バックナーはあの世でどんな会話をしているのだろうか。二人にしか分からない感情。ミスが少なくない私は興味津々である。


福岡ソフトバンクホークスランキング