黒柴スポーツ新聞

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上原浩治トリプル100は中途半端なのか~日経新聞の権藤博コラムを読んで

上原浩治がなぜ大リーグで抑えられたのか。5月23日付の日経新聞権藤博コラムを読んで少し分かった。上原は「顔」で抑えていたという。鬼気迫る形相でスプリットを投げるものだから、ストレートと思っていた打者のバットに当たらない。なるほどな、と思った。

 

闘志力。―人間「上原浩治」から何を学ぶのか

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しかし、その必死の形相はしびれる場面だからこそ出るものであり、2軍では燃えられなかったのだろう、と権藤博は理解を示していた。上原の居場所は1軍だった、という論はカッコいいなとも思った。

 

覚悟の決め方 (PHP新書)

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一方で、働く場所を選んでしまっているようにも思えた。それはプロらしくないな、と。だが現実的にはワールドシリーズでクローザーまで務めた人だから、2軍戦で燃えられないのも無理はないとすぐに思い直した。世の中には職場を選んでいい人と選んでもいけない人がいる。上原は結果を残したのだから、選んでも何も言われない。

 

その意味では、もし上原が2軍で燃えられなかったとしたら最後は雑草ではなかったのかもしれない。毎日新聞やどこかのスポーツ紙記事は見出しで「雑草が大輪の花を咲かせた」的な表現をしていたが、花は咲いたら枯れる。上原の燃える気持ちも永久不滅のものではなかったのだ。

 

我慢

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日本人初のトリプル100(100勝100セーブ100ホールド)を上原浩治が「中途半端」と表現したのは謙遜だったのか、本心だったのか。ダルビッシュあたりは名球会入りしても何らおかしくないくらいのことを言っている。実力のある後輩から最高の評価をされる上原はカッコいい。中途半端という自己評価はぜひ辛口の自己評価であってほしい。なぜならそれはいろいろな職務や立場になりうるサラリーマンにも辛口の評価になってしまうからだ。

 

以前、このブログで「阿波野秀幸はなぜ所属3球団すべてでリーグ優勝し日本シリーズ登板を果たせたのか」という記事を書いた。阿波野は現状を受け入れ、結果を出し続けたからこそ活路を見出だせたのだ、と。上原も同じだ。特にメジャーに行ってからはけがもあった。真正面から「先発で使わない」と通告してくるのもいかにもアメリカンだが、むしろそれで吹っ切れたのではないか。日米通算トリプル100とは言いながらも、セーブとホールドの大半はアメリカで記録している。

 

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日本では「涙の敬遠」が有名だが、同じ試合で印象的なシーンがあった。高橋智をショートゴロにするのだが、グシャッと鈍い音がした。高橋智と言えば北斗の拳に出てきそうな屈強な男。そのバットが「グシャッ」である。その他のヤクルトのバッターも、上原の球がスピンが効いているからか、とらえたかなと思っても打球がなかなか前に飛んでいなかった。このルーキーイヤーに20勝できたことがよく分かるゲームだった。

権藤博コラムは最後に、上原がやるなら投手コーチ兼監督だと書いていた。コーチだけだと、投手起用をめぐってきっと監督とぶつかるから、だそうだ。これって権藤さん自身のことじゃないの?と思わずつっこんでしまったが、私は兼任でも何でも、上原投手コーチはいいなと思う。その時こそ先発・中継ぎ・抑えの経験がまさに役立つのだから。やっぱり、トリプル100はハンパない。


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