黒柴スポーツ新聞

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視野を狭める~巨人・丸佳浩が説くフェイスガードの効用とは

フェイスガードのメリットは何だろうか。防具だから、最大のメリットは顔面への死球を防ぐことにある。その次は踏み込んで打てること。確かに死球の恐怖が減れば、思い切って踏み込むことができよう。ここまでは想像の範囲だが、スポニチ記事「着用選手急増のフェースガード  ケガ防止目的も意外な効果!? 巨人・ 丸が証言 『自分の世界に入れる』」を見てなるほどな、と思った。視野の有効活用である。

 

 

 

視野を広げる、という言葉があるくらいだから視野は広い方がよい、というのが相場である。だが丸佳浩は言う。

「プレーに影響のない範囲で視野が狭まることで、余計な情報を遮断している感じがして、自分の世界に入れる。マイナスなことはあまりない」

丸クラスになると、もはや足し算ではなく引き算をするのだなと感心してしまった。

 

 

 

普通は視野を広げることで選択肢も増えるから、有利になっていくとされているが、丸は自分の世界に入るために余計な情報をシャットアウトしようとしている。感覚を研ぎ澄ませるとか、そんな境地なのだろう。

 

私はまだまだ未熟だから、選択肢をちょっとでも増やしたい。そのためには視野を広げる方がいいと思っている。だからわざわざ視野を狭める丸を率直にすごいなぁと思ってしまう。単純に低めの球を見極めるのにフェイスガードが有効なのかもしれないが、丸の言葉からはすさまじい集中力を感じた。やはりそのくらいの気迫が必要だ。

 

記事の書き方も似ていると思う。取材したことは余すことなく入れたい。ちょっとでも情報は多い方がいい。そう思いがちだ。だがそれは本当に読者のためになっているのだろうか。これだけ入れたった!と書き手が悦に入っているだけではないのか?  かつて記者の大先輩が「(たくさん取材した上で)上澄みだけで書いてみたい」と言っていたのを聞いて、これは相当レベルの高い話だなと思ったことだった。確かに山際淳司の作品を読んでいて、思う。何てムダのない文章なんだ、と。贅肉感ゼロなのだ。

 

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その意味ではわが黒柴スポーツ新聞は言葉遊びが大好きだし、語感とか韻とかで遊ぶことは多々あるから、もうそこは気長に付き合ってくださっている読者の方に感謝するばかりだ。もちろんいつか上澄みだけで極上のコラムを書いてみたいとは思っている。その時まではやはり視野を広く持たねばと思う。そしていつか満を持してフェイスガードをかぶってみたいな、と。

 

 

 

究極はフェイスガードなしでも自分の世界に入れること。そこを目指したい。私はのめり込むとよくも悪くも視野が狭くなる。よく言えば没頭なのだが独善的になる弊害もある。ただやみくも視野を狭めればいいというものでもない。そこは気を付けながら、いつか自分の世界に浸れる丸佳浩の境地に立ってみたいと思う。


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