黒柴スポーツ新聞

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300勝で事故死したスタルヒンとシーズン最多セーブ確実のサファテ~9月4日は「史上初の300勝」達成日

きょう9月4日は、スタルヒンプロ野球史上初の300勝に到達した日。1955年のことだ。

300勝。いまや200勝でも青息吐息なのにプラス100勝。記録した人はプロ野球に6人いる。

金田正一400勝
米田哲也350勝
小山正明320勝
鈴木啓示317勝
・別所毅彦310勝
スタルヒン303勝


いまや20勝するのは稀。それを15年続けないと300勝にはならない。


いまや15勝できたらエース格。その座を20年守らないと到達しない。それが300勝だ。


スタルヒンが300勝を達成したのが9月4日と書いたが、7月28日に達していた、という話がある。実は戦前は記録員の主観で勝ち投手が記録されたりしていたので、見直しの結果、スタルヒンはシーズン最多勝42勝が40勝とされた時期があったのだ。この差2勝分、7月の達成が9月と伝えられているわけだ。


いったいどんな勝ち方をしたら300勝もできるのか? 年度別勝利数を見てみる。

1勝
28勝
33勝
42勝
38勝
15勝
26勝
10勝
6勝
1勝
8勝
17勝
27勝
11勝
6勝
8勝
11勝
8勝
7勝


巨人入団2年目から5年目が特に充実している。特に1939年は68試合登板、38完投。投球回数は458回と3分の1。今のエース二人分だ。


スタルヒンロシア革命後に亡命してきた。ゆえに戦時色が濃くなると「須田博」と改名する(させられた?)。今よりも国際的でない時代にスタルヒンはよくチーム(巨人)のために頑張ったなあと思う。もっとも、日本には子どもの頃からいるから本人的には外国人扱いされたくなかったかもしれないが。

と思ったらスポニチ記事で、スタルヒンが戦後巨人に戻らなかったのは巨人でいじめがあったから説を見つけた。今は各球団、外国人選手とうまくコミュニケーションを取っているように思えるが、昔は違ったのかもしれない。

スタルヒンがどんなピッチングフォームだったのかは知らない。しかし剛速球で捕手の吉原正喜は受け止めるのに難儀しあざを作りまくったという(ベースボールマガジン社「宿命の巨人・阪神戦」吉原正喜紹介文より)。

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スポニチ記事によればテレビ局の解析によりスタルヒンは153キロの球を投げていたらしい。身長は191センチ。


これらからイメージしたのはソフトバンクのサファテ。サファテは身長193センチ。もしもサファテが完投してたら、そりゃ打てん。1シーズン投げ切ったら42勝行くかもしれない。

サファテは年俸が5億円という。2017年はプロ野球のシーズンセーブ数新記録は間違いない。だから5億円を高いなんて思わない。それくらいの価値は十分ある。

スタルヒンも時代が違えば5億円くらいもらっていても不思議じゃない。しかし最期はあまりに悲しかった。今から60年前の1957年、運転していた車が電車に追突。そのまま亡くなってしまった。


サファテはこんなことないだろうが、引退後にチームに残りやすい日本人選手と違い、外国人選手は契約満了イコール、さようなら、だ。サファテはどれだけ通算セーブ数を残すか分からないが、いつかはチームを去るのだろう。分かってはいるがさみしい話だ。

300勝もしたスタルヒンでさえ、もはや記憶と歴史の彼方にいる。だがこうして記録を掘り起こすことでスタルヒンはよみがえる。今のペナントレースをアツく語るのも楽しい。だがたまに名選手に思いをはせるのもまたプロ野球の楽しみの一つだ。これからも今と過去、行ったり来たりしながら野球を楽しもうと思う。スタルヒンに興味をもったら、ぜひいろいろ調べてみてください。
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