黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

ここ一番で勝てばいい~通算16勝の完全試合投手・森滝義己

6月28日は藤本英雄が史上初の完全試合を達成した日だった。毎朝聞いているNHKラジオのコーナーの一つ、きょうは何の日、で言っていた。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

それにちなんで完全試合ネタで記事を書こうと考えた。藤本英雄については再々取り上げているので、どうせならまだ手付かずの選手を調べよう、と久々、北原遼三郎氏の「完全試合」を引っ張り出してきた。本日のテキストはこれ。

完全試合―15人の試合と人生

完全試合―15人の試合と人生

 

 完全試合達成者15人の中から森滝義己を選んだ。同年代でもプロ野球選手の名前は知っている方だ(特に古い選手)と自負しているが知らなかった。

有名だからできるわけではない

完全試合は有名な投手だからできるというわけではない。もちろんたくさん勝てる力がある投手ほど完全試合ができる可能性はある。その点、森滝義己は通算16勝。ここにこそ完全試合の味がある。誰にだって大記録を達成できる可能性はあるのだ。

凡人はこういうところに光明を見出さねばならない。どうせオレなんか、なんて自分を卑下してはいけない。あなたにだっていいところはいっぱいあるはずだ(あ、凡人だ、と言っている意味ではありません…)。

 森滝義己は立教大学出身。2017年春季に立教大学は久々に六大学野球リーグを制したのだが森滝義己はエースとして在学8シーズン中5回も優勝した。あと1勝すれば優勝というシーズンもあったがアクシデントでねんざしてそれはかなわなかったという。39試合に登板し18勝6敗、防御率1.43という堂々たる成績だった。

出場機会は自らつくるべし

森滝義己に声を掛けた球団は国鉄ともう一つの2チームだったという。なぜ国鉄を選んだかというと同じ下手投げのピッチャーがいなかったから。このあたりがクレバーな選択。出場機会を自ら作るのも大事なことだ。プロ初年度は初勝利のみ。2年目にもう10勝しているが以後は0勝が4シーズンと5勝が1シーズン。通算7年で16勝だった。このうちの一つが完全試合なのだから人生は分からない。

 首の皮一枚つながった奇跡の1球

北原遼三郎氏は森滝義己の完全試合の中で、「あの1球」にクローズアップした。というかせざるを得なかったのかもしれない。7回、対戦相手の中日の井上登に投げた球は井上の体めがけて進んでいった。カウントはノースリー。死球なら完全試合消滅。当たらなくても死球完全試合消滅。ここで信じられない奇跡が起こり完全試合への挑戦は続行された。はたしてその奇跡とは…? 答えはぜひ北原遼三郎氏「完全試合」でご覧ください。ざっくり言えば、水島新司の野球漫画みたいな展開です。

試合は1-0で勝ち、森滝義己は史上七番目の完全試合を達成した。奇跡の1球は大きかった。もし死球か四球になっていたら完全試合はフイになっており、通算16勝というキャリアで森滝義己は「その他大勢」にのみ分類されていたことだろう。もっとも、完全試合投手になってもそこまで名が知れているわけではないが。ただし80年を超えるプロ野球の歴史の中で完全試合投手は15人しかいないのだから森滝義己の存在価値はすさまじいものがある。

偉業はなぜできたのか?

森滝義己はなぜ完全試合ができたのか。もちろん奇跡の1球も欠かせないが、黒柴スポーツ新聞編集局長としては「執念」とみる。あの奇跡の1球から森滝義己は「天が味方しているとしか思えない」「こんなチャンスはもう絶対一生ない」と考え相手を抑えにかかった。そう、「打たれても仕方ない」なんて考えていたら快挙なんて達成できない。

「やればできる」という言葉は好きじゃないがやろうともしなければ何も生まれない。何も始まらない。本当の勝負強さとは連戦連勝ではなくここ一番で勝つことだと思う。森滝義己の完全試合はプロ2年目。現代ならスマホに号外ニュースが通知され大騒ぎになったことだろう。ちなみに森滝義己が完全試合をしたのは昭和36(1961)年だがお祝いに100万円も集まったという。

 レジェンドとその他大勢

完全試合をした年は10勝したが翌年0勝、2年後も0勝。3年後に5勝するも、4年後と5年目も0勝でついに戦力外通告。腰痛と打球直撃という不運にも見舞われたが果たして森滝義己は持っていた才能を十分発揮できたのだろうか。完全試合達成者には藤本英雄金田正一外木場義郎槙原寛己ら名前が通った人と、「その他大勢」(完全試合達成者の一人である佐々木吉郎氏の表現)にざっくり分けられる。レジェンドたちはもちろんすごいけれど、この彗星的に表れた「その他大勢」の方が、人生において「ここ一番に勝った」意味は大きいと思う。

 実際、森滝義己は引退後サラリーマンとなり、差し出した名刺を見た人が「あの完全試合の?」と言ってくれたそうだ。時は流れもう今のプロ野球ファンに森滝義己の名前はなじみがないだろうが「ここ一番に勝った」森滝義己の名前はプロ野球史にくっきりと刻まれている。それでいいかな、と思う。勝てる人は勝てるだけ勝てばいい。勝てない人でも「ここ一番」で勝てばいいんだ、と。それが進学、就職、結婚(もちろん独身という生き方も素敵です)、転職、独立など、どの局面かは分からないけれどその人が納得する結論を出せたらそれが一番だ。

人間がやることに完全はない

人間がやることに完全はない、と中学校の先生が言っていてなるほどなと思った。完全試合という表現はその対極にあるのだけれど、実は後ろで守っている野手が信じられないファインプレーをしたり森滝義己みたいに奇跡の1球があったりする。史上初の藤本英雄の登板だってローテーション上で投げるはずだった多田文久三がおなかを下した結果の代役での完全試合である。不安定な要素の集合体が完全試合なのだ、と北原遼三郎氏の「完全試合」を読むたび思うのである。

 

あわせて読みたい完全試合投手たちの記事はこちら。

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com

tf-zan96baian-m-stones14.hatenablog.com


福岡ソフトバンクホークスランキング