がん闘病中の大島康徳にエールを~鉄拳くらうも反骨心で3打席連続ホームランを打った男
大島康徳(以下敬称略)が、がん闘病中だという。幼少時代から巨人ファンだが大島康徳のドラゴンズ時代のユニフォーム姿が大好きだ。
2011 日本プロ野球OBクラブ トレーディングカード 1977年編 インサートカード(レギュラーパラレルミニカード・裏面赤) No.RP04 大島康徳
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大島康徳について調べようと、久々に新聞記者の大先輩、近藤唯之氏の本をあさってみた。「プロ野球 新サムライ列伝」に大島康徳が出てきた。以下、大島康徳に関する描写をこの本からざっくり引用する。興味がある人はぜひ実物をご覧ください。
二軍の四番だった大島康徳が10試合で打点1と苦しんでいたが、本多逸郎監督が皮肉交じりに「どういうことか説明しろ」という。世の中にはどうしてこういう人がいるのだろう。頑固者の大島康徳はだまっていたら本多逸郎監督に鉄拳をくらった。
本多逸郎監督の怒りは収まらずなんと2週間も大島康徳のユニフォームを没収。この間大島康徳はパンツ1枚で素振りを続けたという(ほんとかな?とは思いますが)。このガッツが実り大島康徳は阪急戦で3打席連続ホームランをかっ飛ばした。
すると本多逸郎監督に名古屋の栄に連れていかれ「テーラー大倉」という洋服屋で背広を作ってもらった。この間ホームランをほめる言葉は一切なし。本多逸郎監督は理不尽なのか人情家なのかよく分からないがとりあえずいい人そうなのは分かった。
大島康徳は頑張りが認められ一軍への切符をつかむ。食堂で開かれた壮行会には新調した背広姿で臨んだという。近藤唯之氏はこの話がお好きらしい。全く同じ話を「プロ野球 トレード光と陰」でも書いている。
この本にも書いてあるが大島康徳は星野仙一監督の「チームの若返り」という構想のため日本ハムにトレードされる。この時のセリフを近藤唯之氏は激賞している。こんなセリフだ。
「球団が本当に必要だと思ったら、トレードには出さないよ。だけど相手球団も本当に必要だと思わなければ、トレードしてくれとは言わないよ」
その後大島康徳は日本ハムで2000安打を達成。監督になったのも周知のとおりである。
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「昇竜の軌跡」によれば、そもそも大分の中津工から中日に入った時は投手。長打力が買われて野手転向。初出場の日に初安打、初ホームランを記録したものの三振が多く「三振王」とやゆされる始末。内野に転向後ブレイクするが1980年には交通事故にあう。その後32歳でホームラン王、中日と日本ハムで通算26年の長きにわたる現役人生だったがまさに山あり谷ありだった。
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だからこそ、今回のがん闘病もきっといい結果をもたらしてくれるのではないかと期待している。そんな気休めが言える話題ではないと分かっているが、あの3打席連続ホームランの原動力となった反骨心をいまこそ、がんにぶつけてほしい。
【追記】
大島康徳さんは2021年6月30日に亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。