黒柴スポーツ新聞

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瀬古利彦を描いた沢木耕太郎「普通の一日」を読んで~1978年12月3日、福岡国際マラソンで瀬古利彦初優勝

きょうも新聞がネタ元。12月3日は瀬古利彦福岡国際マラソンで初優勝した日、と書いてあった。1978年のことだ。



あら、瀬古利彦のカードがあるんだな。初めて知りました。さすがベースボールマガジン社



瀬古利彦について沢木耕太郎が書いた「普通の一日」という作品を読み返してみた。「激しく倒れよ」に収録されている。

激しく倒れよ (沢木耕太郎ノンフィクション)

激しく倒れよ (沢木耕太郎ノンフィクション)



瀬古利彦が引退し、所属していたS&B食品の陸上部監督になった頃のことが書かれている。



瀬古利彦といえば抜群の強さを誇りながらオリンピックのメダルと縁がなかった、と語られる。勢いのあった時はモスクワ五輪を日本がボイコット。ロサンゼルス五輪では14位と惨敗。最後の挑戦となったソウル五輪でも9位だった。



強者が負けると敗因が追及される。「普通の一日」では瀬古利彦自身の言葉で挑戦および失敗の裏側が語られている。



モスクワに出ていれば、五輪のマラソンが何たるかが把握できた。だからロサンゼルス五輪では失敗しなかっただろう。そして、ロサンゼルスでは直前に走り込みすぎて血尿まで出た。ソウルでは代表選考ですったもんだの末に選ばれたものの苦悩し辞退まで考えたという。



瀬古利彦が理路整然と失敗を語れるだけに、残念に思う。それぞれの五輪、うまくできなかったものかと。もったいなさすぎる。



「普通の一日」の筋の一つに、瀬古利彦を指導した中村清との関係がある。沢木耕太郎は中村清=宗教者、瀬古利彦=信徒というようなイメージで関係性を想像していた。



しかし瀬古利彦とのやりとりの中で気付く。瀬古利彦にとって中村清は「あんなに一生懸命やってくれる人のことを、理解しないなんてわけにはいかなかった」と思わされる存在だった。別に「盲目的服従」という一方的なものではなかったのだ、と。



このように取材者が仮説を立てるものの、それが崩れることはよくある。腕利きの人ほどそれを恐れない、いとわないのではないか。筋を立ててそれに合うように取材していくのは容易だが安易でもある。仮説が崩れた驚きをそっちょくにへえーっと面白がって書くくらいでないと人を感動させられない。



東日本大震災被災地で、初対面の人に飲み屋で言われた。「マスコミって嫌いなんだよ。ストーリーを作るからさ」。断わっておくが黒柴スポーツ新聞編集局長も記者のはしくれだが自分の都合のよいお話は作らない。



白状すればこちらがこう言ってくれたらな、こんな一言が聞けたら、こんな画が撮れたらなと思うことはある。あるけどそうならなければ深追いはしない。しないしできない。想像した通りにならなかった時は「そういうもんなんだな」で終わり。それ以上でもそれ以下でもない。だから出来上がった作品が、盛り上がりに欠けると言われてもどうにもできない。



若手記者の人には特に言いたい。指導者がいくら「これはこういうもんだろ?」と言ってきても違う時は否定しなければならない。机の上で勝手に筋書きを作る人に負けてはならない。現場での感覚を信じよう。



沢木耕太郎の感覚で、もっともいいなと思ったのはこのくだり。ロサンゼルス五輪で瀬古利彦は敗れ、中村清がミックスゾーンで報道陣に弁明をする。自分が大事な時期に病に倒れてしまった。それで瀬古は動揺したんだ、と。



聞いていた沢木耕太郎はこの瀬古利彦をかばう発言が逆に瀬古をおとしめることになると感じたという。このセンス、抜群。脱帽。



「瀬古さんは、自分で闘い、自分で敗れた、そうでなければかわいそうですよね」。そう中村清に話しかけてさえいる。



取材者の姿勢としてはいささか前のめりすぎ、立ち入りすぎにも思う。黒柴スポーツ新聞編集局長は「それ、違うだろ」と思うことがあってもその場では口にしない。自分の発言でその後の展開が変わることがありえるからだ。どうしても言いたかったら取材がひと段落してから「あの時のあれは…」と伝える。



だが「普通の一日」ではこの時このタイミングで沢木耕太郎が中村清に言うところがよかった。言われた中村清は「弾かれたように顔を上げ、私(註:沢木耕太郎)を見た」としか書いていないので沢木の発言を肯定的、否定的、どちらに受け止めたかは分からない。



ただ、読者としては沢木耕太郎がズバッと言ってくれたことに救われた気がする。



スポーツの世界で師弟関係は濃密だ。時に一般人には理解しかねる独特の間柄を扱っている意味でも、「普通の一日」は心に残る作品だ。機会があればぜひご覧ください。



今回は中身にあったカード紹介は難しいので瀬古利彦の著書を貼り付けておきます。



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