黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

人が輝けるかは時と場合による~南海を首になった高橋里志は広島で大ブレイクし20勝で最多勝

ブログ開始から通算300号となった。これも読者の皆様のおかげ。初年度のため制球が定まらず読者の皆様のストライクゾーンと合致したかは怪しいものだが。



およそ1割が固定客。残り9割が新規。固定読者増を目指したいがそこは考え方次第。毎日新しい出会いの割合が9割というのもオツである。



みんなと同じことを書いてもつまらない。意味がない。やはり黒柴スポーツ新聞ならではの内容を追求していこう。日本シリーズから開幕日まで、オフシーズンこそ腕の見せどころである。



というわけで300号にふさわしい、書きたかった選手を調べてみる。高橋里志。カープ女子には誰それ?的存在だろう。広島で1977年に20勝を記録した投手である。



高橋里志になぜ目が行ったのか。ベースボールマガジン社「日本プロ野球トレード大鑑2004」で球団別のトレード史が紹介されており、広島のページに出ていた高橋里志の経歴に心を奪われたのだった。



1972年南海でウエスタン最多勝ながら解雇通告を受けた。解雇ならトレードじゃないじゃんとなるが先ほどの本の一覧表では自由契約となっていた。この時24歳。1977年の20勝までまだずいぶんと間がある。実は広島という違う環境でもすぐには芽が出なかった。



スポニチ記事によれば1年間は定職に就かなかったところ、木葉竹識に声を掛けられ広島入りした。木葉竹識は広島監督の前に南海でコーチをしていた。つまり木葉竹識が南海に行っていなければ高橋里志の広島移籍はありえない。プロ野球は人脈で成り立っていることがよく分かる。

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高橋里志は打撃投手を経て広島の投手になった。だが74年の登板は8試合。75年も2軍。生え抜きでもないし、最近であればかなりの確率で戦力外である。だがそうしなかったことで球団も高橋里志も運命が変わった。

打撃投手

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まず76年に8勝。高橋里志はようやく広島の戦力になった。もともといいシュートを投げたそうだが何かブレイクのきっかけがあったのか。77年には20勝で最多勝に輝いた。



ウィキペディアには高橋里志が南海時代は野村克也監督と折り合いが悪かったと書かれていた。野村克也政権で花開かなかった高橋里志が大ブレイクした1977年、皮肉にも野村克也は南海監督を解任されている。
高橋里志 - Wikipedia

野村の遺言

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高橋里志は1978年に10勝。日本ハムに移っていた1982年には防御率1.84で最優秀防御率に輝いた。人はどこでいつ咲くのか、何回咲くか分からないものだ。そもそもプロ野球に入る選手は皆一定の技術力はある。ものになるかどうかは内的要因にも外的要因にも左右される。

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サラリーマンだってその所属先やその部署で結果が残せるかどうかは時の運でもある。うまくいかない時はあるわけで、本人的に全力を尽くしてさえいたら、結果が出なかったことを環境や状況によるものと見なしてもいいのである。



草花の移植でもよかれとやった結果根付かないかもしれないし、のびのび根を張れるかもしれない。踏まれるような所の方が丈夫に育つ植物もあるだろうし、大事に大事に育てたからこそ咲く花もある。




だから黒柴スポーツ新聞編集局長はトレードで結果を出した人が大好き。出した球団の人は見る目がないとか育て方がまずいとか言われるだろうが、その選手の現役生活が延びる分にはいいじゃないですか。たまたまその選手の咲き時と咲きどころがそこだっただけなのだから。

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首になりながらも南海を振り出しに広島~日本ハム近鉄と18年間現役生活を送った高橋里志は何をモチベーションにしたのか。先ほどのスポニチ記事には「何度もユニホームを脱ごうかと思ったが、南海を見返してやりたいというその一心でやってきた」と南海を見返す気持ちが書いてあった。人のエネルギーはそういう所からわいてくる。黒柴スポーツ新聞編集局長もこの反骨心を見習おう。



きょうの1枚は福士敬章。高橋里志と同じように南海から広島入り。巨人時代は0勝と芽が出なかったが南海4年間で33勝、広島では2ケタ勝利3度と一定の成績を残した。野村克也は高橋里志を伸ばせなかったが福士敬章については巨人から獲得して戦力にしてくれた。伸ばせる人と伸びる人には相性があるのだ。福士敬章についてはまた別の機会にじっくりと紹介したい。
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