黒柴スポーツ新聞

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筒香嘉智に球団記録34号を抜かれた藤井勇~人に言いたくなるホームランの小ネタ集

2016年セ・リーグCSファーストステージはDeNAが巨人を下し、広島への挑戦権を得た。巨人を応援していた黒柴スポーツ新聞編集局長だったが、何だろうこのすがすがしさは。分かっている。今の状態はDeNAの方が上。無理して巨人が勝ち上がったとしても広島に返り討ちにあうだけだ。ならば勢いのあるDeNAがぶち当たる方が面白いに決まっている。


今のうちに言っておきたい。DeNAが「万一」広島に勝ったとしたらそれはそれで評価してほしい。別に巨人が負けたから負け惜しみを言うのではない。ペナントレース王者は優遇されているのだ。CSセカンドステージはすべてホームで戦えるのだ。広島は25年ぶりの優勝だからファンの熱気はすさまじいことになるだろう。


加えて1勝のアドバンテージ。この好条件を凌駕するのは生半可な力では無理だ。だからDeNA下剋上をしたらすごいことのだ。


セ・リーグのタイトルを振り返った時、驚いた。筒香嘉智がホームラン王と打点王の2冠に輝いたこと、よりも彼がまだ24歳ということに、だ。


全体的に高齢化が否めない巨人打線に比べるとうらやましいかぎりである。


黒柴スポーツ新聞としてはうっかりしていた。筒香嘉智は左打者としての球団記録34号を上回る44号を記録したのだが、その抜かれた男こそがプロ野球第1号ホームランを放った男だとは知らなかった。
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彼の名は藤井勇(ふじい・いさむ)。球団記録というからにはDeNAの源流となる球団にいたのだが、経歴を見てみよう。


【藤井勇】
鳥取一中~大阪~阪神~パシフィック~太陽~大陽~大洋~洋松~大洋


最初に大洋入りしたのは1950年。セ・パ分立で大洋が新設された年だった。


その記念すべき年に藤井は34本塁打を記録した。しかも打率が.327。66年後の筒香嘉智に負けないくらい素晴らしい活躍だ。


通算成績も書いておこう。
1487試合 1482安打 146本塁打 764打点
1936年秋に最多安打を記録している。


146本塁打の記念すべき1号がプロ野球第1号。ベースボールマガジン社の「阪神タイガース70年史 猛虎伝説」の藤井勇の紹介から引用する。


1936年5月4日の対セネタース戦。場所は甲子園。5回裏、野口明から放った打球は右中間を破った。打球が転々とする間にホームイン。そう、プロ野球第1号はランニングホームランだった。


じゃあ、スタンドイン第1号は誰なんだ? こうやって調べ物をしていくから編集局長の睡眠時間が削られていく。ブログを書き続けるのも命がけである(大げさだな)。ウィキペディアで見たら阪急の山下実というところまで行きついた。


職業柄、裏を取る。といっても公式記録までは手が出ないからこういう時はやはり宇佐美徹也氏の「プロ野球記録大鑑」。1936年5月22日、宝塚大会での大東京戦にて阪急4番の山下実がオーバーフェンスしたのが第1号と書いてあった。


せっかくなので山下実についてちらっと調べると慶応大出身のスラッガーで、ラッキーゾーンをつくる前の広い甲子園(796試合でスタンドインがたった43本)で景浦将と並び最多4本を叩きこんでいる。「和製ベーブ」と呼ばれたそうだ。


果たして筒香嘉智は平成の和製ベーブになりうるのだろうか。20代でこの活躍。ベーブ・ルースよりも中西太の方が合うかもしれない(左右の違いはあるけれど)。CSセカンドステージ、派手な撃ち合いを期待している。


きょうの1枚は藤井勇。「阪神タイガース70年史」には現役後の説明もある。それによると大洋の監督に就任(兼任)するも31勝99敗。これはどうやらシーズン最低勝率.238である。この苦労人の経験を買ったのが村山実阪神監督。ヘッドコーチに招へいした。藤井に師事したのがあの田淵幸一。藤井勇こそホームランアーチストの生みの親だったのだ。

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