黒柴スポーツ新聞

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被災地とパラリンピアン~ウィルチェアーラグビー日本代表・池透暢選手と陸上・小林順一監督の壮行会に参加して

宮城県女川町、石巻市仙台市名取市と被災地を回ってきた。このうち女川町は6回目。単純に回数が多いのがいいとは思わないが毎度お世話になっている方との距離は近づき、縁は深まっている。今回は中学生4人を同僚と引率してきたのだが若い世代同士の交流の場もあった。大人も子供も縁が深まったのでこれ以後の「化学変化」が起きるのかどうかとても楽しみだ。


その旅が終わってすぐ、高知市でリオパラリンピック壮行会に混ぜていただいた。車いすラグビー日本代表の池透暢(ゆきのぶ)選手と、陸上監督の小林順一さんとは取材を通じてお世話になっている。じゃあ壮行会を取材したらよさそうなものだが今回は関係者席につかせていただいた。そうしませんかという打診をいただいていたのだった。恐縮しつつもうれしかった。いわゆる障害者スポーツに出合ってから十数年がたっていた。


この日、場がばらけた後のざっくばらんな会話の中で「障害者スポーツセンター」という名前が変えられないかという声があった。施設を健常者が使ってはいけないように感じてしまうのではないかという理由からだった。なるほどなと思った。実際には閉鎖的どころかウエルカムなのだがそもそも高知市の中心部にあるわけでもなく、ふらっと行くような所ではない。実際の距離、そして心の距離ともまだまだ遠い場所なのだろう。そういう意味では池選手や小林監督が好成績を残すことでその距離感はぐっと縮まる。


池選手は19歳の時の交通事故で瀕死の重傷を負い、大切な友を失った。気絶するほどの痛みを伴う治療やリハビリに耐えた。その後スポーツに出会い、ツインバスケットボール、車いすバスケットボールで頭角を現した。車いすバスケではパラリンピックに出られなかったものの、そこで培ったスキルを生かしてウィルチェアーラグビー日本代表としてリオパラリンピックの出場切符をつかみとった。パラ初出場ながらラグビーチームの主将でもある。


壮行会で見送ったバスケメンバー、ラグビーメンバー、そして池選手のご家族も感慨ひとしおだろう。いろいろあったなあ、としみじみしそうではあったが壮行会はこの練習を積んできた高知県障害者スポーツセンターの雰囲気そのままに明るくほのぼの、笑いがあった。池選手と小林監督にぴったりの和やかムードだった。きっとお二人も気負いなくリオに出発できるに違いない。


もしもお二人の出場がなければリオパラリンピックは遠い場所での出来事で終わっていたことだろう。だが接点ができたことで高知県民にとってはリオを見る楽しみができた。これに好結果がついてくればなおうれしい。練習や試合環境が恵まれていない中でも世界と戦えることが証明できたら、2020年の東京パラなどこれから競技に取り組む後輩たちの励みにもなるに違いない。


被災地が復興していないのに東京で五輪やパラリンピックを開く意味があるのか。実はいまでもそう思っている。名取市閖上仙台市の荒浜小学校周辺の、家の基礎だけやそれすらもない更地を見て帰ってくると何がオリンピックだとさえ思ってしまう。今回訪れた宮城県よりも福島県はさらに厳しい状況だ。一方で池選手のように不死鳥のように立ちあがり輝きを放ち、周りの人を笑顔にするようなパラリンピアンの存在は被災地で踏ん張る人たちの希望にはなりうるのではないかとも思う。メダルメダルと期待してはいけないが、ここまで来たら池選手には費やした努力と時間に値する結果を持ち帰ってほしい。「関係者」のはしくれとして心から応援している。