黒柴スポーツ新聞

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順風満帆の人生などありえない~276勝の稲尾和久はシーズン0勝からいかに復活したか

276勝を挙げた稲尾和久だが実働14シーズンのうち0勝に終わった年がある。きょうは稲尾のようなデキる人がいかに大ピンチを切り抜けたか学んでみよう。 

稲尾は1年目の1956年に早くも21勝を挙げ新人王に輝く。素晴らしい新入社員である。年度別勝利数を並べてみる。


56年21勝
57年35勝
58年33勝
59年30勝
60年20勝
61年42勝
62年25勝
63年28勝


現代のプロ野球から考えると嘘のような数字だ。特に年間42勝は異常。もちろん日本記録だが鉄腕とはこういう人を指す。酷使されたゆえに14シーズンしかできなかったと見る向きもあるが、稲尾は登板過多とは思っていなかった。むしろ必要とされていることに喜びさえ感じていた。


社会人の世界でも仕事ができる人ほどどんどん仕事が入ってくる。それが単なる作業でなくその人にしかできないとか、その人に頼みたくなるような仕事であれば周りには酷使とは映らないのだろう。もちろん体を壊すレベルは別だが。仕事を命じる上司と命じられる部下の気持ちがいかに通じるかはとても大事だ。


とは言え、稲尾の鉄腕もさすがに悲鳴を上げた。自伝「鉄腕一代」によると1964年のキャンプで投球した際、経験したことのない激痛が走った。チームに合流しなければならないという焦りから稲尾は中途半端な回復なのに投げて痛みがぶり返す、ということを再三繰り返した。

参考にしたいのはこのときのコーチの助言。「あわてるな、この際しっかり治そう。夏頃までに出てくれればいい」。若林コーチと書いてあるが若林忠志だろうか? このコーチも30歳の時肩を痛めたがそのシーズンはまるごと休んで徹底的に治療。その後は以前にも増していい投球ができるようになったそうだ。休むべき時に思いきって休む。これも必要だ。


稲尾自身が振り返るには、積み上げた名声を汚したくない、傷つけたくないという思いからの失敗だった。仕事ができる人ほど、結果を出した人ほどこういう時は焦りそうだ。稲尾はオープン戦、開幕当初、そして夏場と、遅れを取り戻そうと無理をした結果ついにシーズンを棒に振った。前年度最多勝の28勝から0勝に転落したのだ。


稲尾は熊本の山奥に行く。温泉で肩を暖めるのとランニングはやめなかった。野球ができなくなるのだろうか、そうしたらどうやって食べていったらいいんだろうとか考えたりもした。


ある日山頂の大きな岩を見つけ大の字に寝っ転がってみた。空が見えた。鳥が飛んでいた。風が木の葉を揺らす音が聞こえた。川の音も。自然に身を置いて、悩んでいる自身の小ささに気付いた。


実際のところ、ピンチの人がそういう心境になっても事態が劇的に好転したりはしない。締め切りが伸びるわけでもない。契約が取れるわけでもない。試験に合格する保証もない。しかし稲尾のように落ち着くことは大事だ。稲尾は開き直ったことでトレーニングに身が入ったし、ちょっとのことで動じないぞと思った。

年明けにたった3メートル投げても痛かったがまだ治ってないやくらいの心境だった。心が強くなっていた。鉄工所の知り合いを訪ねボールサイズの鉄球をつくってと頼んだ。鉄のボールに耐えられたら普通のボールなど軽く投げられるという発想だった。


マットに向かって鉄のボールを投げ始め一カ月後、奇跡が起きた。あれ、痛くないぞ。はっきり確認したくてキャッチャーに向かって投げたが痛まない。6月、ついに勝ち投手になった。もうそれまでの球威は望めなかったがコントロールの精度を上げたり、打者心理を読んだりすることで勝負するようになった。


そして一勝の重みを思い知った。復帰の年は13勝だったが十分満足だった。


「順風満帆の人生などありえないだろうし、仮にあったとして、挫折知らずで“ナギ”続きの航路が本当に幸せかどうか(中略)カムバック後の勝利数はちょうど昭和三十六年の一年で稼いだ白星と同じだ。三十六年の白星は勢いに乗って無我夢中で投げているうちについてきた。それに対し昭和四十年以降、引退するまでの白星はもがきながら一つずつ、五年かけてつかみ取ったものだ。だから自分の中では、最後の42勝が挫折前の234勝に匹敵する宝物になっている」(日経ビジネス人文庫 稲尾和久「神様、仏様、稲尾様」199ページより)


稲尾のこの本は日本経済新聞社が出した本を文庫化にあたり加筆したもの。プロ野球ファンだけでなく、今一つ乗りきれないでいる人にも、「鉄腕一代」と併せてぜひおすすめしたい。

神様、仏様、稲尾様―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

神様、仏様、稲尾様―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)

きょうの1枚は稲尾。最優秀選手2回、最多勝4回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回、最高勝率2回、最優秀投手2回、新人王。すごいとしか言いようがない。稲尾のあだ名はサイだが、本家の動物のサイがよく眠るように稲尾も「休日は一日中眠っている」と言われたそうだ。鉄腕も眠るのだから、現代の社会人のわれわれもしっかり睡眠と休息をとって稲尾のようにバリバリ活躍しましょう。

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