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黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るワンシーンやプレーヤーについて綴ります。

オールスターで大杉勝男を差し置いて選出された大人気ルーキー島本講平

2016年オールスターのファン投票の結果が公表された。ドラマ好きな黒柴スポーツ新聞編集局長的には順当すぎてつまらない。もっとも組織票だの、川崎憲次郎にどばっと投票だの、そういう意図的なものはやめてほしい。そういうのがなかった点はよかった。


新人では唯一阪神の高山俊が選出された。2016年は目が飛び出るほど活躍したり人気がずば抜けているルーキーがいない。名前が古きよき時代のパ・リーグを思わせる茂木栄五郎もけがをしてしまった。オコエ瑠偉も話題性はあるが今のファンは目が肥えているのか簡単に球宴に行かせる流れはなかった。


二刀流の選手として気になっていた島本講平はルーキーイヤーにあの大杉勝男を差し置いて一塁手として選ばれてしまった。島本は公式戦出場が2試合だけ。大杉はこの年本塁打王に輝く強打者だ。別に当時のファンは目が肥えていなかったという訳ではない。島本の人気がスゴすぎたのだ。


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こうしたエピソードは澤宮優氏の「記録より記憶に残る野球狂列伝」で知った。これを活用させてもらいながら島本を追ってみる。

記録より記憶に残る野球狂列伝

記録より記憶に残る野球狂列伝

何せ1970年センバツ優勝の箕島のエース。北陽との決勝では12回に自らサヨナラヒットを放った。夏は甲子園で、共に高校三羽がらすと評された湯口敏彦(岐阜短大付属)に敗れたが、二枚目であることも手伝ってすごい人気があったという。前年度の太田幸司になぞらえ「二代目コーちゃん」とも呼ばれた。

この年のドラフト指名は南海、巨人、広島…の順番だったが南海は島本、巨人は湯口、広島は三羽がらすの一角の佐伯和司(広陵)と順当に決まった。南海の野村克也監督は自分が捕手で四番で監督であり、島本には投手で四番をやってほしいと口説いた。現代で言えばメジャーも視野に入れていた大谷翔平を口説いた日本ハムの作戦である。


島本は早くから打者一本を希望していた。二刀流を気持ちよく実践している大谷との最大の違いだ。南海は左投手が不足しておりサウスポーの島本には投げてほしかったのだ。サラリーマン的には組織の方針が最優先されてしまうが個人の能力が十分生かされる働き方をしたいものだ。その点大谷は素晴らしい。キラキラ輝いて見える。


島本はオープン戦で打たれ打者に専念したが泣かず飛ばずのまま5年目に近鉄にトレードされた。西本幸雄監督が起用し1975年の後期優勝に貢献することができた。こういうトレードは意味がある。サラリーマン的には転職(同業他社も含めて)というが、自分の力が出せる職場に行けるならそちらの方がいいに決まっている。


パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄

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1976、77年は100試合以上に出場してオールスターにも出られた島本。時間はかかったが今度は自分の力で球宴に出られた。素晴らしい。監督推薦だったそうだが評価してくれる人がいたということだ。



ただし野球狂列伝というわりに島本はものすごくクールというか淡白であり、そのへんが島本が大成しなかった理由と澤宮氏は見ていた。もっともこの本で取り上げられたのは記録より記憶に残るという意味だろう。打者としては828試合で454安打、60本塁打という記録が残っている。


まあオコエが柳田悠岐を差し置いてファン投票1位になるくらいの出来事がかつてあった訳だが、実際あっては困ると分かりながらもそのくらい話題性に事欠かないスーパールーキーも出てこないかなあと密かに期待している。