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黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るワンシーンやプレーヤーについて綴ります。

1963年の世紀のトレードを敢行した大毎・永田雅一オーナーの行動力

ずっと気になっていた。大毎・山内一弘阪神小山正明の「世紀のトレード」はなぜ行われたのか。調べてみたが、大毎オーナーの永田雅一の意向で間違いなさそうだ。


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世紀のトレードは1963年12月。背景や詳細は黒柴スポーツ新聞編集局長の心の師匠、近藤唯之先生の「プロ野球 トレード光と陰」、ベースボールマガジン社プロ野球トレード史」「プロ野球トレード史Ⅱ」で勉強した。


プロ野球トレード光と陰 (新潮文庫)

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パ・リーグの四番、セ・リーグのエースと言ってもいい大物同士の交換はトレードのイメージを変えた。永田はチームの顔の山内を失っても、守り勝てるチームにしたかった。とにかく接戦をものにできなかったのだ。



初めて知ったが最初は中日の権藤博がターゲット。だが中日に拒否された。次に狙われたのが小山。阪神在籍11年で176勝、無四球試合47、防御率1点台が4回。小山の補強は永田が目指すチーム像にマッチしていた。




阪神はなぜ受諾したかと言えば主軸が迫力不足だったから。巨人や中日に比べホームラン数が極端に少なかったのだ。山内はその後300ホームランも記録する強打者。大毎在籍12年間で打率3割9回、MVP1回、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回。これ以上の補強はない。



結果を先に書くとトレードは成功と言っていい。小山はチーム名を東京、ロッテと変えたオリオンズで140勝。特に移籍初年度は30勝、翌年、翌々年と連続20勝もした。甲子園から狭い東京球場に移ってこれだから素晴らしい。パームボールが効果的だったという。


山内は初年度31本のホームランを打ち優勝に貢献した。永田はトレード発表で山内の名前をあげた際涙を流したという。自分で台本作っといて泣くなんてどないやねんとも思うが、そうまでしてでもチームを変えたかったのだろう。「いままでのとは違う、球界発展のため、そしてほんとうのチーム強化につながる大物同士のトレード、その先べんをつけたと信ずる」。永田の言葉は小山と山内の頑張りで実証された。




永田は大映社長であり、オリオンズオーナーであった。日本シリーズの作戦をめぐり西本幸雄監督と衝突。大毎敗戦の責任を取る形で西本監督は辞任した。成り上がり者であり負の部分も多く語られている。一方で巨費を投じて東京球場を造ったり、1970年のオリオンズ優勝ではその東京球場で一番に胴上げされていたりもしていて、興味深い。後に大映は倒産。入院先に小山を呼び二時間も話し込んだというが一体どんな内容だったのだろうか。



永田の生涯は映画史も絡んでおりちょっとかじっただけで書くのは無理。また勉強するとして、このトレードに関しての行動力、突破力は率直にすごいと感じる。永田がいなければこんな大胆なトレードはきっと実現しなかった。東京-名古屋、東京-大阪を何度も空路で往復。世紀のトレードは5000キロトレードとも言われている。チームを変えるにはすさまじいエネルギーがいるしこのくらいの突破力や大胆な発想も必要だし代償やリスクも伴うんだなと改めて勉強になった。


きょうは先に山内のカードを貼付したので最後は小山。通算320勝。最初は大洋の入団テストに落ちているのだから人生分からない。就職活動中の人だって内定もらえないイコール実力不足なんて思う必要はない。輝ける場所がそこじゃなかっただけなのだ。小山のパームボールみたいな必殺技があれば厳しい環境でも耐えられるはずなので、自分を高めることに集中しよう。小山は300勝以上した後に大洋で現役を終えた。ついでに言えば山内も中日のテストに落ちているが後に中日の監督になった。内定もらえなかった会社の経営者にだってなれる可能性はあるのだ。


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