初回無死からリリーフして完封したこともある上田二朗がここ一番で勝ち切れなかった話
5月14日に日本ハムの宮西尚生がプロ野球2人目、パリーグでは初の200ホールドを達成した(セは山口鉄也)。ホールドは簡単には説明できないので申し訳ないが、うまく守護神につないだリリーフ、とでも言おうか。大変さの割に報われることが少ない、中継ぎの名誉である。
中継ぎ。大きく分ければセットアッパーと言われる同点やリードしている場面で使われる人と、言葉は好きではないが敗戦処理投手がいる。若手が経験を積んだり、ベテランが新たな職責として取り組んだりと、ドラマを感じられるポジションでもある。
とても深い世界なので中継ぎ論はまたいつかじっくりとと思う。実はホールドを調べていた過程で面白い事実を知ったのだ。先発ピッチャーがもしも1アウトも取れずに降板し、後を継いだ投手がきっちり0点に抑えて勝ったら完封になるのか。答えはイエス。ただし完投とは記録されないそうだ。
これをやったのが阪神の上田二朗。ウィキペディアによると1972年5月9日の大洋戦で若生智男が無死1、3塁で負傷し、マウンドを引き継いで「完封」したのだそうだ。社会人の会話でも「あとやっとくわ」はあるが実質全部。この時若生はプロ17年目の大ベテラン。上田は3年目。若手が頑張ってフォローしたことになる。
上田で有名なのは1973年7月1日に9回2死までノーヒットノーランに抑えるも最後の最後で長嶋茂雄にヒットを打たれたことだろう。上田の現役時代を知らない黒柴スポーツ新聞編集局長も上田と言えばこれ。ベースボールマガジン社「阪神タイガース70年史ー猛虎伝説」59ページでは「大記録逸した華麗なサブマリン」の見出しで上田を紹介している。さらに有名なのがミスターが上田にかけたセリフ。70年史では「二朗、すまん」と一塁ベース上から声をかけたことになっている。
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「長嶋茂雄 第1巻 背番号3の時代」シリーズ<21世紀への伝説史>では微妙に異なっている。以下、セリフはこの本からの引用。
「オレより投手の方が心理的に苦しいはず。イチかバチか直球だけを狙おう」(長嶋)
上田の131球目であるストレートを打つと打球は三遊間をライナーで抜けていった。
「にくたらしいですね。あの人。一塁ベースから『上田! がまんせーよ』と声をかけてくれたけど、やっぱりあそこまでいったら、ぜがひでも抑えたかったですよ」(試合後の上田コメント)
いつも書くがこういうビミョーな違いがたまらない。歴史学者みたいに史実やら逸話のちょっとした違いにワクワクする。どちらかというと上田が聞いたとされる「がまんせーよ」の方がミスターらしいと思うがいかがだろうか。
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上田がキャリアハイの22勝を挙げたのはこの1973年。ノーヒットノーランを達成しかねない調子のよさだったのだ。が、年配の方なら手ぐすねを引いて待っているネタがまだある。1973年ペナントレースの阪神巨人最終決戦で上田は先発するも4失点。阪神は0-9で敗れ、巨人は9連覇を達成した。Youtubeで当日の映像を見たが内野席券は大人400円、小人200円という看板が見えた。シーズン22勝の投手をもってしても最終決戦のプレッシャーはすごかったのだろうか。もしも上田がノーヒットノーランを達成していたら。もしも最終決戦で上田が踏ん張っていたら…。阪神ファンは数え切れないほど考えたに違いない。
きょうの1枚は上田にしたいが残念ながら在庫なし。よって73年に上田を上回る24勝で最多勝に輝いた江夏に締めてもらおう。通算206勝193セーブ。それもすごいが829登板にも目が行く。被安打は2340。江夏は記憶が抜群にいいというが2340本中どれくらいの被安打を覚えているのだろうか。